「誰も知らなかった丸刈り校則の本当の理由」
「丸刈り校則が必要な理由を生徒に説明できる教師は一人もいない。」
とありますが、私はこの校則の存在目的は「生徒にフランス革命のような市民革命を実体験させること」だと考えています。
人間の歴史は人権獲得の歴史だと言っても過言ではありません。
かつては市民の自由は著しく制限されていましたが、フランス革命に代表される市民革命を経て、自由権が確立されました。
20世紀に入ってからは自由権に次いで社会権が確立されました。
更には知る権利、プライバシーの権利、環境権などの新しい権利が獲得されました。
人権は人類の多年にわたる努力の成果によって獲得されたものです。
丸刈り校則に疑問を持つ生徒や行動を起こす生徒はいるわけです。
これらの生徒が他の生徒を啓蒙し、やがては生徒達が一致団結してフランス革命のようなことを起こす、ということを学校は期待しているのだと思います。
そういう意味では大変高度なことを学校は生徒に求めているわけです。
全国平均より学力の劣る中学生にそのような高度なことを求めるのは無謀とも言えますが、もし「革命」が実現すれば、生徒達は教科書からだけでは学べないような大変貴重な経験をすることになります。
ですから丸刈り校則の撤廃はあくまで生徒達自身の手で実現してほしいと思います。
そのためにはそれをサポートする人材が不可欠です。
学校の先生はルール上支配者を演じなければいけないため、先生に期待することはできません。
生徒達とその家族や周囲の人々に丸刈り校則の真の目的を周知させて同時に人権思想などの啓蒙を行うことが必要でしょう。
しかし忘れてはならないのは中学校での主役は生徒であるということです。
生徒達自身の手よって真の自由を勝ち取ったとき、彼らはひとまわりもふたまわりも成長していることでしょう。
「全国の丸刈り中学生達よ、団結せよ!」
この言葉をスローガンに掲げてみてはどうでしょうか。
一部の教育者は、なんでもかんでも「規則」で縛れば良いと思っている。学校での態度はもちろん、服装から髪形、家での生活習慣に至るまで厳しく規則を定める。その規則のおかげで、非行がなくなった。従順な子になったと主張する。
だが、私にいわせれば、規則で縛るのは「教育」ではない。厳しい規則で非行がなくなったように見えても、真に子供が納得して非行をやめた訳ではない。
規則を破った者には「罰」が与えられる。中学生には内申書で脅すのが最も効果的だろうし、他にも教師の権力を利用した嫌がらせなどは、実際に多くの学校で行われている。一部の学校では体罰もある。
そのような罰を受けるのが嫌だから、子供は仕方なく大人しくしているにすぎない。つまり、子供の中で「なぜ、それをしてはいけないのか」「これをしてはいけないのは、○○だからだ」という考えが育った訳ではないのだ。
親や教師など、周囲の教育者が子供にひとつひとつ教える。子供に教えるのは大変な作業だが、筋道を立てて丁寧に説明していけば、やがて子供は「納得」する。その納得の積み重ねで、だんだんと「価値観」や「倫理観」「判断力」などが培われていくのではないのか。
なんの説明もなく、ただ規則だけおしつけたのでは、価値観や倫理観が育つ訳がない。そして、そんな子供は絶対に幸せになれない。
今の未成年者の「俺たちは少年法で保護されているから、何をやってもいいんだ」という話を聞けば、彼らに価値観が育っていないことがうかがえる。
彼らにとって、善悪の判断の基準は規則・・・いや、その規則を破った時に与えられる「罰」が基準になってしまっている。しっかりとした価値観を持っている人ならば、規則や法律に関係なく犯罪を犯すことはないはずだ。
規則や校則も、確かにある程度は必要なものだと思う。ただし、規則を定めるのなら同時に、なぜその規則が必要なのか、子供が納得できるような説明が求められる。
絶大な権力を盾に、丸刈り校則などあまりに理不尽な規則を強要すれば、一時的に大人しくなっても、やがて不満が爆発するだろう。あるいは、教師や社会続きに恨みを持つようになるかもしれない。こんな理不尽な規則だったら「規則なんてクソくらえだ!」と思うようになるかもしれない。逆に、人を信用できなくなって引きこもったりするかもしれない。
厳しい規則でがんじがらめに縛れば、中学の3年間、教師だけはいくらか楽できるだろう。しかし、それは問題を「解決」したのでなく、「先送り」したにすぎないのだ。そして、その代償はいつか必ず払わなくてはいけなくなる。
ひとつひとつ教えて育てていくのが教育だと思う。真に子供の幸せを願っている教育者ならば、理不尽な規則で縛ることなどしないはずだ!
子供の未来は教育者の腕にかかっているといっても過言ではない。果てしなく責任の重い仕事で本当に大変だと思うが、自分で選んだ仕事なら、最後まで手抜きをしないで、責任を持ってやって欲しいと思う。
「中学校の丸刈り校則? 別に良いじゃないか!」・・・と思っている人は、ちょっと考えてみて欲しい。
もし上司に「明日から丸刈りにしてこい」「モヒカンにしてこい」「逆モヒカンにしてこい」「波平にしてこい」「色はピンクにしろ」・・・な〜んて言われたら嫌じゃないんですか?
丸刈りならOK? 人の嫌がる髪形を強制していることには変わりないはず。それとも、丸刈りだけは特別なのか?
だいたい、教師は丸刈りが人間として正しいと思うなら、自分たちも丸刈りにして手本をしめせば良い。丸刈りを校則にまでにするなら、その理由、根拠を中学生に説明して納得させれば良い。
それが出来ないのは、丸刈り校則とは単に教師の「手抜き」だからだろう。
丸刈りを校則にすれば、髪形を指導する手間がはぶける。
「規則を破った、校則を破った!」と大騒ぎして、通知表や内申書に書くぞと脅したり、「規則を破った者はこうなる!」とか言って嫌がらせや暴力(体罰)をすれば良いのだから。
こんな理不尽な事で、3年間も毎日のようにねちねちねちねちと嫌がらせをされれば、不満も爆発し、おかしくなって犯罪者になる者が一人や二人でてきても納得できるというものだ。
丸刈り中学校のセンコウよ、そんなに丸刈りが好きなら出家でもしろ!
一部の教師は、なんでもかんでも、校則で縛りつければ良いと思ってる。
だが、それではおそらく、立派な人間は育たないだろう。
ちゃんと筋道を立てて説明し、一つ一つ教えて育てていくのが教育だと思う。
AKEMIさんの意見に校則で子供を「丸刈り」にするなら教師も「丸刈り」にせよというのがあった。
「己の欲さざるところ人に施すことなかれ」という意味で言っているのであろう。しかしこの意見の前提には多くの教師は自らすすんでは「丸刈り」にはしないだろうという予断がある。
しかし世の中にはあらゆることが起きるものなのだ。オウム真理教信者のヘッドギアを見るまでもなく、もともと拷問である「丸刈り」を強制するような教師はカルト信者と変わらない善悪の基準しか持ち合わせていない。特に高々10数人しかいない地方の教師集団内では男性教師全員が「丸刈り」にすることは十分起こりうることなのだ。
さてそうなった時、その思ってもいない事態が発生したときに反「丸刈り」運動は一時的に頓挫するかもしれない。そうならないためにも「教師も丸刈りにせよ」ということは言わない方がいい。何事にも用心深いことが肝要なのである。いわんやこれは教師が子供に仕掛けている戦争なのだから・・・。
教師も「丸刈り」にするのなら「丸刈り校則」が正当化されるわけではない。「丸刈り」の強制自体が間違っているのだから。「丸刈り」にしたい奴はすればいいのである。したくない奴はしない。ただそれだけのことなのだ。もちろん自らすすんで「丸刈り」にする人間の動機は私には興味がない。「脳の防御」と「身体表現」を放棄してまでも得られるものが何なのかも分からない。
全員が「身体表現」を放棄しているような異常な空間から生み出され るものは他者破壊の鬱屈した衝動ぐらいのものだろう。愚かな教師たちは表現することを規制して表現の暴発を準備しているのだ。多くの場合はそれは暴力として表出するであろう。
・・・
思えば昔の子供の凶悪犯罪はいわゆる非行少年がやり、非行少年といえば、その乱れを身体表現(髪型・服装・動作・持ち物など)していたものだ。だから実に分かりやすかった。今は・・・、もちろん非行少年も犯罪を犯しているが、良い子のいきなり型の凶悪犯罪の方が問題になっている。
豊川の「殺す経験」殺人を除けば、多くの少年犯罪は理解可能なのだ。誰だって虐められていれば反撃の機会をうかがっているし、問題は実際にやるかやらないかの話なのだ。誰でも子供時代を振り返れば思い当たるはずだ。やるかやらないかは紙一重なのだということも。そしてもしやったとしても運が良かっただけで、相手に致命傷は与えなかった。だから今があるという人は結構いるはずだから・・・。
だから問題は、「あらゆる暴力は悪である」ということを子供に教えることができるかということなのだ。この「あらゆる暴力」の中に「丸刈り」強制が含まれることは言うまでもない。人間の身体表現の意思を剥奪するなどという行為は暴力以外の何物でもない。
体罰を含め、自らが暴力を振るう教師=人間が「暴力は悪」であるということを教えることはできない。「現代の病」の病根の一つはこのことなのである。
学校が「あらゆる暴力は悪である」ということを教えることができる場所になることが大事だし、それにはまず体罰・丸刈り・愚劣な校則・制服などを速やかに学校空間から廃絶しなければならないのだ。
暴力を温存して暴力を嘆いてみせる、こういう茶番はもうやめにしたいものだ。
私たちは容姿・容貌も身長も性別も、生まれ時代も場所も自ら選んで生まれてきたのではない。どうして両親は私をこんな「形」で生んだのだ?と両親に問うてみよ。誰も答えることはできない。この不条理と真正面から折り合いをつけていこうと必死でもがいている思春期のただ中に、頭髪を除去するというさらなる拷問を付け加えられるのだ。子供がこの拷問を甘受するのは、子供が肉体的にも精神的にも経済的にも未熟だからである。
だから精神的未熟さからおさらばして子供が「反撃の言葉」を獲得した時、「丸刈り校則」のような愚劣なものはすぐさま叩きつぶすことができる。
「丸刈り」って、拷問だけに一度実行すれば2ヶ月間大丈夫だし、「看守」も一目で確認できる。要するに、従順な生徒であることを証明をさせる最も有効な拷問が「丸刈り」なのである。
だいたい今時、刑務所でさえ丸刈りは強制されない。
「丸刈り校則」は「憲法弟36条違反」の公務員が子供に行う拷問であるから、バカ親が拷問する公務員に荷担して子供を「丸刈り」にすれば、子供は学校という監獄、家庭という監獄で暮らさざるをえない羽目に追い込まれることになる。
バカ親たちは気づきもしない・・・、憧憬さえ伴う全幅の信頼を子供から得る絶好の機会を失ったことに。
「丸刈り、やめておけ、私たちはお前の味方だ」とでも言っておけば、親子の絆なんて盤石だったのに。
規律は「丸刈り」とは無関係
規律の意味が不明ですから答えようもありませんが、行動基準の意味なら規律は「丸刈り」とは無関係です。
また「秩序・規制」を覚えさすために「丸刈り」を子供に強制できるという考えは間違っています。それをできるのは多分刑務所の中だけなのでしょうが、現在では刑務所でさえ「丸刈り」は強制されてはいないようです。
「丸刈り校則」で子供の人権を無視しておいて「教育現場の乱れ」とか言える筋合いではないのです。奴隷を圧迫しておいて反乱したら奴隷のせいにするような話です。
制服のない学校になって教師は初めて子供の顔を見だしたという話もあります。それまで教師のやっていたことはといえば、スカートの丈や靴下の色ばかり見て、規格内か規格外を注視していたという話、監獄の看守じゃあるまいし。
「丸刈り」は校則ではない
便宜上「丸刈り」を校則と表現しているが、事実は「丸刈り」は校則ではない。
そう無実の子供に加えられる教師・親を共同正犯とする「丸刈り」という虐待・拷問は、子供の全日常を支配するからだ。
校則は学校の規則なのである。「白い靴下をはけ」とかいう愚劣な校則でさえも、ひとたび子供が校外に出れば、その規則から解放されるという事実。
これと比較して「丸刈り校則」を校則と言いくるめるためには、さてどうするべきか?「校則」というなら「丸刈りカツラ」を登校時に校門で支給して、下校時に回収するべきだろう。
こんな思い出があります。
北海道は移住者による土地ですので旧い習俗の尾を引いていることが少ないのですが、一時は都市部と郡部の新旧の風俗生態の差がありました。
私が現職で郡部の高校に赴任した時、その学校の生徒は学則で長髪禁止でした。
丁度、グループサウンズの流行の頃でベンチャーズのあの長髪は思春期の生徒にかっこよく見えたでしょう。
全体に不満がみなぎっていたのですが、それまでの伝統を楯に学校長は頑として長髪を許可しようとしなっかた。
若い教師の一部は生徒の気持ちを汲んで長髪に賛成する者も少なくなっかた。
私は教頭として学校長に、髪を短くする云々が教育効果にプラスになるどころか、志気の停滞につながる旨を進言したのですが、この校長は「私が退職してからにしてください」と承知しなかった。
次の校長の時、すぐ髪の規制を解きましたが、特に問題を引き起こすことはなかった。
活気が出て学校が明るくなるというプラス面があった。
某村の「中学校丸刈り」は長老支配の一つの「せき」です。
封建時代の上、下、老、若、男、女の差をしっかり設けてその上にあぐらをかいていれば世の中、無事、安泰。
全世界の民主化運動のように何かがきっかけになって、あとは一気に新風が吹くようになります。
ただ、これは先の先のことですが新旧交代すると、その新の側で暴走、迷走の傾向が現れることです。
学校の民主化に理解をもった私でしたが一部の急進的な跳ね上がり的な教師の言動には手を焼いたことがありました。
村政などでも旧派はニューウエーブの台頭を恐れるのは、自分達の地歩が崩れると秩序がメチャクチャになると危惧している向きがいるのでしょう。
そこはフリーな話し合いの場をつくり、納得のいくところに到達するようにする。
それが、民主主義の精神です。
そこまで行くのに西原村の状態では、しばらく時と日がいるようですね。
「校則是正という」きっかけで将来、明るく住みよいコミュニティが実現することを望みます。
田舎の人達を馬鹿にするのは止めて欲しいです。
田舎の文化が遅れているように見えるのは錯覚です。
私の住んでいる所は、明治時代からの風習が残っています。
都会から来た人達から見れば異様でしょうが、私達もそれは承知しています。
世の中から遅れているのは十分知っています。
私は東京で暮らした事がありますが、3日で東京人になりました。
田舎の人でも都会の人でも、同じテレビ番組を見ているのですから、田舎の人は流行に遅れているなどということはないのです。
ただ、一般的に田舎の人は、都会の人に比べて生活習慣を変えるのが嫌なのです。
高年齢の人達の住む割合が高いことが原因だと思います。
”丸刈り問題”のサイトなので、一言いっておきます。
高年齢の人達は一般に、小中学生の丸刈りを可愛らしいと思っているようです。
玉虫さんの意見には反対です。
文化の遅れた地域があってもいいと思います。
日本もアメリカのように、同じ価値観を持った人達が集まって、一つの町を作ればいいのです。
異なった価値観を持った人達が同じ地域に集まることで、丸刈り問題などが起こるのです。
丸刈り地域でも、ちょんまげ地域でも、それに賛同した人達で町を作れば問題は起きないでしょう。
だいたい日本は「選択の文化」が遅れています。
もっと外国人を受け入れて多様な文化圏を作るべきです。
中学校の丸刈り問題は、バカバカしい日本単一民族思想の一つの現れです。
匿名AFさんは、結局、日本には、どうしようもないバカ地区が存在していると言っているように思われます。
もし、そうなら住民の教養を高めるために、国や自治体は何らかの政策をとるべきではないでしょうか?
国や自治体が出来ないのならば、良識のある人達が救済してやるべきだと思います。
異様な丸刈り中学校地区が存在するのを知っていながら放置しておくのは、薄情ではないでしょうか。
他の地区の人が意見を言っても、国内の事なので、内政干渉にはならないでしょう。
私も匿名AEさんの意見に賛同します。
私は外国と日本の田舎で暮らしたことがあります。
私の経験から、東京とロスよりも、東京と日本の田舎に、大きな文化の差を感じます。
日本の田舎の問題点は、丸刈りどころではありません。
私は、住民が何を考えているか分からず、薄気味の悪い思いを何度もしました。
匿名AEさんの言うように、住む場所を決めるときは、十分調査をした方がいいと思います。
私は丸刈り反対運動には反対です。
丸刈りが嫌なら、丸刈り地区に住まなければ良いのです。
日本で暮らす大抵の人は、発展途上国には住みたくないでしょう。
同じように、日本の中にも発展途上地区があるのです。
大都市でも、東京と大坂では、かなり異なった文化を持っていますが、都市と田舎では想像以上に異なった文化を持っています。
丸刈り地区は、確かに取り残された地区でしょう。
しかし、田舎で静かに暮らしている人達を混乱させるような、丸刈り反対運動は、かえってその人達に害を与えるのではないでしょうか?
その人達にとっては、中学生は丸刈りになるのが常識なのですから。
私は、都市育ちの人が田舎の人達と価値観を共有するのは、ほとんど無理だと思っています。
とにかく、家を建てる前に、その地区をよく調べることが大切だと思います。
私は、まだ丸刈り中学があったとは不覚にも知りませんでした。
私は制服廃止運動に参加したことはあるのですが、丸刈りとは、すごすぎますね。
私はテレビのニュースや新聞は人一倍注意をはらう方なのですが、不覚にも一度も丸刈り中学の記事を目にしたことはありませんでした。
ネットサーフィンをしていて偶然このサイトを発見し、丸刈り中学の存在を知ることになりました。
私は全面的に丸刈り反対運動に協力させていただきます。
丸刈り諸君、まったくきみらは情けない。
ぼくの行っていた中学は、何十年も前から丸刈り校則など無いので、丸刈り校則について意見を言える立場ではないのだが、服装についてはポリシーをもって校則を破っていた。
ぼくは、制服は一度も着たことがなく、いつも気の向いた服を着て学校に行っていた。
先生に注意され、殴られそうになった事もあったが、ぼくは先生に「殴れるもんなら殴ってみろ」と言ってやった。
結局、先生は、ぼくの事を諦めてしまった。
そこで、丸刈り諸君に言いたい。
”納得出来ない校則など破ってしまえ。勝利は自分で戦って勝ち取るものだ。”
誤解されると困るので、言っておくが、ぼくは落ちこぼれではない。
成績はいつも学年でトップ(別に自慢してる訳ではない)
偉そうな事を書いてしまったが、現在自分のやっている仕事に自身が持てないで悩んでいる。
ぼくの場合は、社会に出てからが厳しいようだ。
僕は、子どもの人権を守る会のボランティアをしたことがありますが、丸刈り中学校が、存在することを知りませんでした。
日本に、まだそんな野蛮な儀式があるとはショックです。
私は、かって丸刈り校則に対して異議をとなえた事があります。
校長先生と教育長は、「子どもは、丸刈りになる前は嫌がりますが、一度、丸刈りになってしまえば平気ですよ」と言いました。
私には、まったく納得のいかない返答でした。
なぜなら、校長先生は、いつも新発売される育毛剤を試しているからです。
ぼくが一番ぼうず頭になるのがいやだった。
眉毛の上2センチぐらいから、額が斜めになっているのだ。
赤ん坊の頃うつぶせで寝ていたせいらしい。
小学校のころ、ぼくは前髪を、目のすぐ上までたらしていた。
よくクラスメイトに前髪をかき上げられてからかわれた。
ぼくは中学に入学するために、ぼうず頭になった。
床屋のおばさんが、バリカンでぼくの頭を刈りながら、
「すぐ、みんなも見慣れるよ。そんなに見苦しくないよ」と言った。
その言葉に、ぼくの心は凍り付いた。
翌日は中学の入学式だった。
友達は、ぼうず頭になっても、ぼくよりはましだった。
みんな、気をまぎらわすために、ぼくを見て笑った。
女の子は気の毒そうな顔をして顔をそむけた。
いったい誰が人間に対して、数十年も前の髪型を強制する権利があるのだろうか?
法律では、学校長に校則全般の運用をまかされているが、現実は違う。
学校長は、赴任してきた中学に、もともと存在していた校則に関わろうとはしない。
公立中学では、学校長は数年で移動するので校則には無関心だ。
また、下手に校則を変えて人の恨みを買うのを恐れている。
つまり、常識的に考えても、学校長は校則を変更する力など無いのだ。
丸刈り校則に関しては、責任者が不在なのが現状だ。
丸刈り校則は、昔からの伝統などと言う人がいるが、昔とは具体的にいつのことだろうか?
江戸時代はちょんまげのはずだし、縄文時代や弥生時代は髪はロングヘアではなかったのか?
いっそのこと、パンツも禁止してふんどしをはかせてはどうだろう。
もちろん、昔からの伝統にこだわるのなら、パソコン導入などもってのほかである。
●今野雄一さんへ
私の発言に対しての”今野雄一”という名前には感激しました。
このシャレが分かる人は1000人に一人もいないのでしょう。
今野雄一さんに免じて、NHKのことは水に流します。
●原選手さんへ
私もピンクレディーのミーが好きでした(えげつない話をするようになるまでは)
彼女との「交換日記」を先生に見つかるとは!!!
本当に想像すると恐ろしい。
私の友人にも、ほとんど同じ体験をした人がいるのですが、先生に殴られて、しばらく非行少年をやっていました。
私には2人の子供がいます。
1歳違いで男と女なのですが、2人とも同じ中学校に通っています。
中学校の校則は厳しく、男子は丸刈り、女子は髪の長い人は結ばなければなりません。また、スカートの長さも細かく規定されています。
ここで問題になるのは、男子の丸刈りです。
家族で繁華街に出かける場合、娘は髪を好きなようにセットし、好きな服を着ていきます。しかし、息子はカツラを付けるわけにもいかず、帽子を深くかぶったまま出かけます。
校則とは、生徒が学校にいるときに守らなければならない規則のはずですが、丸刈りにされると、24時間校則に縛られる事になります。
学校外にいるときも束縛される規則は、もはや校則ではありません。
以上の理由から、私は丸刈り校則が法律と憲法に違反していると確信しています。
このサイトは面白いですね。
ぼくの行っていた中学校が長髪になったきっかけは、額の両側をそり込み、ツッパリをやる生徒の数が増えたことです。
住民や保護者からガラが悪すぎるので、なんとかして欲しいという苦情があり、学校が丸刈り校則の廃止を決定しました。
私は住宅メーカーで働いていますが、夢も希望も無い話をします。
私の知る限り、丸刈り地域が長髪地域に変わることに関して、子供の気持ちを考慮することはありません。
主に、丸刈り中学の役目は、地域の人口をコントロールすることです。
人口をあまり増やしたくない地域は、丸刈り中学のままにしておきます。
逆に人口を増やしたい地域は、長髪の中学に変えます。
また、丸刈り中学を長髪中学に変えると、住宅の価格をつり上げることが出来るので、住宅メーカーが一斉に多数の住宅を販売するときは、丸刈り校則を廃止します。
特に、都心からの人達を大勢、郡部に受け入れる場合は、必ず丸刈り校則を廃止します。
このように、中学校の丸刈り校則は、地域の人口や経済をコントロールする道具として使われています。
田沼雄一クン、きみは嘘をついているね。
高校1年の君が”田沼雄一(加山雄三)”などという名前をつけるはずがない。
ズバリ、あなたは50代のおじさんでしょう!
高校1年の振りをして、丸刈りを賞賛するなど卑怯ですよ。
●渋谷夜市さん●
こんにちは、はじめまして。
ピンクレディーのミーが好きだった原選手です。
母はタイガースのファンクラブのようなものに入っていたと聞いたことがあります。
たしか沢田研二がメンバーの1人ですよね?
背中まで45分(?)とか言う歌、知ってます。
>つまり、丸刈りになることは、ロックスピリッツを売ってしまうことになるのです。
そうでしょうねぇ。
それはわかります。
自分が大切にしている物を意味不明な(?)権力で奪われるのですから・・・。
そりゃめちゃくちゃ悔しいでしょうねぇ。
私も中学時代に悔しい思いをしたことがあります。
当時付き合っていた彼女がいました。
で、私たちは「交換日記」というものをやってました。
いやぁ〜、今考えるとちょっと恥ずかしいような懐かしいような感じですが、ヘタクソな字で「大好き」だの「愛している」だのと書いていました。
で、その交換日記を先生が鞄(机?)の中から見つけだし没収したんです。
特に問題にはなりませんでしたが呼び出されて少し注意された記憶があります。
この時は本当に悔しいやら恥ずかしいやらでした。
その先生が「交通事故にあえばいい」とか「原因不明の大病にかかれ!」とかいろいろ考えました。
結局、僕の祈りも通じずその先生は僕が卒業するまでメチャクチャ健康でしたが・・・。
>それでも当時のロッカーは髪を切りませんでした。
かっこいいですねぇ。
それに比べてココに書き込みしている子供はどうでしょう。
凹む気持ちもわかるけど、もう少し頑張ってほしいよぉ〜。
ちなみに私だったら紅白に出場したいがために髪を切るかもしれません。
それでは・・・。
ぼくは今、高校1年ですが丸刈り中学に3年間行きました。
非常に辛かったんですが、勉強やスポーツに専念して髪型のことには注意を向けないようにしました。
そのおかげで、ぼくは自分の心をうまくコントロール出来るようになりました。
丸刈り校則のおかげで、かえって苦労に打ち勝つ強い心を持つことが出来、感謝しています。
渋谷夜市さんに触発されて私も一言。
私の友人に、ブルーハーツのヒロト(現在、ハイロウズ)とダウンタウンの松本のヘアスタイルの違いがわからんやつがおる。
「松本はただの丸刈り、ヒロトはパンクヘアだぜ」と私がいくら言ってもわからんらしい。
これじゃーパンクロッカーも救われない。
ただ私も、スキンヘッドのロッカーと、坊さんのヘアスタイルの違いはようわからん。
詳しい人がいたら教えて欲しい。
私も中学時代、会津若松市立第四中学という学校で丸刈り生活をしていた、このことはいまでも心の傷となっています、応援します、頑張って下さい。
渋谷夜市さん、私の記憶では、NHKは頭髪で人を選別していたことについて、謝罪していたと思います。
ずいぶん前の事なので、記憶がはっきりしませんが、次のような文面だったと思います。
「NHKは髪型で番組の出場者を選別したことで、著しく人権を侵害しました。心からおわびします。」
間違っていたらすみません。
とにかく、今のNHKは、民放よりも質の高い番組を提供していると思います。
渋谷夜市さんも昔のことは、水に流してやってください。
本物の渋谷陽一さんは、ずーとNHKに世話になっていることだし。
原選手さん、元気を出してガンバッテください。
原選手さんの発言には、なかなか良いところがあります。
と言いながら、私も少しだけ原選手さんに言いたいことがあります。(ゴメンチャイ)
丸刈りになってバンドを解散した少年の件ですが、ロックバンドと頭髪は表裏一体の関係があるのです。
つまり、丸刈りになることは、ロックスピリッツを売ってしまうことになるのです。
最近の若者は知らないかもしれませんが、今から30年以上も前、髪を肩まで伸ばしている男性は、NHKのテレビ番組に出演することが出来ませんでした。
当時、一番人気のあったグループサウンズ(今で言うビジュアル系ロックバンド)のタイガースやテンプターズは紅白歌合戦に出場することが出来ず、サラリーマン風な髪型をしていたブルーコメッツが唯一グループサウンズとして出場することが出来ました。
当時は耳が隠れるほど髪を伸ばしていると、非行少年のレッテルを貼られていたんです。
それでも当時のロッカーは髪を切りませんでした。
当時、非行少年と言われる人達は、長髪でエレキギターを持っていたんです。
つまり、当時の非行少年とは流行の最先端をいっていたカッコイイ人達だったんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私、だんだん何を言いたいのか分からなくなってきましたので結論を出します。
”NHKは初心を貫き、ビジュアル系ロックバンド出演させるな”
”私はポリシーをコロコロ変える会社が大嫌いだ!!!”
今、少々酒を飲んでいるんですみません。
失礼しました。
山田ッピさんに共感して、私なりに丸刈りを学術的に研究してみました。
一般的に次のようになるのではないかと思います。
(1)黒人は丸刈り、スキンヘッドが似合う。
(2)白人、黄色人種は丸刈りは似合わない。
(3)背の高い人ほど、丸刈りが似合う。
(4)太っている人は、丸刈りより、ちょんまげのほうが似合う。
(5)スポーツ選手の中では、K1の選手が断然丸刈りが似合う。
(6)顔が悪い人ほど、丸刈りが似合わない。
(7)額の狭い人は、丸刈りが似合わない。
これは、あくまでも一般論で、丸刈りが似合う似合わないは個人差が大きすぎます。
つまり、中学生を校則で全員丸刈りにするのは、良くないという結論です。
大和さんへ
赤穂浪士が変態どうかは知らないけど、赤穂浪士が敵討ちをしなければならなかった
のは、幕府ではなかったのかと私は思っています。
赤穂浪士は、強い者には逆らわないような人達のような気がして、私は嫌いです。
21世紀を目前にして今なお丸刈り校則が残っている地域があったとは驚きです。
私は現在29歳ですが、私の中学生だった83年から86年ころは全国的に吹き荒れた校内暴力の嵐が漸く収まりつつあった時期なのですが、父兄・教職員の再び引非行生徒の台頭を許してはならないという危機感は相当強いものがあり、あの頃校則丸刈り制を復活させた学校はかなり多かったと記憶しています。
その後90年代に入って学校のムードも相当に緩和されてきました。
(一部には緩和されすぎているようなきらいも無きにしも非ずですが・・・)
制服には教育的効果があることは必ずしも否定できないようですが、髪型の拘束は24時間逃れ得ないという点で学校の指導すべき範囲を著しく逸脱していると言わざるを得ず即刻廃止すべきですが、まあ茶髪金髪は禁止事項として残しておいた方がいいのかなあとも思います。
地方都市や農村部はあまり異端を許さない雰囲気が今なお残っており皆さんのご苦労は察するに余りありますが、どうかめげずに頑張って下さい。
来年21世紀を迎える日本でまだそんなことが議論されているなんて、秩父の山中で日本オオカミを見つけたような感動、いや驚愕とでもいうようなものを覚えました。
もう少なくとも20年前には絶滅し、丸刈りを信奉する保守的教師も定年ですべてさり、それを是と考える人間はいないものと思ってました。
田舎の学校というものは硬直的で自分の保身ばかりに気を配り、改革してゆこうという気概がない教師が多いことは都会となんら変わりないと感じました。
こんにちは、原選手です。
皆さんからご指摘がありましたように私の文はわけがわからんのです。
自分でも書いててそう思います。
一生懸命に書いているんですがねぇ。
早く坊主頭中学校がなくなればいいと思います。
どうせなら長髪になっても規則なんて作らずに自由にしてもらいたいですね。
私は中学卒業後、高専へ行きました(ちなみに補欠合格)制服もなく規則もほとんどなく、単位だけ取れば何も文句は言われません。
高校に行った友達からはうらやましがられました。
坊主頭の中学生にも味わって欲しいです。
●ピチューさん●
>原選手さは、丸刈り問題に関して色々な例をだしていますが、
>話題が本質から外れているような気がします。
はい、私もそう思います。
書いている自分がわけがわからんのですから・・・。
ごめんなさい。
●ピースさん●
>キース・リチャーズやジミー・ペイジもベートーベンのような髪型を
>していた時期がありました。
ごめんなさい。
いや、別にベートーベンの髪型をバカにしたつもりで書いたんじゃないんですが、なんかベートーベンの髪型ってグチャグチャでボサボサでどうみても散髪してないようなイメージだったんです。
少しの間でしたが、私の家内が中学校で音楽の非常勤講師をやっていました。
で、何やら青いスコアブック(?)のような本を見て、私は「モザート」と読んでましたが本当は「モーツァルト」だった程、何も知らないので許してください。
どんな髪型が好きか?と言われても思いつきませんが、今、少し長めでスパイラルパーマってのをかけてます。
●ジタンさん●
これまたごめんなさい。
ジタンさんご意見を読むたびになんかイジめられているような気になります。
しかも難しい言葉が出てくるので調べながら読んでます。
「全然人の意見を理解できんアホな奴」と思っているでしょ?
その通りなんです!
それでは・・・。
他称変態の大和です。
「私は日本の伝統文化として、丸刈り中学生を残してもらいたい」
これが私の気持ちです。
勝手なことを言ってすみません。
私は丸刈り少年達を見ていると爽やかね気分になりますが、本人たちはきっと丸刈りが嫌なのでしょうね。
でも野球部などでは自分たちが好きで丸刈りになっているのかな?
それとも、野球部でも嫌々ながら丸刈りになっているのかな?
とにかく、丸刈り少年にすがすがしさ、かわいらしさを感じる私は、ピグモンさんの言うように変態なのかもしれません。
私は以前、大勢の人の前で「赤穂浪士を日本男子の手本と思っている」と言ったら、思いっきり「変態」と言われてしまいました。
なんで「変態」と言われたのか分からないんです。誰か教えて。
教師にとっても丸刈り問題はつらいのです。
「丸刈りを見直そう」などと言ったら、保護者、教育委員会などから陰険なイジメにあうのは目に見えています。
生徒達に「なんでぼくたちは丸刈りならなければならないのですか」と聞かれるのが一番つらいです。話しをはぐらかすしかないのが情けないです。
実際、学校には丸刈り問題以外にも矛盾がたくさんあります。
自分をサラリーマンだと割り切って仕事が出来ない私のような人間には教師をやる資格が無いのかもしれません。
ピースさんからバトンをうけたジタンです(笑)。
>原選手さんへ
う〜ん、僕の言ったことが正確には伝わっていないようですねえ。
中学校というのは極めて狭いコミュニティー(すなわちムラ社会)ですから、そのなかで一人だけ反抗するのは現実的に無理があると考えてください。
丸がり中学の学区に生まれた子が丸がりにするのは運命なのだと。
ただ、その現実をありのままに受け止め、「丸がりっていいじゃん」などと自分の価値観をねじまげてまでポジティブを気取ろうとするのは、いわば「学校支配の犬」になったも同然ですからどこかで反抗したいのですよ。
バイオリンやバンドができないというのも「丸がりにされたおかげで俺たちはこんなに不幸になった」「俺たちは被害者だ」という自己主張ですね。
ついでに言うと、そうする事によって「丸がりをいいものとする年長者の価値観」にたいして「自分の世代の価値観」をアピールしてるわけです。
そういう気持ちは大切だと思いますが。
特にネットワーク時代においては。
こうやって第三者が介入しやすくなりますからね。
>頑固親父さんへ
前にも書きましたが、中学生をめぐる社会環境はすごいスピードで変化しており、それにつれて価値観も変化しています。
今の中学生に丸がりになって学校に行けというのは、昔の中学生にちょんまげを結って学校に行けというのと同じです。
OLPさん、そんな陰険な方法を中学生に教えてはいけねえよ。
俺らの若い頃は、もっと明るく先公達とやり合っていたもんだ。
俺らの学校にも気に食わねえ先公がいたが、ある時、その先公が珍しく笑顔でクラスに行ってきた。
やっと新車を買って、その車で学校に来たのが嬉しいらしい。
俺らは、何人かで見張りを付けて、人の見てないすきにその車をボコボコにしてやった。
先公は「誰だ俺の車をこんなにしたやつは」と泣きながら怒鳴っていたよ。
ガソリンタンクには、角砂糖を入れられ、車はもう修理のしようもないほどのありさまだった。
それから、その先公は生徒を殴らなくなったよ。
どうだ、さわやかな話だろう。
原選手さんの意見は、とても面白いですね。
一番驚いたのが次の発言です。
>さすがに坊主イヤイヤ中学生でもベートーベンの髪型の方がもっとイヤでしょうねぇ
私は、クラッシク音楽家の中でベートーベンの髪型が一番カッコイイと思っています。
キース・リチャーズやジミー・ペイジもベートーベンのような髪型をしていた時期がありました。
それで原選手さんに聞きたいのですが、有名人の中で誰の髪型が一番カッコイイと思っているのですか?
・・・・・・・・・・・・ん〜〜〜〜もう書くこと思いつかないっす。
あとはジタンさんにバトンタッチしたいと思います。
原選手さんへ
原選手さは、とても優しい人のような印象を受けます。
でも、私の意見に対して、すれ違いを感じます。
弟は、丸刈りで人前で演奏するのは恥ずかしいと言っているのですが、私はそれがおかしな事だとは思いません。
もちろん、丸刈りで人前で演奏するのに、何の抵抗も感じない人もいると思いますが。
弟も、絶対丸刈りで演奏しなければならない状況だったら演奏するでしょう。
例えば、私が「人前で演奏したら3万円あげる」と弟に提案するとか(笑)
原選手さは、丸刈り問題に関して色々な例をだしていますが、話題が本質から外れているような気がします。
中3匿名君、あまい!!!
そのような事をしても何にもならん。
君たちには厳しい罰が待っているだけだ。
私は、喧嘩のプロだから、このような場合の戦略を教えてやろう。
ゲリラ戦術に徹することだ。
ゲリラ、テロには、色々な作戦があるのだが、見つかっても犯罪にならないような戦術を教える。
その先生の家に、3日に一度、匿名で手紙を出すことだ。
内容は、「生徒をいじめるのを止めて下さい。生徒は悲しんでいます。あなただってあなたの家族が急にいなくなったりしたら悲しいでしょう。」
この文章を送り続けると、相手にかなりのストレスを与えることができる。
気を付けなければならないのは、封筒にカミソリを入れたり、家族に危害を加えるという内容のことを書かないこと。
見つかったら犯罪になる。
それでも、用心のために手紙には指紋を付けないようにすることが大切だ。
ぼくは中学生ですが、このコーナーに相談したいことがあります。
ぼくの通っている中学校は丸刈りです。
頭髪検査はかなり厳しく、一週間に一回行われます。
髪の伸びている人は、見せしめのために、みんなの見ている前でバリカンで刈られる場合もあります。
ぼくは、髪が少し伸びていたのですが、先生に髪をつかまれて引きずり回されました。
このような事は、何人もの生徒が体験しています。
それで、ぼくたちは相談し合ったすえ、その先生をみんなで取り押さえて、バリカンで先生の頭を刈ってしまおうと計画しました。
実行にうつす前に、誰かアドバイスをください。
●ピチューさん●
こんにちは、初めまして。
坊主強要反対の原選手です。
バイオリンですかぁ。
バイオリンと聞くと中学校の音楽教室に飾ってあったベートーベンの髪型を思い出します。
(ベートーベンってバイオリンやれるのでしょうか?)
さすがに坊主イヤイヤ中学生でもベートーベンの髪型の方がもっとイヤでしょうねぇ(笑)
で、しつこいようですがそんなの関係あるのかなぁ。と思うです。
でも、どうしても耐えられないんでしょうねぇ。
私にもこれだけは耐えられない!って事がありますしね。
(私はイジけませんけど・・・。)
ヘンな言い方になると思いますが文句を言っているつもりではないので読んでください。
もう何年も前になるのですが、アメリカのどこかの学校での事です。
1人の少年が抗ガン剤投与の副作用で頭がツルツルのピカピカになりました。
「実際に、丸刈りバンドは、お笑いバンドとして位置づけられている」くらいですから当然、その少年も「クソハゲピカピカズルズル最低野郎」とバカにされたり、殴られたりすると思ったらなんと!
・・・クラスメート全員がスキンヘッドにしたのです。
しかもニコニコ笑いながらやってました。
私は涙が出ましたよぉ。
しょ〜もない映画より感動しました。
下の書き込みを見るとアメリカでは犯罪人は坊主であって、最低最悪野郎の髪型なのに・・・。
ちなみに弟さんはこんなことできますか?
坊主のせいで自分の好きなこともできなくなるくらいだから
他人のことで坊主になるなんて・・・。
で、私の本音なんですが、坊主だからってイジけるな。
他のクラスメートは自分の趣味をやめたか?
もしかしてイジけているのは君だけでは?
もしかして弱虫?
坊主でイジけるくせに運動が人より下手だったり、勉強ができなかったりしてもイジけないの?
髪型なんて自分の実力や性格とはなんら関係ないのにそんなにイジけて、実力差がハッキリと出る運動や勉強、趣味で明らかに人より劣ってても気づかないフリしてない?
カッコばっかりじゃないか!
と思うのです。
ちなみに私は坊主強要反対です。
でも、坊主を強要されたからと言ってイジけてるのはもっと反対です。
中学生はまだ子供で弱いって下の書き込みのどこかでありましたが、弱ければイジけていいのかなぁ。
少しも自分で反発せずにブーブー文句言うのは坊主頭よりももっともっとカッコ悪いと思います。
いつもわけがわからない文章でごめんなさい。
それでは・・・。
丸刈りとは一種の人間の選別作業だと思います。
一時期、イッキ飲みが流行りましたが、これと同じです。
酒に弱い人間から先に死んでいくのです。
酒に強い人間だけが生き残ります。
では、何のためにイッキ飲みをするのか?
それは、酒に強い人間が、酒に弱い人間を殺すことによって、今までの隠れていた残虐な性格を解放するためです。
このような残虐な習慣が日本では認知されています。(日本は異常なのです)
酒に強い人間が、このことを巧みに利用しています。
丸刈りも、一部の丸刈りに強い人間が、丸刈りに弱い人間を攻撃して、ストレス発散をしているのです。
丸刈りのような残酷な習慣も日本では認知されています。(日本はやはり異常なのです)
丸刈りに弱い人間は、感受性の強い思春期に大打撃を受けて、一生、人生の表舞台には出られなくなります。
丸刈りされた人間の自殺の割合が高いこともこれを裏付けています。
政府の教育改革国民会議で、教育基本法の見直しが行われた。
内容の一つに、”他人を思いやる気持ちをはぐくむために、小、中、高校に奉仕活動の義務化を盛り込む”がある。
丸刈りにされた中学生に”他人を思いやる気持”があるとでも思っているのか、このバカどもは?
丸刈りにされた中学生には”他人を憎む気持”しかないのである。
頑固親父さん、いい度胸をしてますね。
ぜひ、写真を送ってください。
ただし、丸刈りはダメですよ。
自分が一番嫌いな髪型を3年間しなければならないのが、丸刈り問題の本質ですから。
頑固親父さんは、モヒカン刈りにして髪はピンクに染めて下さい。
写真を待っています。
みんな、結構くだらない議論をしているようだな。
丸刈りなんて小さな問題でよくこれだけ話ができるものだ。
世の中にはもっと大変なことがあるんだ。
おれは3年間ぐらい丸刈りになるのなんてなんてこたあないね。
なんなら丸刈りになった写真を送ってやってもいいぞ。
>●先進国の学校で、丸刈りを強制しているのは日本だけである。
これが本当なら恐ろしいですね。
私の記憶では、確か北朝鮮の中学生は丸刈りだったと思います。
でも、北朝鮮の場合は徴兵制と関係があるようです。
接近戦で、敵に髪の毛を捕まれないように丸刈りにしているようです。
日本の強制丸刈りも太平洋戦争の名残ではないでしょうか。
山田ッピさん、私は以前、丸刈りに関する研究資料を見たことがあります。
それによると、丸刈りが未だ日本に残っている原因は、大人の異常性欲者の割合が世界の平均よりも高いことに原因があるようです。
日本は同性愛者の割合は低いのですが、少年に対する異常性欲者は世界の平均よりもかなり高いのです。
日本では、男の子が生まれることを喜ぶ風習はいまだに残っています。
実際、天皇には男しかなることが出来ませんし、土俵には女は上がれません。
この男の子を尊ぶ文化が、大人の異常性欲者を増やした原因だそうです。
少年を丸刈りにすることは一種の去勢行為にあたるそうです。
少年が大人になるのを、できるだけ遅らせたいという大人の願望によるものだそうです。
どなたか、”丸刈りの歴史文化的な研究”について、このサイトで発表していただけないでしょうか。
丸刈りが世界の中で、どのように解釈されているのか、とても興味があります。
とりあえず、私が丸刈りについて知っていることを書きます。(間違っていたらすみません)
●アメリカでは州によっては受刑者に丸刈りを強制している。
●日本の刑務所では近年、受刑者に丸刈りを強制しなくなった。
●日本の少年院では丸刈りを強制している。
●軍隊に丸刈りを強制している国がある。
●捕虜を丸刈りにする国がある。
●先進国の学校で、丸刈りを強制しているのは日本だけである。
以上は、私がニュースなどから得た情報です。
もし、丸刈りの文化などを研究している方がいたら、このサイトで発表してください。よろしくお願いします。
原選手さんが、丸刈りとバンド活動の事について書いているので、私事を少し書かせてください。
私の弟は、以前、丸刈り校則のある中学に通っていました。
弟は小学生の時からバイオリンを習っていて、発表会にはいつも出場していました。
しかし、丸刈りになっていた中学時代は、バイオリンを人前で演奏したことは一度もありません。
同学年の友達が全員長髪だったので、丸刈りでバイオリンを演奏することには耐えられなかったようです。
しかし、中学時代もバイオリンを一生懸命練習していました。
原選手さんは「本当にバンドを一生懸命やってるのか疑わしいです。」と言っていますが、やはり丸刈りで人前で演奏するのは無理ではないでしょうか?
特に、長髪のバンドと一緒の場を共有する事は無理でしょう。
実際に、丸刈りバンドは、お笑いバンドとして位置づけられています。
もし、ビジュアル系のロックをやっていたのなら、聴衆に笑われるだけです。
私はこの人達に、中学3年間の惨めな状態を踏み台にして、頑張って欲しいと思います。そのためにも、今は「練習に専念する時」と割り切って欲しいと思います。
中学の3年間はとても長く感じられると思いますが、頑張ってください。
タレカバさんへ
>個性を全く認めない象徴とも言える”丸刈り校則”など、真っ先に全国から無くさなければならないでしょう。
>それが出来ないのは、角さんのような人達が大勢いるからではないでしょうか?
これは違うと思います。
政府、文部省が無能と言うか、混乱しているのが原因だと思います。
国は個性的な教育を推奨していながら、学校の校長には以前より強い権限を認めています。
もし、国が一貫した教育姿勢を押し進めるのなら、校長に強い権限を認めるのには問題があります。
国の政策と校長の考えが違っていたらどうなるのでしょうか?
今のところ、丸刈り校則は国ではなく、校長に権限があるようですが。
国の教育政策の中で、”学校を選ぶ権利を各家庭に与える”ということを試しているようですが、丸刈り中学校と長髪中学校のどちらかを選べるとしたらどうなるでしょう。
丸刈り中学校を選択する生徒が一人もいないのは、火を見るよりも明らかです。
選べる学校が複数ある都会の子どもにはいいでしょうが、丸刈り校しかない地方の子どもには「あきらめて丸刈りになれ」とでも言うのでしょうか?
国は、丸刈り問題を棚上げにして、よくこのような教育政策をとれるものです。
この例からも、国の教育に対する無責任さが分かります。
>丸刈り反対運動にですが、丸刈り中学校は毎年減ってきています。強引に反対運動をすることもないんじゃないですか?
タレカバさんは、このように言っていますが、丸刈り犠牲者を一刻も早く助けたいと思っているのは、私だけではないでしょう。
子どもにとって、強制丸刈りは本当に、不公平かつ残酷な儀式です。
>田舎の人や年寄りの常識に配慮しているのだと思います。
このようなことを言うのは非常に無責任だと思います。
大人を喜ばせるために、子どもを犠牲にすることが許される訳がありません。
角さんが、やりこめらているので、私が助っ人で参加します。
ジタンさんが、常識を”あまり意味のある物とは思えません。”と言っている部分にちょっと引っかかります。
なぜかというと、今、総理大臣直属の教育しもん機関?(はっきりした名称は覚えてない)では、個性を重視した教育を前面に打ち出しています。
それならば、個性を全く認めない象徴とも言える”丸刈り校則”など、真っ先に全国から無くさなければならないでしょう。
それが出来ないのは、角さんのような人達が大勢いるからではないでしょうか?
田舎の人や年寄りの常識に配慮しているのだと思います。
常識は時代や地域によって変化するものですが、やはり、みんなが我慢できる範囲で妥協点を見つけなければならないと思います。
ジタンさん、きみのように強い人ばかりではありません。弱者の気持ちも分かって下さい。世の中の変化の速さについていけない人も大勢いるのです。
丸刈り反対運動にですが、丸刈り中学校は毎年減ってきています。強引に反対運動をすることもないんじゃないですか?
丸刈り反対者の意見は、もっともです。
しかし、少し考えて欲しい。
例えば、東京で一斉に中学生が丸刈りになったらどうでしょう。
東京の景観がかなり変わり、ほとんどの人が気持ち悪いと思うでしょう。
それは、東京では中学生が長髪なのが当たり前という常識が、長い間続いて来たからです。
今までの常識を急に変えるとういことは、かなりの人々にショックを与えるのです。
つまり、ずーと続いてきた丸刈りの習慣を急に変えるということは、そこの住民にかなりのショックを与えることになります。
人によっては、かなりの苦痛を感じる場合もあるでしょう。
そこで、私の提案ですが、段階的に長髪にしていったらどうでしょう。
まずは、スポーツ刈りを3年くらい認め、その後、少しずつ段階的に髪を伸ばしていくことを認めるという方法です。
>角さんへ。
このサイトの趣旨からははずれますが、どうしても言っておかなければならない事があるので聞いてください。
●私は化粧をする男が大嫌いだ。
好き嫌いは感情の問題ですので、嫌うのもおおいにけっこうな事です。
というよりあなた以外の人にはその感情に関してあれこれ言う資格などありません。
ただ、裏を返せば「化粧をする男を好きな人間」もいるわけです。
人は生きながらにしてすべての人に好かれる事など不可能です。
だから「自分にとって大切な人」には好かれるように努力もするし、「大切でない人」には嫌われてもかまわないわけです。
僕がファッションや髪型に気を使うのも、「大切な人に好かれるための努力」なのです。
化粧も同じと考えてください。
●常識の範囲でやって欲しい
常識とは社会全体で共有する概念です。
けっしてあなた一人のものではありません。
また、社会状況によって常識などすぐに変わりますし、「社会」をどこからどこまでの範囲で区切るかによっても変わります。
すなわち、あまり意味のある物とは思えません。
あくまで目安ですね。
あなたが言った「常識」が、どの時代のどこからどこまでの範囲での事なのかはよくわかりませんが、すべての時代、すべての社会において通用すると思ったら間違いです。
●最近の女は男の社会に進出することを良いことだと思っている
僕はそうは思いませんが・・・。
実際若い世代の女の子の考えは十人十色で、ひとつの考えに押し流されてる感じは
しませんでした。
まあ、昔よりは多様化が進んでいるという事でしょう。
ただ、10年以上前に、キャリア指向の女性がまだ物珍しかった頃には、それをメディアがおもしろがって取り上げていた事がありましたが、そういうのは今は下火みたいですね。
●女にとって一番すばらしいことは、家庭を守り、子育てをしっかりやることだ。
これはあなたの女性の好みの話ですね。
そうとしか受け取れませんが・・・。そういうのが好きならそういう女性と結婚すればいいだけの話です。
僕はそういう女性は好きではないので、世の中がそういう女性ばかりになってしまうと困るわけですが・・・。
ついでに言うとステレオタイプなキャリア指向の女性もあまり好きではありませんねえ。
最後の話に関連しますが、いわゆる「良妻賢母教育」というのが戦後、女性たちに対して行われていた時期がありました。
しかしそういう教育を受けた女性たちも、家庭に入り、子供が学校に行くようになると他人に評価される機会を失うわけです。
で、他人の評価を得るために子供を受験戦争にかりたてる。
当然子供は反発する。
そうして家庭、ひいては学校までが意味そのものを解体していくわけです。
まあ、ここまではいろんな人の受け売りで書いてきたわけですが、大事なのはここからです。
家庭や学校が求心力を失うと、必然的に子供たちに一番影響を与えるのはメディアだという事になります。
いわば僕らの世代は「メディアの子」と言えるわけですが、メディアには丸がりはネガティブな意味あいでしか出てこず、メディアの中の「自己を投影して見る人物たち」は丸がりではないわけですから、丸がりにしたとたんにどうふるまえば自分らしさが保てるのかがわからなくなってしまうわけです。
今、メディア(特にテレビ)は急速に力を失いつつあり、これからの子供たちがどこへ行こうとしているのかはよくわかりませんが、社会環境によって同じ一つの事例においても意味が変わる事は理解してください。
>原選手さんへ
あなたが言っている事は綺麗ごとのように僕は感じました。
子供は政治的にも精神的にも弱いものです。
だれかが支えになればそういう活動もできるかもしれませんが、普通は無理だと考えてください。
また、このHPに自分の意見を載せる子供たちは立派だと思います。
それが人の心を動かす事もあるのです。
半強制的に丸がりにされる子供たちの、心に受けた傷を考えると、僕自身は丸がり校則は「絶対悪」だと考えます。
それはこのサイトの趣旨でもあるでしょう。
そういう観点で見れば、あなたの言ってる事は、「泥棒にあったら自力で捕まえろ」と言っているようなものです。
私は、子供が中学の時、田舎に家を建てました。
それで、私の子供は、長髪中学から丸刈り中学に転校するはめになってしまいました。
入学の手続きをするとき、ゾッとしました。
その時、私はいまだに丸刈り中学が存在しているなんて、想像もしていませんでした。
「しまった。」と思いました。
子供はもちろんいやがりました。
先生に相談しても「校則ですから」と言われるばかりで、とうとう、子供は丸刈りになってしまいました。
でも、子供は、生徒会で、丸刈り校則についてとても真剣に頑張りました。
結局、学校よりも丸刈り強行の保護者に圧力をくわえられ、活動は終わってしまいました。
子供はとても傷ついた様子でした。
その間、なんども元いた所への引っ越しも考えましたが、結局、決断できずに月日だけが過ぎていってしまいました。
今、私の子供は高校へも行っていません。
あの時受けた傷が深かったように思います。
母親としては、とてもつらいです。
今はただ、見守っていくことぐらいしかできません。
●ジタンさん●
>僕は丸がりという髪型がかっこ悪いと言っているのではなく、それを強制され
>甘受する事が生徒の大半にとって屈辱的である、という事を言っているのです。
そうですか。それなら私の意見と似てませんか?
私も「強要」は反対です。
でも、私が書いている文句(?)のような所は、坊主頭のせいにしてバンドを解散したり、メール友達に自分の写真を加工して送信したりしてるという事が理解できなかったのです。
バンドを解散したって事はバンドをやるというプラスの行動より、坊主頭というマイナスの事の方が大きいということですよね?
本当にバンドを一生懸命やってるのか疑わしいです。
「どうせ坊主だから・・・。」って投げやりな態度で何か変わりますか?
そしてそれを「大人」が「理解」して「大人」が校則を変えるんですか?
子供は文句言ってるだけですか?
それこそ甘受してるんです。
甘受するくらいなら文句は言って欲しくありませんし、それじゃ誰のためだかわからなくなる気がします。
今、バンドを解散した子供は何をやってるのでしょうか?
家でTVゲームでもやってるのかなぁ。
それとも夏休みだから髪の毛を伸ばしているのかなぁ。
そして、誰かが校則を変えてくれるのを待ってるの?
これって先日話題になっていたゼロ金利政策問題と似ているような気がします。
先送り主義の典型的なパターンだと思いますが、問題を先に延ばしにしたところで有効な結果が得られるケースは少ないと思います。
(ゼロ金利政策で一部の企業や銀行は助かったのかも知れませんが・・・。)
(個人的には資本主義に反してると思います))
生徒会長にでもなって坊主反対運動やったけど、校則は変わらなかったって悩みだったらそれはとても素晴らしい事だと思います。
でも、「子供の声」にはそんな書き込みは見あたりません。
全てが愚痴だと思います。
愚痴や言い訳ばかりじゃ社会に出ても責任のある仕事は任せられません。
「殺されることはあっても、打ち負かされることはない」という強さが欲しいと思って書き込みました。
・・・なんだか、書いてるうちに自分でも何を書いているのかわからなくなりました。
ごめんなさい。
哲人さん
宇宙人などいるわけないでしょう?
UFO番組は、すべてでっち上げなんだよ。
テレビ局は、視聴率を取るためには何でもするんだよ。
おれは、30年も前からアホ矢追のUFO番組を見てきたけど、現在まで、UFO問題は何の進展もないんだ。
UFO信者は、来年こそは、UFOが公の場に姿を表すと言い続けて、いつの間にか30年がたってしまった。
テレビ局も、さすがにノストラダムスでは、もう視聴率は取れないと思って止めてしまったが、UFO番組ではいまだに高い視聴率を狙っているようだ。
ジタンくん、私は化粧をする男が大嫌いだ。
確かに法律で禁止されているわけではないが、違法でないならば、どんなことでも許される分けではない。
非常識なことをされると誰だって嫌なものだ。
個人の価値観は尊重すべきだが、常識の範囲でやって欲しい。
女はしっかり生きていないとは思わない。
ただし、最近の女は男の社会に進出することを良いことだと思っている。
女にとって一番すばらしいことは、家庭を守り、子育てをしっかりやることだ。
私はすばらしい女を何人も知っている。
この間UFO番組を見ていたら、宇宙人は、みんなハゲているということに気がつきました。
地球人も進化したら、みんなハゲになるのでは。
それならば、いっそのこと今のうちに丸刈りになって、少しでも未来人に近づいておいた方がいいような気がします。
つまりこうです。
ハゲ=宇宙人=未来人=頭のいい人
髪を伸ばすことが流行るということは、進化に逆行しているのかもしれません。
角さん、中学生の校内暴力の統計なんて、まったくのデタラメですよ。
だいたい、校内暴力の起こった数をどうやって調べるんですか?
何を持って校内暴力と定義しているのですか?
私の体験だと、小さな校内暴力など、クラスの中で毎日起こってましたよ。
だいたい、いじめや校内暴力などは、人に気づかれないようにやるものですよ。
殺人事件でもない限り、正確な数は分からないのですよ。
私の中学時代には、先生に殴られたり、生徒同士の喧嘩で、実際に怪我をした人を何
人も見ました。
しかし、だれもそんなことは気にしませんでしたし、絶対に校内暴力の統計には入っていません。
ピースとか言う人、君は全く戦争を知らないようだ。
私は戦争体験の無い君に、戦争のことは分からないと思うし、教える気も無い。
話は変わるが、最近の全国調査では、中学生の校内暴力が増加したそうじゃないか。
確か、3校に1校の中学校に暴力問題が発生してるそうだ。
私は、長髪、茶髪にしたがる中学生が、このような問題を起こしていると思うが、どうだね。
ワオ!!!このフォーラムは盛り上がってるね。(^。^)!
〜〜〜〜〜〜〜〜
アーしんど。(>。<)!
掲示を全部読んだら疲れてしまった。^(@。@)^
それでと、ぼくとしてはジタンさんの意見に一番共感しました。
ジタンさんのような人ばかりだと、丸刈り校則なんてすぐに無くなるんじゃないかな。
>原選手さんへ
僕は丸がりという髪型がかっこ悪いと言っているのではなく、それを強制され甘受する事が生徒の大半にとって屈辱的である、という事を言っているのです。
もし、自分からすすんで丸がりにするのなら、それはそれで大いにけっこうな事ですし、どんどんやってくれとしか言い様がありません。
たしかに、戦後教育の名において行われてきたことは、強制とそれに対する適応の繰り返しだったのかもしれません(僕自身はそれに対してもつねづね疑問をいだいていますが)。
ただ、丸がりに関しては、個人の適応できる範囲をはるかに越えているというか、あまりにも残酷すぎるという事ですよ。
それは楽器がしょぼいとか、背が低いとかそういうレベルの話ではないのです。
みずからのアイデンティティーに関わる問題なのですよ。
>角さんへ。
若者の規律が乱れているとはどういう事でしょう。
具体的な記述がないので憶測でしか語れませんが、「公共マナーの低下」とかおっしゃられるのなら、僕も同調します。
そういう事については、大人がきっちりと教えこむ必要があると思います。
ただ、すべての若者が公共マナーが悪いというわけではなく、彼らがマナーが悪いだけにどうしても目立ってしまう、という部分もあると思いますが。
「男が女のように髪型を気にする」に関しては、完全に個人の価値観の問題です。
化粧をする男もいます。
でもそれらはそれぞれの美意識の元にやっている事ですから放っておかれてはいかがですか。
>「もっとしっかり生きていったらどうだ」
とは、まるで女はしっかり生きていないと言っているようにようにも取れるのですが、どうですか。
角さん、あんた本当に戦争体験者なんですか?
戦争体験者なら、どんなに旧日本軍が残虐なことをしてきたか知っているでしょう。
歴史の上では、戦争による集団虐殺事件が数多くありますが、旧日本軍は楽しみながら人を殺していたのですよ。
世界的には旧日本軍は、歴史上、例の無い残虐な集団と見なされているのですよ。
>私達の若い頃は、皆君たちより責任感があり、自分の考えを持っていた。
私達若者は、あなた達より、はるかに思慮深いのですよ。
これからは、現実から逃避するのを止めて、あまり馬鹿な事は言わないで下さい。
はじめましてこんにちわ。
告発サイトMLを見てあなたのサイトを見ました。
まだあるんですね。坊主頭の校則って。恐ろしい〜。
老人会に通って、やっとパソコンが使えるようになった。
掲示板で偶然ここを見つけたので、この際、若い世代に言っておきたいことがある。
戦争体験者である私の目から見た、近頃の若者の規律の乱れは非常に残念だ。
私達の若い頃は、皆君たちより責任感があり、自分の考えを持っていた。
男が女のように髪の毛に気を使うなど、本当に嘆かわしい。
もっと、しっかり生きていってはどうだ。
以上
坊主を「強要」するのは反対です。
別に七三分けにしようとスポーツ刈りにしようと大きなお世話だと思います。
でも、少し思うことがあります。
私は坊主にしたことがあります。
坊主だったからと言って悔しい思いをしたこともないし、バカにされたこともなかったと思います。
もし、「やーい、やーい、坊主野郎!」と言われたとしても坊主がアホなのではなく、坊主野郎!と言った奴がアホなんですよねぇ。
バンドやってても坊主だと「さま」にならないから解散したと言ってますが、髪が長かったら「さま」になるの?
もし、髪が長かったら今度はギターが安物だからイイ音が出ないって言い訳しそうな気がする。
そんなカッコだけのバンドなんて魅力ありませんよねぇ。
カナダのメールフレンドに修正した自分の写真を送って失礼だと思いませんか?
もし、髪が長かったら今度は修正して身長を伸ばしたりしそうな気がする。
そんなウソだらけのメール交換なんて楽しくありませんよねぇ。
結局、自分に自信がないから言い訳してるのではありませんか?
ちなみに私はかなり肌の色が黒く、よく人から「黒すぎ!」とか「汚い!」と言われますが、色が黒いからと言って白い人をうらやましく思ったこともないし、白くなろうと思った事もありません。
「私は真っ黒だよぉ〜(^^v」って感じかなぁ。
ジタンさん
>実際茶髪にしてみると、心に余裕が出来たというか、何事にも積極性が・・・
とあるが、髪の色で、そんなに気持ちが変わるなんて信じられん。
わしのような年輩の人間にとっては、どうしても茶髪と非行を結びつけたくなる。
考えが古いのかな?
俺の住んでいる所は、長髪のうえに茶髪を黙認している中学校と、丸刈り中学校が混在している。
町の中では長髪の中学生の方が元気がいいようだ。
丸刈り中学生は、おとなしく見える。
どう見ても丸刈り中学生の方がまじめそうだ。
しかし、ここにこそ問題がある。
最近よくある、”切れる子ども”は、まじめそうに見える子どもばかりだ。
強制的に丸刈りにされた中学生は、心の中に爆弾を持っているようだ。
俺は丸刈り校則には反対だ。
ちなみに僕自身は現在茶髪にしております。
別に特に深い主義主張があるわけではありません。
西洋かぶれ、流行追随などの年配世代が考えがちなイデオロギー的なものがあるわけではありませんし、特定のコミュニティーに同化するためでもなければアウトローを気取ってるわけでもありません。
僕の中では黒髪も茶髪も並列に存在していて、茶の方が似合うだろうから茶髪にした、というところです。
赤い服を着るか青い服を着るかの違いみたいなものです。
実際茶髪にしてみると、心に余裕が出来たというか、何事にも積極性が出てきたというか、意外なほどの内面的な変化がありました。
これは髪の色を変えることで、「自分が理想としている自分」に一歩近付けたからだと思っています。
さて、ひるがえって丸がりはどうでしょう。ひとつ気になる話がありました。
それはバンドをやっていた中学生が丸がりがかっこ悪くてバンドを解散してしまった、という話です。
これはいくらなんでもかわいそうですね。
丸がりになってもバンドを続ければいいじゃん、とお考えの人もいるかもしれませんが、不本意ながら丸がりを甘受する事により、消極的になった気持ちではロクな演奏などできないでしょうからそれは仕方のない事なのかもしれません。
大事なのはここからです。
つまり、丸がりをいやいやながら受け入れてしまうと、恋愛、交友、趣味など自己表現が必要なあらゆる局面で消極的な思考しかできなくなるという事です。
まあ、それが中学の3年だけですめばまだいいのですが、心に染み着いた負け犬根性はそう簡単には払拭できないでしょうから、将来にわたるまで人格形成に大きな影響をおよぼす事になります。
これが僕が丸がりを恐い、と思う理由です。
黒犬さんへ
あなたの意見は間違っています。
丸刈りは日本人男子の精神の高さを象徴しているのです。
私のまわりには、進んで丸刈りになる中学生が何人もいます。
私の息子も進んで丸刈りになりました。
若者の生活が堕落している今こそ、丸刈り校則が復活すべきです。
今の日本の若者には、礼儀作法、年長者を尊敬する気持ちなど、まったくありません。
男子の丸刈りは日本の美徳だと思いませんか?
茶髪の中学生がこれ以上増えると日本の国に将来は無いと思いませんか?
僕の勝手な想像ですが、丸がり支持派の人達は、どうやら理屈や理想論が通用する相手ではありません。
彼らの目には東京の一部の、一般的に風紀が乱れているとされる女の子達を見て、髪を染めたりしているからああいう場所に出向く事ができ、そしてそこにいるが故に非行に走るのだ、などという感覚を持っているのではないでしょうか。
つまり髪を染めてなければああいう場所にも出入りしにくいだろうから、結果非行にも走らない、という理屈です。
まあ、この考えのどこが間違っているかはさておいて、こういう感覚を持っている人種というのは、こちらの意見など聞き入れたりしないものです。
むしろ相手のふところに入って攻撃するぐらいの感覚で行かなければだめなのではないでしょうか。
こういう事を言う先生にぜひ聞きたいのは、「じゃあ、女子はなぜ丸がりにしないのか」という事です。
髪を染めたりさせないための方策だとすれば、女子にも同じ事があてはまるはずだし、女子を丸がりにするのはかわいそうだと言うならそれは男子とて同じです。
男女同権の思想から言ってもそれが正しいはずじゃないですか。
先生も丸がりにしろ、とか言うよりは効果的なはずです。
万が一本当に女子にも丸がり校則が適用されたらどうするかって?その時はマスコミや一部の親が黙ってませんよ。
まあ、丸がり校則はそれぐらい男子にとってもつらい事なのです。
一度、だれか最寄りの先生にたずねてみてくれますか?
社会において理不尽な事を強要される事はないこともないですが、そんな時、僕が受け入れられるかどうかの基準は、「女にも同じ事を強要できるか」です。
これはまあ、僕の個人的で主体的な考えなのですが、フェミ男くんならではの考え方でしょうね。
最後に、僕の教育論ですが、僕は、「あってはならないのは犯罪ではなく、不幸である」と考えます。
犯罪が悪なのは、被害者が不幸だからなのです。
つまり、犯罪をなくすために、かえって不幸を増大させるような方策はだめなのです。
つねにすべての人の幸福度を基準に物事をおしすすめなければならないのです。
もう20年にも前になりますが、私たちも丸刈りでした。
もちろん、例にたがわずいやだったのですが地域性もあってほとんどの校区で実施されていました。
結論からいうと私は「丸刈り」が拷問であったり、愚劣な校則であるとは思いません。
むしろ、個人の自由を履き違えた規律の無い大人たちの活動程度にしか受け取れません。
「丸刈り」校則だけではなく本来、校則そのものにたいした意味はなく校外に一歩出ればなんの効力ももたないものなのですから・・・
しかし、「虐待」という言葉が妥当かどうかは疑問の残るところで話題にしなければしないで集団行動における規律であったり、ルールを与えるひとつの手段でもあると思うのです。
それが善い、悪いに関わらず、すくなくとも自分自身の思考とは別の部分でその環境に適応する力も必要なのです。
あなた方が思う「確信」をもってして「騒動」にしている念がひっかかります。
戦時教育から受け継がれてきている感がすこし気にはなりますが、高校野球の「丸刈り」をみても今になって清々しささえ感じるのは私だけでしょうか?
最後にひとつだけ言いたいのですが、私も親の一人として人間性の教育はすべて親の責任だと自覚していますが、大半の人はその環境までも選ぶことはできないのです。
それが嫌だと言っているのではありません。
その環境のなかでいろいろな人と付き合い、いろいろな思考をめぐらし、それをサポートしてあげるのが教育なのです。
丸刈り反対を訴えるのもいいですが、一方的な意見が多く、「非行の原因が100%家庭の問題・・・」などと言い切ってしまうあたりはすこし切ない感じがします。
もうすこし、意見の間口を広げる為にも考えた方がいいのでは・・・
今,国連でアフリカの女性○○切除手術が問題になっています。
今までは,その話題はタブーになっていました。
毎年一億人の少女が,手術を受けるそうです。
信じられないくらいに残酷な慣習だと思いますが,丸刈り校則も発想の原点は同じだと思います。
このような虐待は,性的虐待か民族的な虐待の2通りしかありません。
丸刈り校則は明らかに性的虐待です。
男子中学生を丸刈りにして喜ぶ大人は,倒錯しているか気が狂っているかのどちらかです。
うちの近所の香芝市立香芝中学校はいまだに丸刈り。
保護者からの要望が強いからだそうです。
生徒はやっぱりいやがってる。
3年の後半からは長髪もOKになるだけましかな
丸坊主には反対です。実は、私も学生の頃の頭は丸坊主でした。
やはり髪型で、外出がおっくううになったりしますね。
逆に何故坊主にしなくてはならないの?と聞きたくなります。
ところで、「戦争する髪型=丸刈り」考 匿名 が書いた日の丸拒否についてですが、何も軍国主義に賛成するつもりはありません。
しかし、日の丸反対ってことは、日本と云う国を否定するのですか?
日の丸=軍国じゃなく日の丸=国旗でしょう
自分の国の国旗を否定する国民は、世界中さがしても日本だけじゃないですか?
それは、日本人が変に自由と云う言葉を穿き違えているからだと思います。
そんなに日本が嫌なら他の国に移住すればいいのでは
こんな奴が日本にいるから、この国が良くならないと思いますよ。
以上
私の兄は丸刈り中学でした。
いとこは、同級生で長髪中学でした。
お盆やお正月に親戚が集まる時、嫌がって、自分だけ部屋に閉じこもっていました。
私も兄だけ、年下の子供に見えるし、なんだかカッコ悪くて、気の毒に思っていました。
どうして、義務教育なのに、地域によって違うのでしょうか。
もっとも・・・もありますが
人間・・・つまり人には「らしさ」が必要です
赤ちゃんは「赤ちゃんらしく」
幼稚園児は「幼稚園児らしく」
小学生は「小学生らしく」と中学、高校までは規律ある心を養うために・・・チャパツ???
あれはテレビの世界であってスターであって見られること、一般人まして勉学に励む時、「締りがない」学校の先生、地方自治の職員など集合的環境の場合、カラー、スタイルは自由でも・・・
警察官がラフスタイルで交番に居ても格好がつかない・・・ビシッ!と髪型、服装、履物を決めてその上で大切な「心」決める、バブル期の贅沢な「物」と「心」が現代の大勢の「人と人の中に生きる規則」を忘れている。
<簡単に人を戒める><電車内の携帯電話><子供の会話>つまり、そんな地球上に生きる「常識」が大切です。
貴方のHPとは全く逆の意見なのですが。
私は、丸刈り校則はむしろ復活するべきだと思います。
現在、17歳などの中高生の犯罪が急増しています。
これは、自由という物がもたらした世間を分かっていないものが、訳も分からずに犯罪を起こすのではないでしょうか。
それを考えたら、学校などでは制約を課した方が生徒にもいいと思います。
それには、丸刈り校則の復活が一番良いと思います。
確かに酷いですね。いまだにあったなんて驚きです…
私の場合、他から強要されたわけでも無ければ、何某かの罰則でそうしたわけでもナイ!です。
さて、私が高校に入ってまもない頃のある朝、バレー部の同級生から「お前の長髪、暑苦しくて見苦し〜い!」と。
んで、そう言われた私も別に反論することもなく、日曜日には床屋さんに出向いた。
当初、私の希望は「丸刈り」では無く「角刈り」でした。しかし、頭の形が「角刈り」に適さないとの理由によって無情にも却下、仕方なく「五分刈り」に...。
帰宅すると、長髪からボーズ頭に一転した私を見て、家族一同は面食らった様子だった。但し、姉貴だけは違って、チクチクする私の剣山アタマを手の平で弄んだ。
また、学校に行けば行ったで、ある同級生は私の後頭部にL型定規を当てて笑い転げる始末...。>絶壁頭だけど、先生達は違いました。 私のスッキリ&サッパリしたこの頭を「格好良い 角刈り」と誉めてくれました。(泣)
(*<注>「丸刈り校則」のみの徹底批判はいずれ又)
アメリカ国歌を歌うのを拒否したアイルランドの女性歌手シンニド・ オコナーが「丸刈り」にしていた。ちなみに表現しないことも表現法の一つであるという屁理屈は成り立つ。
自称天才松本仁志の「丸刈り」については、「奴の脳みそは守るに値しない脳なのだから、さもありなん」という思いを私は抱く。
ロンドンブーツがやっている「5万円か丸刈り」かの選択を課す番組があったが、金で髪を全部売るという行為は売春行為の一つであるかもしれない。体(髪)売る奴はいくらでも売るし、売らない奴はたとえ1億円でも売らないだろう。
脳みそを守るために人類の優秀な遺伝子が多分考えたであろう「固い頭蓋骨」と「柔らかい髪の毛」、しかし時々歴史に出現する愚かな人類がその髪の毛を邪険に扱う時代が確かにあるようなのだ。
さて希有の強姦魔小平康雄の髪型は何であったろう?中国などで強盗・強姦・放火・殺人の悪行の限りを尽くした皇軍の髪型は何であったろう?
そう私たちの祖先は「丸刈り」で侵略戦争をしたのだ。何だか知らないが日清戦争に勝って丸刈りが流行りだす。何だか知らないが「五分刈りの丸刈り」が翼賛型髪型として採用され、さて敗戦後も何だか知らないが丸刈りにすればスポーツの技術が上達すると思い込むアホ指導者は尽きることもなく、何だか知らないが学校を監獄と錯覚した権力者としてのアホ教師が丸刈りを子供に強制した。
そういうわけで戦争に負けた軍隊帰りの人間が、皇軍の体質をそのまま移植できた場所が大学の運動部。それは高校の運動部へ、そして中学の運動部へと広がった。
さて高校の野球部とバレーボール部、この丸刈りの双璧である運動部の体罰事件はあとを絶たない。当たり前である。戦争する髪型=丸刈りは暴力を呼び覚ますのだ。
さて中学校に広がった丸刈り校則は、子供の人権意識の芽生えや「反丸刈り運動」のよって近年激減したようだ。しかし、かなりの学校には軍服に似た学生服・セーラー服があり、愚劣な校則、体罰、そして丸刈り校則を採用する学校もまだ少しある。加えて君が代・日の丸強制と来るのだから、そういう学校は天皇教=カルト宗教の洗脳収容所と呼んで差し支えないかもしれない。
制服・丸刈り・体罰・愚劣な校則・日の丸・君が代はすべて叩きつぶすべきであり、そうしないかぎり日本人は愚民として滅び去るだけであろう。
国立市に集合したチンピラ右翼の街宣車の群、たとえて言うならばオウム真理教戦闘部隊がオウム真理教の旗・歌を強制しているようなものだが、天皇教信者はそのことには気付かないものなのだ。
黒須教というアンポンタンカルト宗教でさえも比較的他宗教を冷静に見えているという不思議な現象があり、同じ事が当然天皇教信者にも起きていて、自らの愚劣さには気付かない天皇教信者の群がチンピラ右翼を野放しさしているのだ。
チンピラ右翼の後ろ盾には権力があり、そうだ権力者といえば放言・暴言をくり返すご存じアホ二人をすぐ思いつくというこの日本の不幸。
石原慎太郎・森喜郎、こいつらときたら天皇教信者=日本の愚民にふさわしい首長なのであるから、それこそがまさに困った事なのだ。
反省しない猿以下のお二人には失礼でもなく猿に失礼なのだが、反省する猿、まあ鬱病気味の猿の方が種としては生き延びる事ができるようなのだ。
さて反省しないばかりか「あったこともないという」猿以下の首長に身を任せて私たちはどこへ行こうとしているのか・・・もちろん行き先は神の国日本低国、重力に引かれるよう低き倫理の場所へ、そこで昔の恥知らずな亡霊たちと待ち合わせ・・・・・
中学校の丸坊主は頭の硬い馬鹿な大人の押し売りだ。
この21世紀に・・・。何が丸坊主だ。戦中戦後じゃあるまいし!
これからは、それぞれのキャラクターで生き延びていくしかないのだ。
カッコイイ子どもがいてもいいじゃないか。
きれいな若者を見ると、楽しいもんね。
人間を平均化することはナンセンスです。
これからは、それぞれの個性を生かして、伸ばしていく方向へ持っていかねば・・・。
平均化された人間が当たり前で、それ以外は、はずれというのがおかしい。
今までどうりやっていたら、これからの日本は、世界から取り残されます。
だって、今、ビジネスの世界だって、それぞれの個性、スキルの時代になってるのです。
もう、今までどうりでは通用しない。
社会は常に変化しているのだから・・・。
もっと、先生、お偉方、世の中を見ろ!だ。
これからの子ども達に良き未来を!
私は(私の学校は)丸刈りではありませんでしたが
根本的に表現に強い制限を加えることにたいして
大反対です
確かに子供の集団丸刈りってぞっとするよね。私が通っていた中学はそうじゃなかった
けれど、未だにそんな校則があるなんて、ちょっと時代錯誤だよね。
僕は北海道岩内町の中学校(第一中学校と第二中学校がありますが両方とも坊主)で校則で丸坊主を強要さ
れました。なにぶん昔の話なので、その中学校が今どうなってるかわかりませんが。
僕の経験から言っても、突然、何も悪いことをしたわけでもないのに丸坊主を強要されるというのは子供心
をとても傷つけられますね。
高校と違って義務教育だから選択の余地もないし。
今でもこんな理不尽なことを平気でしていた教師たちのことを恨んでいます。
私は中学の時に校則で丸刈りにしなければなりませんでした。
いやだったけど、みんな丸刈りだったのでしかたなしに丸刈りにしてました。
そこまでは、まだゆるせる。
なにが許せないかと言うと、私が卒業したその年に丸刈りが廃止された事
これでは卒業生は納得できません。
どうせ廃止にするのなら、学校事体廃校にすれば納得がいくものを・・・
こんばんは、
茨城に住んでいる24歳の男です。
私の学校も3,4年前まで坊主でした。(中学)
私は小学校まで髪が長かったので、
床屋さんで坊主にしたときは涙が出ました。
髪の長さの規定もあり、3・以上は違反で、
それ以上になると教師に厳しくしかられたり、
時には納得のいかない体罰まで、、、、
坊主にしなければいけない学校も減少していると聞いていますが、あのときの涙は今も鮮
明に残っています。
応援していますのでがんばってください。
「丸刈り」私も経験があります。且つ校長にも反旗を翻したクチです(^^ゞ
一番「ぶー」たれた始末の悪い子でした。一応成績は良かったので、無茶苦茶はされませんでしたが.....
今、私の母校が「丸刈り」かどうかは分かりません。
たった三年間でしたから、私は考え方を変えて「たった3年我慢すればいいや」と云う形で自分を納得させ
ました。
私の勤めている中学は丸刈り校則があります。
私には丸刈りの経験はありません。
純粋な生徒を丸刈りで締め付けるのは本当に情けないです。
しかし、学校の方針にはさからえません。
丸刈りにさせるのは、子供がかわいそうです。
「どうして丸刈りにならなければならないの?」と言う子供の質問に答えることが出来ません。
私にも分からないからです。
現在では、子供の人権について、国民的合意が出来つつあるので、裁判をして丸刈り校則を廃止させることができるのではないでしょうか?
ぼくは中学校で丸刈りになって、自分の部屋から出ることができなくなり、友人、家族関係、趣味などすべてを失いました。
本当に、丸刈り校則は日本の恥ですよね。
アメリカでは、丸刈りにならなければならないのは刑務所に入るときです。
日本では、丸刈りは自分の責任を取るときに行う行為として定着しています。
何も悪いこともミスもしてないのに、丸刈りになるなんておかしいですよね。
表題 : 丸刈りだけでない教育の問題点。
さまざまな試験が、ちゃんとやられているか、心配です。
歯科医師国家試験については、先日ある大学で問題漏れがあったことがマスコミに流れました。
しかし、この話は昔から言われていたことです。
公務員採用試験なども、市役所などで、職員が、新採用の職員に文句を言うと、信じられないことに、
「自分はだれだれの縁故で入ったんだ。文句を言うと後でひどいぞ。」と答えてくると言う話があります。
公的部門の採用試験とか資格試験がどの程度ちゃんとやられているか、どこに保障があるのでしょうか。
なぜなら、自分のかかわっている高校入試が全くの情実入試になっているようだからです。
以下に、それを告発している自分のホームページのアドレスを載せます。
どうも、感覚としては、日本全国で、公立校での入試不正が、色々な名目で、または手段で、行われているような感じがします。
それの一番の手段は、推薦入試制度の採用ではないでしょうか。
推薦入試がいかに問題かをその実態の分析とともに、自分のホームページに載せてあります。
www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4361/
または、
members.aol.com/taked47/index.htm
にあります。入試判定会議の会話も掲示。
文字化けするようでしたら、「表示」、「エンコード」で他の「日本語」を選んでください。
現金盗難事件や女子更衣室精液事件など、直接生徒にかかわった事件が起きていますが、学校側は矛盾した言動を繰り返し、どれについても事実が明らかになりません。
推薦入試の実態とその改善策を掲示。
e-mail: taked47@aol.com
武田信弘
はじめまして。
今でも丸刈り校則の問題があるのは驚きです。
確かに、HP運営者のすんでいる村の中学校では許可による長髪を認めているようですが、それは丸刈りが原則という前提を否定していないように捉えることができます。
そのため、まだ「男子中学生=丸刈り」の風潮を断ち切っていないと考えられます。
本来、丸刈り校則は憲法13条に反していると言えます。
自己決定権を否定しているからです。
しかし、HP運営者の住む熊本の地裁が丸刈り校則を合憲としたがために、今でも丸刈り校則がのさばっているのではないでしょうか。
ハンセン病の問題であれだけ画期的判決を出した地裁がその点に疎いとは信じられません。
現在、同じ裁判をしたら判決が変わる可能性は大きいでしょう。
なぜなら、丸刈りが中学生の髪型の一つに過ぎず、他の髪型も当たり前のように広く認められており、あの判決に対しては学者からも批判が強いからです。
自分の住んでいる千葉では詳しい現状は知らないものの、丸刈り校則の学校はほとんどありません。
あの管理教育で有名だった千葉でも丸刈り校則はすでに昔話です。
これからも頑張って、熊本のみならず、全国の中学校の丸刈り校則をなくしていきましょう。
こんなおろかな規則がまだあるとは思いませんでした。
もうとっくに日本から消えたのかと思った。
かくいう私もそういう中学校に通っていたのですが、そんなことを強要された地域には死んでも帰るつもりがありません。
田舎から人が流出するのはそういう退廃的なところが原因だということがわからない馬鹿が田舎には多すぎるようです。
そんなことをしていたらいずれ滅びることになると思うのですが、ま、そういう連中はそうなってもらうしかないでしょう。
誰も介護する人間のいないところで勝手に老いて死んでいくがいい。
ちなみに僕は介護の仕事をしています(笑)
みなさんに聞いていただきたいことがあります。
昨日、10年ぶりの教え子に会って悩みを聞きました。
教え子は、ここ数年、仕事に恵まれないそうで、とても落ち込んでいました。
しばらく、話を聞いているうちに、仕事がうまくいかない原因が、教え子の仕事に対する考え方にあることが分かりました。
教え子は、仕事の目的は、”金を儲けること”と思いこんでいたのです。
「もし、資産家の家に生まれたら、仕事などせずに、一生遊んで暮らしたい」と言っていました。
このような価値観を持っているのなら、どんな仕事も決して成功することはありません。
私は次のように説きました。
「仕事とは、人生という舞台で、自分自身を表現するために、神からの贈られた物です。
どんなに辛くても、休みたい、怠けたいなどと思ってはいけません。
そんなことを思うくらいな、死んだ方がましです。」
教え子は分かってくれたようです。
このようなHPがあるとは驚きです!
悪が蔓延る世の中に一筋の光を見つけたみたいでホッとします。
子どもの人権のために頑張ってください。
私も力になりたいと思います。
A「とうちゃん、かあちゃん、なんで丸刈りにならなければならないの」
B「田舎に住んでるからだよ」
A「ぼくも町の中学校に行きたいよ」
B「ここは校区外なので町の中学校には行けないよ」
A「それじゃあ町に家を建ててよ」
B「うちは貧乏だから無理だよ」
A「じゃあ貧乏人はみんな丸刈りにならなくちゃならないの」
B「そうだよ」
A「・・・・」
情けないことですが、また、私の住んでいるバカ村とバカ丸刈り中学の話をします。
この中学では教師も完璧なバカで、新入生に「上級生を先輩と呼ぶように」と指導し
ています。
具体的には、次のような会話を推奨しています。
「田中先輩、おはようございます」
「鈴木後輩、おはよう」
「今日は佐藤後輩は、休みですか?」
「佐藤同輩は、遅れてくるそうです」
「そうですか、鈴木後輩」
「ハイ、田中先輩」
と、こんな具合です。
こんなアホ中学校が他にもあったら教えてください。
くたばれ匿名ババア
こんばんは。
孫が中学に入学して丸刈りになりました。
前よりかわいくなりました。
祐君やしげちゃんもかわいくなりました。
子供たちが丸刈りになるのは、とても良いと思います。
4月12日の熊日の夕刊見て、激怒しました。
3面の「ハイ!こちら編集局」の欄の「迷惑だった着信音」の絵です。
「中学校の入学式に、親の携帯の着信音が鳴りっぱなしで、まずは、親がマナーを示しけじめをつけることが、いまの子供の教育に大切」と、いう内容でした。
入学式の絵は、女の子が一人、両脇に男の子が2人載っています。が、男の子は、2人共坊主頭です。
丸刈りの姿は、何か意味があるのでしょうか?
熊日さん、まさか「中学生は、坊主」って思っているのではないでしょうね??
鹿本郡も、坊主ですが、泣き泣き切って中学校に入学した子供もいるんですよ。
「絵」からは、なんの気配りも感じられません。
私だったら、「絵」をみて題を変えるね。
「迷惑だった丸刈り」と題して、中学生が「親のマナーに対するセンスのなさを嘆き、親がマナーを守り、まず丸刈りに示す事が子供の教育には大切」って、記事を書くね。
熊日さん、明日必ず、お詫びか訂正してください。
絶対ですよ!
今日は縁起の悪い日ではありません。
エーと^。^!
テッピキは民謡と演歌を間違えていませんか????
民謡は日本の伝統音楽ですが、演歌は伝統工芸ですよ。違ったかな?!?!?
さってと、せっしゃが言いたいことはこれからです。
クラッシック、ロック、ジャズ、民族音楽(民謡)は芸術的な要素があるので教科書に取り上げられています。
しかし、未だかって、演歌は教科書に取り上げられたことがありません。
つまり、演歌をレベルの低い音楽と書かれても、文句は言えないのです。
もう一つ書いてもいいかなっと♪
せっしゃは石坂浩二の水戸黄門が気に食わないんじゃ。
役にぜんぜん合っていないじょー。
水戸黄門役には志村健かビートたけしがいいと思うぞ。
石坂浩二の適役はやっぱりナレーターかな。
ウルトラQのナレーターは見事だった。
今日は13日の金曜日だし、こんな話をしているとケムール人が攻めて来るかもしんないな。
ああー上司がこっちに来た。
ということで、EXCELの画面に切り換えます。
バイバイ
演歌は悪い音楽のように書いてありますが、日本の伝統音楽だと思います。
ぼくは、風呂の中で演歌を歌うのが大好きです。
演歌を歌うと一日の嫌なことを忘れて元気になります。
丸刈りの中学校の入学式。
全員が、丸刈り。鳥肌が立った。
よく、みんな丸刈りになったね。
きっと大人になったら、親を恨むだろう。
イヤなのにさせられて、虐待だ。
一人だけ、ハゲか傷があって、丸刈りにせず、難を逃れた子がいたね。
これまた、特別に目立ってかわいそう。
不良だと思われたり、白い目で見られたりする。
その子には、どっち(丸刈り)がよかったのか、何とも言えない。
坊主になりたくない子は、「小学生の時にケガをした」とウソをつく。
「頭を縫った」と言いふらして、一週間学校をサボるといい。
学校は休めるし、丸刈りにならなくてもいいし、一石二鳥。
ウソがいやな人は、自分から、わざと頭に傷をつける事。
但し覚悟をもったケガでないと、縫わないので効果なし。
お金持ちの人は、頭の傷の診断書(割高で)を書いてもらうと、体に傷をつけなくても済む。
普通の人なら、丸刈り校則のある学校には行かない。
どの、パターンがいいかな?
雑誌「ニフティ SUPER INTERNET」に丸刈りに対して間違った印象を与える記事が掲載されていましたので、気になり投稿しました。
それは、漫画の中で、丸刈りの生徒が二人登場しているシーンです。
ここのシーンで、他校の生徒達が、丸刈りの生徒達に「・・・田舎っぽい・・・」と言っています。
漫画からは、丸刈りになっている生徒達が、”丸刈りは田舎っぽい髪型である”ということに気が付いていないような間抜けな印象を受けます。
しかし、実際の丸刈り中学生達は、”丸刈り”が田舎っぽく、みっともない髪型だということを十分熟知しています。
田舎に住む中学生達が、どれほど無念の気持ちで丸刈りになっているのかを、もう少し考えて、記事の内容などに配慮して欲しいと思います。
私の住む大阪では、職を失った路上生活者が激増しています。
多くは、公園などで野宿をしています。
先日、行政が路上生活者の強制排除を執行しました。
そのとき、住民と路上生活者との間で話し合いが行われました。
私も話し合いに出席しましたが、住民の中から次のような発言が相次ぎました。
「人の所有している土地なのだから、立ち退くのは当然だ」というものです。
はたして、人間が土地を所有することなどできるものでしょうか?
土地を含め、すべての物は、神からの借り物です。
自分の肉体ですら、自分の所有物ではないのです。
路上生活者も、あなたたちと同じ人間です。
差別をする理由などありません。そもそも、初めから人間には他人を差別することは許されていないのです。
愛を持って、隣人を助けてください。私達からのお願いです。
ぼくのクラスに面白い生徒がいるので紹介します。
名前は、しんたろう君です。
正義感は人一倍強いのですが、論理的な思考が苦手という欠点があります。
今時の子供としては珍しく、日本の将来を心配しています。
特に、最近の若者のマナーに大変腹を立てています。
いつも「子供を叱れない親が国を滅ぼすと言っています。」
しんたろう君は、小学生3年生まで非行児童だったのですが、父親から殴られて真面目な性格に変わったそうです。
すごいですね。
でも、ぼくの家は、まるで逆です。
ぼくの父ちゃんは、毎日、酒ばかり飲んで、ちっとも仕事をしません。
家の家計を支えているのは、一番上の兄ちゃんです。
大学に行きながら、夜は道路工事のバイトをやっています。
そのおかげで、僕達は生活していくことが出来ます。
ぼくと兄ちゃんは「人間は真面目に働かにゃーいかんバイ」と、毎日、父ちゃんに説教しているのですが、馬の耳に念仏です。
父ちゃんの口癖は「人間、死んだらおしまい。好き勝手出来るのも今のうちだ。」です。
本当に情けない父ちゃんです。
・・・と、そういう訳です。
地球の上には、いろいろ人達が生活しています。
しんたろう君みたいに、近視的な思考は良くありません。
もう一度、整理してみます。
親子関係の相で見ると、大雑把に次の4つが考えられます。
(1)親が立派−子供が立派
(2)親が立派−子供がダメ
(3)親がダメ−子供が立派
(4)親がダメ−子供がダメ
親が子供を叱ったほうがいい家庭は、(2)の家庭のみです。
この例から見ても、しんたろう君は、1/4のタイプの家庭を全体に当てはめようとしているのが分かります。
何事も冷静沈着な思考が大切です。
感情で、色々な事を言ってはいけません。
「日本を良くする会」には大賛成です。
以前、瀬戸内寂聴さんが良い宗教団体と悪い宗教団体の簡単な見分け方を雑誌か新聞に書いていました。
悪い宗教団体とは金を取る宗教団体だそうです。
わたしもそう思います。
このごろ一昔前に活躍していた大物政治家が、実は無罪だったとか、やはり有罪だとかの話が盛り上がっていますが、法律的には確かにどちらかでしょう。
しかし、良い政治家だったか、悪い政治家だったかは、容易に判断がつきます。
人の5倍も10倍もの贅沢な生活をしていたのならば、確実に悪い政治家です。
政治家というのは、人々の幸せだけを願って仕事をする人達です。
いわゆる聖職なのです。
人よりも贅沢な暮らしをしていいわけがありません。
人よりも金を持っていたら、不幸な人達に差し出す義務(法的にはありませんが)があるのです。
この方法で調べていけば、日本に何人の悪い政治家がいるのかすぐ分かります。
私達は「日本を良くする会」です。
どうか私達の考えに同調する人たちは、インターネット上に「日本を良くする会」のサイトを作ってください。
複数のサイトを相互にリンクし、強力なネットワークを作りましょう。
私達の考えの根本は、”日本の裁判所による判決が間違っているために、日本の国が危なくなっているというものです。”
日本の裁判では、精神的に何らかの障害のある疑いのある人たちが殺人を犯すと、非常に厳しい判決が下りますが、本物の悪人に対しては寛大な判決を下します。
オウム真理教の麻原○○とKSD問題の村上○○とどちらが罪が重いでしょうか?
私達は村上○○の方が罪が重いと考えます。
麻原○○は病院送りでもいいと思いますが、村上○○は無期懲役か死刑が妥当だと思います。
裁判官がこのような判決を言い渡さないと、日本の国は必ず滅びます。
”悪い政治家や権力者は死刑になる”という倫理を打ち立てないと、悪人ばかりが政界や財界に入ってきて、最悪の事態になるのは確実です。(すでに今、最悪の事態になりつつあります)
やっぱり、中学生は中学生らしい髪型が一番いいね。
丸刈りやモヒカンが集団で歩いてくると、怖くて逃げたくなるよね。
全国の中学生諸君、明るく、さっぱりした髪型にしましょう。
●匿名CEさんへ●
丸刈り校則に理屈はありません。
民族間の理由亡き戦争のようなものです。
丸刈り問題を、正論で攻めていっても解決しません。
法律ではすでに決着が付いている問題です。(長髪で学校に行くことが出来ます)
丸刈り校則反対運動は、”ケンカ”です。
三度の飯よりケンカが好きな人間にしか”丸刈り校則反対運動”を続けていくことは難しいでしょう。
>在校生の生徒会の子供も拍手をしたそうです。
>後ろにいた先生から「拍手をするな!」と言われたそうです。
>それを聞いて私は先生方は「男子の髪型は絶対丸刈り」のお考えなんだなぁと感じました。
上記のような文章がありますが、このような場面では「てめー、ブチ殺すぞ」と、すかさず反撃しなければなりません。
攻撃の手をゆるめてはいけません。
最後に一番大事なことを書きます。
本当に自分の子供のことを考えるのなら、納得のいく中学校を選んで行かせることです。
どうせ、高校、大学は自分で選んで行くわけですから。
バカ中学校は1年や2年では変わりません。
さらに最後に一言。
人間、生まれたときから才能は決まっています。(遺伝子は変えられないのです)
頭が悪い子供は、どんなにあがいても絶対頭が良くなることはありません。
上がるのは成績だけです。
非行に走る人間は、機能不全家族の中で育った子供AC(Adult child)がほとんどです。
ACは近年アメリカと日本で深刻な問題になっているので機会があったら書きます。
腹が立つニュースを見たので、また書くことにした。
老人夫婦が餓死したというニュースだ。
名古屋の公営マンションで、電気、ガス、水道を止められて餓死した。
電気、ガス、水道を止められて人間が生きて行けるわけが無い。
それを承知の上で止めたのだから、電気、ガス、水道を止めたやつらは殺人罪で死刑にすべきだ。
確かに、電気を作るのには金がかかるだろう。
しかし、国民の税金でまかなえばいい。
だいたい、今の税制は間違っている。
年収1000万以上もらっているやつらは犯罪者だ。
1000万以上は全部カットして税金にすればいい。(500万以上でもいいのだが)
その金を収入の無い年寄りや、路上生活者などの弱者の救済にまわせば、ほとんどの問題は解決する。
それをやったら日本は世界一の国になる。
弱肉強食の社会構造をもつアメリカの真似ばかりしていると、日本もアメリカと共に滅びるしかない。
神は、私利私欲で動く世界を絶対に許さないのだ。
今年の中学校の説明会は少し変わっちょる。
まあ、今年はいろいろあったのでしょうがないか。
しかし、自分の子供のために、この村の親も少しは頑張って欲しいものじゃ。
「どうせ、○○さんが丸刈り反対運動をしてくれるから自分は何もせんでもいいや」と思っている人が多いようだが、そのような考えは間違っとるぞ。
子供にとって、勇気の無い親ほど情けないものはない。
嫌な事を他人にばかり押し付けていると、ばちがあたるという事もあるのじゃぞ。コワイぞー。
人間、ずる賢いことばかりしていると後で後悔することになるが、その時はもう手遅れじゃ。
大分や福岡は県政レベルで丸刈り校を根絶しましが、これが良い事か悪いことかは分かりません。
熊本県はまったく県政レベルで丸刈り問題を考える気は無いようですが、一概に悪いこととは言えません。
「勉強したいやつは、市内に出て来い」という無言のメッセージを感じ取ることが出来ます。
実際に郡部の中学校はスポーツに力を入れますが、市内の中学校は勉強に力を入れます。
熊本県は他県と著しく違うところがあります。
それは、市内と郡部に住む住民の常識のずれが、かなり大きいことです。
常識の異なる住民が同じ地区に住むことは非常に難しいため、市内と郡部を区別しているものと思われます。
熊本市内を歩いていると、長髪の中学生と丸刈りの中学生とでは、明らかに違う印象を受けます。
これは、市内の住民と郡部の住民にも当てはまるものと思います。
わたしたちの子供のころは、潜望鏡という玩具が流行っていた。
色は黒、プラスチック製で、直径2センチ、長さ10センチ、伸ばしたときは20センチの潜望鏡だ。
上下に、2枚の鏡を平行に取り付けてあった。
当時の子供達は、この潜望鏡を使って360度、周囲を見渡す訓練をしていたものだ。
だから現在、日本の潜水艦は安全なのだ。
潜望鏡のような、高度な技術を要する機器は、子供のころからの訓練が大切だ。
最近の若者に欠けているのは忍耐だ。
なぜ理不尽な丸刈り校則などに従い続けているのか。
多分、一度や二度は、先生に丸刈り校則の意義を聞いてみただろう。
しかし、そのたびに先生の態度がはっきりしないので、丸刈り校則に反対することを止めてしまったのではないのか。
信念を持って一つのことを続けていくことは、とても大変なことだ。
しかし、忍耐なくしては、何事も成功しない。
21世紀に生きる若者達は、われわれの百倍の忍耐を持つことが必要だ。
恥ずかしいことだが、われわれは何も考えずに、命令されるままに行動することを学んできた。
このようなバカなわれわれには、現在人類が抱えこんでいる問題を解決することは不可能だ。
21世紀を生き抜くには、20世紀以前を生きていくよりもはるかに困難なのは間違いない。
そのためにも、一人一人が、優れた人間になるよう頑張って欲しい。
俺は日本の裁判について、いつも不満を持っている。
アメリカは、中国の人権問題についてとやかく言うが、中国の中学生は丸刈りではないのだ。
はっきり言って、俺は丸刈り問題にはあまり関心がない。
なぜなら、日本国民は誰でも、丸刈りにならなくてもいいように、法律で守られているからだ。
法律の前では、丸刈り校則など、何の力もないのだ。
ちょっと脱線したが、また中国の話に戻す。
中国は、やたらと犯罪者を死刑にすることを問題にする人もいるが、そう単純に判断してはだめだ。
なぜなら日本にも死刑制度があるが、この制度がメチャクチャに運用されているからだ。
どこがメチャクチャなのかというと、無期懲役と死刑になる人の裁判所の判断である。
無期懲役といっても、実際は18年だ。
死刑は絶対に死刑になるのだ。
中国では汚職をした公務員はほとんど死刑になる。
俺はこれには大賛成である。
日本では、いくら公務員が汚職をしても無期懲役にすらならない。
日本で死刑になるのは、殺人を犯した精神異常者ばかりである。
俺はもともと死刑制度には反対なのであるが、汚職をした公務員を死刑に出来ないのなら、死刑制度は廃止すべきだ。
このままでは、日本に明日はない。
マジだぜ!!!!!!!
俺は本当に日本の将来を心配しているんだ。
丸刈り校則といいうものは、環境の変化を利用して自然淘汰する、ダーウィンの法則を応用したものだ。
丸刈りに適している生徒は元気になって栄える。
丸刈りに適さない生徒は弱って滅びる。
たまには、違う環境を作ったらどうだろうか。
モヒカン刈りや、アフロヘアーにしたら、また別の種が栄えるだろう。
いつも丸刈りに抗体を持つバクテリアだけを増殖させる理由もなかろう。
バカな教師よく言うこと。
「丸刈りになる前は嫌がりますが、一度丸刈りになってしまえば平気なようですよ」
こいつらは、自分が中学時代に丸刈りになって、つらい思いをしたことがないのか?
それとも、丸刈りを経験したことがないのか?
どっちにしても、バカ教師につける薬は無いというのが現状だ。
渋谷のセンター街で、若い人100人に丸刈り校則についてインタビューしました。
ところが、スポーツをしない人まで丸刈りにならなければならない中学の存在を信じてくれる人は、一人しかいませんでした。
結局、冗談だと思われてインタビューは失敗しました。
●やすおくんへ●
あ〜 そうですか。
怒られましたか。
では、今度は絶対大丈夫な所を紹介します。
(子どもの虐待防止センター TEL 03-5374-2990)
です。
ぜひ電話してみてください。
匿名BUさん、警察に丸刈りのことで相談したら怒られましたよ。
どうしてくれるんですか。
僕が中学校の時の話をします。
僕の通っていた中学校は全員丸刈りでした。
ある日、担任の先生が、一人の髪が伸びた生徒に髪を切るように言いました。
その生徒は、「先生は好きな髪型をしているのに、なぜ僕達は丸刈りにならなければならないのですか」と、反論してきました。
しばらくの沈黙の後、先生は突然、上半身裸になりました。
そして、机からハサミを取り出し、自分の髪の毛をすごいスピードで切り始めたのです。
教室はパニックになりました。
「先生やめて」と言って、泣き叫ぶ女子生徒もいました。
髪を切り終えた先生は、メチャクチャになった髪型で、「俺は死ぬまでおまえ達と一緒だ。俺を信頼してついてこい」と訳の分からないことを叫びました。
翌日、先生はきれいに丸刈りになって登校してきました。
その事件があってしばらくして、僕達の学校から丸刈り校則は無くなりました。