2002年6月県議会
2002年6月21日、県議会での丸刈り質問

県民クラブの田上議員(熊本市区)の一般質問

 次に、丸刈り校則の見直しについてお尋ねいたします。
 実は皆さん方も、きょうの新聞に、鹿本郡の中学校の件での丸刈り拒否の中学三年生、対外試合出場させずというふうな記事に目をとめられたかというふうに思います。もうあいた口がふさがらぬといいますか、もう熊本の恥ではないかなと、もうあくしゃうっております。本当ですよ。そして、この新聞報道の校長の言葉には、人権侵害とする指摘には反論できない面もあるがと、人権侵害とわかっておられるんですね。とりあえず問題点をお尋ねしたいと思います。これが熊本の実態かと思いますと、人権を日ごろ言っておられる割には情けないような気がしてなりません。
 ことしの四月十二日の熊日新聞の「丸刈り拒否した三年男子 卒業式出席させず」の見出しに、まだ今でもこんなことがあっているのかと、唖然といたしました。実は私も三人の男の子がおりまして、十数年前、一時この問題を真剣に取り組んできたことがよみがえってまいりました。
 熊本でかつて、校則で丸刈りを強制するのは人格権の侵害に当たるとして、玉名郡の玉東町の士野さんという親子の方が、当時の玉東中学校長と町を相手に、校則の服装規定の一部無効と損害賠償を求めた裁判、いわゆる丸刈り訴訟が起こされました。当然裁判に訴えるまでには、父親が、校則の改善を町の教育委員会や学校に足しげに何度も要望に参られましたけれども、学校側の対応は変わらなかったのであります。一方、息子さんに対しては、校則無視との非難や彼に対するリンチのうわさなどが流され、さらに学校内でのいたずらや嫌がらせを受けたことなどで、とうとう彼は登校拒否に至りました。
 当初裁判所の職権による和解勧告もありましたが不調に終わり、本裁判となったわけであります。そして一九八五年、昭和六十年十一月十三日、熊本地裁は、校則の一部無効確認について、原告適格性がないとして却下。当時彼は高校生であったわけです。そのためだと思います。損害賠償でも、校則は合法、処分も受けていないと棄却しましたが、丸刈り強制については、教育上の効果に多分に疑問の余地があると裁判官は述べられております。
 当時は、長髪禁止で五厘刈り、天然パーマは証明書が必要、違反者にはバリカンでトラ刈り制裁。服装の乱れは心の乱れなどなどといった服装の細かい規則にあわせて、こうした厳しい頭髪規制が、中学校を中心に全国の学校現場に広がっていたときでもあったわけであります。
 また、バイクの免許は取らない、乗らせない、買わないという三ない運動、これも当時は全国的に採用されておりまして、昭和六十三年あるいは平成四年には、各地裁あるいはまた高裁からも、これについての判決が出されております。
 今回の質問の件は、宇土市K中学校で、校則に違反しているとして、長髪の生徒を晴れの卒業式に出さなかったこと、このことは、どんな言葉をもってしてもいやすことのできない大きな傷を与えたのではないでしょうか。
 今なぜ県内の学校や教育委員会が頭髪規制にこだわっておられるのか、理解に苦しむわけであります。時代も大きく変わり、学校では、生徒の自由や個性が尊重されるよう、日ごろから、思いやり、人権、差別に関しての学習も実践されておられるのにであります。見せかけだけの教育なのかと、改めて疑問を抱かざるを得ません。町には若者たちの茶髪が日常では当たり前の光景であります。変わらないのは学校だけなのでしょうか。
 先般のワールドカップ、見てください。稲本を含めて、中田、茶髪であります。鶏のとさかのような戸田選手、すばらしいじゃないですか。頭の髪の問題じゃないというふうにつくづく思っております。
 今さら申し上げるまでもないと思いますが、頭髪は身体の一部で、髪形は個性表現の大切な手段であります。判例でも、憲法十三条が保障する基本的人権に髪形の自由が含まれると認めております。また、子供の権利に関する条約や教育基本法のいずれにも抵触しているばかりか、子供の人権を著しく侵害しており、速やかに丸刈り規制を廃止されるよう勧告するという勧告書が、既に弁護士会から出されております。
 私は、丸刈りやおかっぱが強制されるならば、家庭教育に対する干渉であるとさえ思っております。そのような権利が果たして学校にあるのだろうか。親権の侵害と言わざるを得ません。親権は個々の親の自然権、すなわち人権であるからであります。今回の場合は義務教育の公立中学校。私立であれば、生徒や父母は丸刈りでない学校を選択できるのでありますが、公立の場合、その選択権もないのが現状であります。
 そもそも、義務教育最後の中学校での卒業式に、悪いことをして出席させないのならまだしも、長髪をしていたことのみで出席させなかったことは、これは一種の懲戒ではないかと思っております。丸刈り強制の不思議さに憤りさえ感じざるを得ません。生徒は、もはや保護や管理の対象でなく、権利の主体であるという認識が学校側に欠落しているように思えてならないわけであります。
 もちろん集団生活の上で秩序は必要であります。否定はいたしません。しかし、それは最小限にとどめるべきで、例えば、子供の体を傷つけない、心を傷つけない、社会に迷惑をかけないの三点があればよいのではないかと私は思っております。これらに無神経な学校に限って、服装や長髪には事細やかにということでは本末転倒ではないかと、そういう気がしてなりません。規制より信頼関係をどうつくっていくのか。この宇土市の事例は、人権とは、教育とは何かという課題を逆に突きつけたものではなかったのではないでしょうか。
 先般、九州地区の先生方の集まりの席上、この新聞記事が話題になったそうであります。二十世紀の遺物、熊本の恥などとやゆされたとか聞いております。そのとおりだと、逆に感心した次第であります。というのも、現在、全国的には丸刈り規制はほとんどなく、あるのは我が熊本県とお隣の鹿児島県、しかもそれは、離島のほんの一部にあるにすぎないというものであります。熊本県では、実に百九十五校中百五校、五四%が丸刈りを強要しており、阿蘇郡、鹿本郡、宇城、人吉、球磨、天草地区など郡部に多く丸刈りが見られております。ちなみに、熊本市、上益城郡は丸刈りはゼロであります。ですから、ただ単に地域性の問題としてとらえることなく、人権という視点から、広く県全体の教育の問題として真剣に考え、解決への糸口をとっていただかなければなりません。
 そこでお尋ねであります。  教育委員会におかれては、丸刈りは人権侵害であるとの認識に立ち、該当する学校を、子供の人権と共生という視点で、丸刈りを含めた校則の見直しを進めるよう、市町村教育委員会を通じて指導されてはどうか、教育長にお尋ねをいたします。

<質問に対する教育長の答弁>

 丸刈り校則の見直しについてでございますが、児童生徒が心身の発達過程にあり、また、学校は集団生活の場として一定のルールが必要でありますことから、校則自体には意義があると認識いたしております。
 個人の髪形は、個人の美意識に直結した私的事柄であり、みずから決定し得る権利として保障されていると言われておりますが、他方で、学校運営の責任者であります校長は、教育目標達成のために、生徒を規律する校則を定めることができるというふうにされております。
 しかしながら、丸刈りを定めた校則につきましては、時代の進展等の中で、教育的効果の有無を判断しながら、見直しを含め検討していく時期に来ているのではないかというふうに考えております。
 この検討に当たりましては、生徒の実態や保護者の方々の考え方、地域の実態等を踏まえ、十分な論議を行うことが大切でありますし、そうした十分な論議を踏まえて制定された校則についてはみんなが守ること、そして守るように指導していくと、そういう観点が必要ではないかというふうに考えております。
 今後、各市町村教育委員会に対しまして、関係者による協議を行うための仕組みづくりを促しながら、積極的な校則の見直しがなされるように理解を進めてまいりたいと考えております。

2002年6月24日、県議会での丸刈り質問

<岩中議員の質問>

 次に、先ほど述べました頭髪問題についてお尋ねをします。
 二十一日に教育長の進歩的な答弁がなされていますので、人権尊重の立場から見解を改めて伺います。
 校則で頭髪を規制することに対してさまざまな議論が巻き起こっていますが、丸刈りを校則などで規定しているのは、ことし一月現在で、県内全公立中学校の五六・三%に達しています。
熊本市内中学校はすべて丸刈り校則を撤廃しています。人権を尊重する精神、態度などを養うことを目的とする人権教育は、学校での大切な教育の一つです。

 一九九四年十二月、第四十九回国連総会において、一九九五年から二〇〇四年までの十年間を人権教育のための国連十年とすることが決められました。
人権が侵害されていることを解決していくのは行政の重要な課題です。丸刈りがだめだということではなく、丸刈りがよいという子供や保護者の思いも大切にしなければならないことは言うまでもありません。
しかし、全体を丸刈りでという校則での強制は撤廃をすべきです。
本来、教育上の問題ではなく、一人の人間としての子供の思想を尊重すべきです。全員が丸刈りでないと学校教育ができないなどあろうはずがありません。
 各学校の独自性で決められる校則の自主的なものは重視すべきですが、子供の人権が侵されることについては県教委の指導が求められると思いますが、いかがでしょうか。
教育長に伺います。

<上記の質問に対して、県教育長の答弁>

 二点目の頭髪丸刈りの校則についてでございますが、先日もお答えいたしましたところでございますけれども、児童生徒が心身発達の過程にあること、また学校は集団生活の場として一定のルールが必要でありますことから、校則自体には意義があるというふうに思っておりますが、丸刈りを求める校則は、時代の進展の中で見直しを含め検討をしていく時期に来ているのではないかというふうに考えております。

 この校則の見直しに当たりましては、まず、現在の校則を守りながら、生徒や保護者の実態や考え方、地域の実情等を踏まえながら十分な論議を行うこと、校則及び校則指導をより適切なものとしていくという、そういった観点が重要であるというふうに考えております。

 今後、各市町村教育委員会に対しまして、関係者による協議を行うための仕組みをつくり、十分な論議を行った上で、積極的な校則の見直しがなされるように理解を促してまいりたいというふうに考えております。

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