みなさんから寄せられた意見9

みなさんから寄せられた意見10

丸刈りに直接関係ない意見でも掲載します。
丸刈り校則が大好きな方の意見も歓迎します。
丸刈りに関する過去のエピソードなど大歓迎です。(作文でも詩でも短編小説でもなんでもいいです)
(注)不真面目な意見は掲載しません(と言っても、かなりいい加減な意見でも掲載します)。
みなさんのアドレス、本名などは、いかなる場合でも絶対誰にも教えません。

Tさんより(2003/08/26)

どとうとしやさま、都内在住会社員(2003/07/31) のかず さまへ
匿名A.Kさん、つとむさんの意見に賛成です。
確かにどとうとしやさんや井上静さんの仰るような現実があることは否定しません。一連の司法改革の流れ、ロースクール構想等の発端になったのも、挙げておられた多くの弁護士の問題のある体質(東京大阪への一極集中、訴額100万円以下の訴訟は受けない等々)が原因の一つでしょう。
でも、全ての弁護士がそうではないことは、冤罪事件や他の憲法訴訟を見ればわかりますよね。
仮に、県弁護士会自体の体質が他の法曹団と比較して、よりそういったネガティブな傾向が強いのだとしても、戦うべき相手は弁護士会や弁護士たちではないでしょう?
どとうとしやさんの熱いお気持ちは充分理解できますし、熱心に尽力してらっしゃるご様子に感服してます。
でも、少しだけ冷静に、より実践的にどんな活動をすれば有効かを、一緒に考えていって頂けませんか。

「実践的」ということについて、都内在住会社員(2003/07/31) のかず さんへ。
丸刈りによる“管理”にはかずさんも反対してらっしゃるのですが、『さて、現状はさておき、実践的に考えないと』『「丸刈り」イヤなら、「丸刈り」のない自治体あるいは学校に行くのが早道です 』と書かれています。
つまり、県民ストとでもいうか、「こんなことしてたら住民いなくなっちゃうぞ」と自治体に圧力をかけるというアイデアはまさに『実践的』なのは確かですね。
現実に丸刈りを避けて、私立に行く人もあろうかと思います。
でも、お金のない人は?より過激に、県を出て行く?でも、お百姓さんだったら?生計の糧、先祖伝来の田畑を捨てていけるでしょうか?
何よりも、何故、こんな理不尽なことの為に、被害を受けている方が去ったりしなければならないのでしょうか?
私立の学校に喜んでいく人もいるでしょうが、近所のお友達と同じ学校に通えないのはつらい人もいるでしょう。
かずさんご自身が書いてらっしゃるように、これは理不尽な規則なのです。理不尽なことが目の前にあって、その被害を受ける人々がガマンしたり、避けたりできるからといって、それを問題の解決と見ることはできませんよね。
丸刈り校則は確かに、『交通ルールのように守らないと当人も他通行者・通行車も危険を及ぼす様なものとは根本的に次元が異なる』、直接に生き死ににかかわることではありません。
そこがこの問題の、それこそ“問題”で、これは私たちにとって大切なことだと思います。
当事者たちにとっては議論してる猶予はないのは、確かです。
でも、自分は卒業したりや何かで、丸刈りを免れた、けれど、こんなことを許しおいてはいけないと、立ち上がる人々をただの「議論好き」と切り捨てるのは如何かと思います。
前に書いたことと重複しますが、人間を『管理』する(家畜のように扱う)ことを肯定するような振舞いを大人がとることは、社会のルール、人間のあるべき姿を教えることと逆の行為になこそすれ、社会を良くしたり、未成年の犯罪を防ぐ策になどなりはしないのだから、誤りを正そうとする大人がいることを何とかして伝えたいのです。
それから、『髪型などというものはそもそもファッションの表現形態の一つでしかない』のも確かですが、同時に、それだけのことではないのも確かです(匿名Kさんの「丸刈りの歴史」)。
以上、長々と異論を」書き連ねましたが、『(注)不真面目な意見は掲載しません(と言っても、略)…という記述に好感が持てましたので、気ままに書き込ませて頂きます 』という書き出しからして親近感を持ってしまい(私もあれにはウケました)、きっと洒脱で魅力的な方なんだろうと思っております。
「俺、マルガリータね!」も又よしという態度は忘れたくないです。


匿名K(2003.8.26)

**意見投稿***
明美さんの人権救済申し立て書に,「40年位前までは丸刈りに合理性があった」という記述があって,色々な意見が出ているようですが,それに対する私の意見を投稿します。
私は,教育内容として,丸刈り校則を検証するなら,戦後まもない時代であっても,合理性はなかったと考えます。
ただし,就学条件の整備の手段として,長髪禁止校則を見た場合,そこに合理性がまったくなかったとまでは言えない思います。
明美さんのおっしゃる「合理性」とは,こういった側面に限定されて言われているにほかならないと思います。

まず,「戦後まもない時代であっても,教育内容としての丸刈り校則に合理性がない」と言い切れる根拠としては,その当時に文部省(現在の文部科学省)側が出した2冊の本の内容から明らかです。

その1冊目は,「教育基本法の解説」( 1947.12.25 教育法令研究会著 国立書院/教育法令研究会は,文部省調査局審議課内に設けられた会だそうです。)という本です。
その中に書かれている教育基本法のの前文の解説では,「『個人の尊厳を重んじ』とあるのは,…個人の尊厳を重んずるという基礎の 上に教育が行なわれなければならないとするのである。」「さて,教育において個人の尊厳を重んずるには,実際上どのようになさるべきであろうか」「教育は,学生・生徒を人間らしく取り扱わなければならない。」と記されています。
さらに,教育基本法第1条の解説では,「この個人の価値を軽視する形式的画一的教育の弊害は,断然改められなくてはならない。」と記されています。

2冊目は,「 新しい中学校の手引」(1949.2.20 文部省学校教育局編 明治図書)という本です。
少し引用が長くなりますが,P156以降にある「しつけ」についての記載があります。
その中で,
「しつけは,生徒の個性をためて型にはめこむためにするのではない。それは,生徒が社会的境遇に適応できるように,その発達を指導するものである。すべての人間を1つの型に押し込んで,さて,その型の中で技能や体力を発達させようとするのは,弾圧であって,しつけではない。しつけには,権力強制的な要素は含まれてはならない。又,教育的なしつけは,監視ではない。この点については,過去にあった生徒監という制度の弊害を想起する必要がある。生徒自らが自らをしつける能力をもっていることを考えないで,学校で作った規則を守ることを強いれば,生徒を唯罰がおそろしいから規則を守るという人間にしてしまう。生徒は,こんな規則を破ることを悪いと考えない。生徒は規則を破ったことが見つからないでくれればよいと考えるだけだ。このような態度になってはその生徒指導からは何等よい結果を期待することはできないだろう。従来のしつけの重要な欠陥は,家庭,学校,社会等の行為としつけの標準が一貫性を持たず,てんでばらばらになっていた点を挙げるべきであろう。学校は,既に述べたように,その力以上に過大なしつけを担任したが,家庭や社会は,時折学校のしつけとは異なったしつけをしたり,或は全然しつけなかった。これは,教育に携った者の痛切に感じていることである。」
と記されています。

これらを見ると,丸刈り校則が,戦後の教育思想に相容れないものであることがよくわかります。

次に,「就学条件の整備の手段として,長髪禁止校則を見た場合,そこに合理性がまったくなかったとまでは言えない」という根拠について。

それは,明美さんの人権救済申立書にもある衛生上の問題,経済上の問題です。
学校教育における就学義務免除の規定に「経済的理由」がなくなったのは,昭和16年の国民学校令でした。つまり,それまでは,子供の教育は,親の経済事情の下に置かれていました。しかし,国家主義を貫徹する必要から,この理由が取り払われたのでした。
戦後になると,価値観が一転し,憲法第26条に教育を受ける権利が定められたこともあって,子供の学習権確保の視点から,経済的理由による就学義務免除は否定され続けることとなりました(昭和25年8月25日文部省初等中等教育局長回答)。そして,学校教育法第25条には,就学援助の規定もおかれました。
そして,当時の人権思想のもと,経済的理由による不就学は,何としてでも許してはならない至上命題となりました。
しかし,世間の実態はひどいもので,ノミ・ダニ全盛期というひどい衛生状態の他,人々は,食うや食わずの日々をすごしていました。
こういった環境の下では,1人でも多くの子供を就学させるために,「長髪の禁止」を指導せざるをえなかった背景があったとは言えないでしょうか?
「丸刈り校則」の問題も,通学してこそ起こる問題であり,当時は,それ以前の,いかに児童・生徒の通学を確保するかが問題になる時代でもあったのです。
それに,当時は,小学生のほとんどが,元々,丸刈り頭でした。そこで,中学校に入学してくる子供たちの長髪を禁止しても,もともと,家庭のしつけとしてされていた「丸刈り」を,引き継いだにすぎませんでした。

以上が,私が明美さんの意見に同調する根拠ですが,もう少し,追加意見を述べたいと思います。

まず,注目していただきたいのは,このような視点を踏まえると,戦後における「丸刈り校則」の存在価値は,教育内容としてあるのではなく,就学条件整備としてあることです。
これは,現在の「丸刈り校則」の運用方法から見ても明らかです。
丸刈り校則の実施については,中学校がまだ何の教育もしていない「入学前の長髪の小学生」に,校則を提示して,入学までに髪を刈ってくるように指示するという運用方法がとられています。もし,これが,「教育内容」的なものならば,まず,長髪のままの生徒を受け入れて,丸刈りの合理性を説いて,生徒が納得して髪を刈る…というプロセスがとられてしかるべきでしょう。
このような運用は,まさに,就学条件だった名残りではないでしょうか?
(ちなみに,「丸刈り校則」を,「教育」としてではなく,「公の施設の利用条件に対する処分」としてとらえた場合,地方自治法第244条の4に基づき,不服審査の対象にもなります。ただし,最高裁は,小野中学校丸刈り訴訟判決で,現在の丸刈り校則を,行政処分とはとらえず,法的権利義務関係を生じない事実行為としてとらえました。この「事実行為」が違法かどうかについての最高裁の価値判断は,まだありません,なお,小野中学校丸刈り訴訟に対する私の意見については,従前の投稿(訂正版)を見てください。)

さて,こうして,戦後の教育思想に矛盾するにもかかわらず,就学条件整備の手法として生き残った丸刈り校則ですが,現在に至っては,むしろ,就学を阻害する作用をもたらしています。
たとえば,「丸刈り校則」が嫌で,公立中学校入学を断念した人や,不登校に陥った人の話は,あまたに聞くところです。
さらに,この就学阻害要因たる不合理に加えて,教育内容としての不合理も著しく表れるようになりました。
それは,「丸刈り」という髪形が,小学生時代に「親が子に対してしつけてきた髪形」と一致しないため,「親のしつけ」と「学校のしつけ」が対立するところとなって,実質的に教育的拠りどころを失ったところにあります。
今や,児童が丸刈り校則に従う理由は,ただ,学校と争いを起こすのが馬鹿らしいという消極的なものにすぎないのではないでしょうか。子供たちは,薄々,丸刈り校則の問題点に気づいています。この校則に賛成する生徒の主たる理由は,自分が丸刈りにされたから他人もされるべきだという悪意だという研究結果も発表されています。(「丸刈り校則の教育的効果わ問う」(学事出版「月刊 生徒指導91年8月,9月号」所収)
もし,生徒たちが,本気で丸刈りに効果があるなどと信じているのなら,学校は,裁判所も認めなかった丸刈り校則の効果を教えたわけですから,「嘘を教えたこと」になり,校長は,この責任をとらなければなりません。
丸刈り校則をめぐる問題は,まさに,戦後に出された「新しい中学校の手引き」(前掲書)に注意喚起されていたとおりになっています。
90年代には,全国各地で「人権侵害だ」といわれ,学校が市民運動と対峙せざるをえなくなり,無用な争いの種にもなりました。熊本では,それが,今,起こっています。

こんな,丸刈り校則ですが,どうして,条件整備の役割を終える過程で,消えていかなかったのでしょうか?
それは,戦後の教育思想は,たいへんリベラルなものでしたが,現場に徹底しなかったということにあります。
これについては,従来から,戦後占領施策の転換,戦後教育行政施策の転換といった政治的要因が言われています。
しかし,私は,その一方で,戦後まもない頃の教育思想そのものに内含した問題点があると思います。
それは,生徒のみならず,現場の教師にもリベラルだったため,「現場の教育の自由」を徹底的に保障してしまって,保守的な校長が,「『戦後の教育思想を十分に取り入れない教育』を実施する自由」をも認めてしまったことです。

現在に至って,「教諭の教育の自由」は,その後の法改正でかなり狭められてしまいましたが,「校長の校務運営の自由」は,建前的には,いまだに尊重されています。そして,丸刈り校則については,文部科学省も,教育委員会の多くも,議員の多くも,「校長が判断して決めることだ。」と責任逃れに利用されています。
「建前」といったのは,実質的に,人事権を握っている教育委員会が,そして,実質的に教育委員の選任権限を握っている議会多数派が,その背景で糸を引いている側面もあるからです。意外と,責任逃れしている「もの」こそ,丸刈り校則廃止を妨害する影の権力者だったりします。
熊本県議会でも,丸刈り校則に反対する立場から質問している議員に対して,丸刈り校則肯定の立場から野次をとばしたのは,議会多数派に属する議員だったと,その質問をした議員のホームページに掲載されています。

このような「丸刈り校則」ですが,私は,本日,発表した根拠もあって,「丸刈り校則」は,「教育内容の問題」ではなく,就学条件にもかかわる「人権問題」だと考えています。教育委員会には,「現場の教育の自由」にとららわれず権限を行使していただきたいものですし,学校長には,自らの責任で,一刻も早く廃止していただきたいものだと思っています。
「生徒・保護者の意見を聞いてから」,「論議してから」というようなことは,一見,民主的にも見えますが,実は,「丸刈り校則問題」を「人権問題」から「教育内容の問題」にすり替える「巧妙な責任逃れ」としか思えません。
「教育内容の問題」として,丸刈り校則が廃止されても,それでは,いつか「丸刈り校則」が復活することもありえるわけで,問題の最終解決にはなりません。
「丸刈り問題」に関しては,教諭たちが即時廃止に動かないなら,校長や教育委員会が,権力的に廃止を決定してよいと思います。
丸刈り校則が無くなっても,丸刈りが良いと思う生徒にとって,丸刈りにする自由が奪われるわけではありません。丸刈り校則廃止は,生徒に髪形の自由を与えはしても,生徒から奪うものは何もありません。すぐに丸刈り校則を廃止したとしても,それで何かを失う人はいないはずだからです。


どとう としや(2003年8月25日)

<<<<<弁護士は正義の味方とは……>>>>>
人権救済の申立てについて、しばらく私以外の反響はなかったので心配してたのですが、期待・不安いろいろな意見が揃ってまいりました。
井上静さんにつとむさん、そして、匿名A.K.さん、ご意見ありがとうございます。
私は中学校・高校と国語が苦手なものではありますが、「誤解を招くような書き込み」した覚えはありません。
連帯保証人に判をついた善良な人から、家と土地と財産をとるような裁判をになっている弁護士の人もいるでしょう。
また、日本百貨通信販売の杉山治夫なる人物が勝手に偽造した借用証書を材料に本来は払う必要のない金を勝ち取った弁護士もいます。
弁護士は正義の味方とは限らないのが、私みたいな者の認識です。
むしろ、悪徳弁護士が目立ちすぎてしまい、真面目な弁護士の方々も苦労されてらっしゃるのが悲しい現実でしょう。
その点、県弁護士会を信頼し期待してらっしゃる匿名A.K.さんとは、私自身は見解を異にしています。
ただ、それでも、熊本県にも丸刈り強制即時廃止に向けて積極的に動いて下さる殊勝な弁護士さんが登場していただければすごくうれしいと思います。
ちと、失礼な段があったかも知れませんが、こちらとしては叱咤激励の範囲のつもりです。
担当の弁護士さんのすみやかな登場、本当にお願いしたいものであります!
<<<<「人権救済の申立て」を受けて、前向きな意見を>>>>
人権救済の申立てを受けての県弁護士会の「丸刈り校則のすみやかな改正を」という勧告は、任意といってしまえばそれまででしょう。
実際、丸刈り拒否生徒が学校側からの厳しい指導のため転校を余儀なくされた事件を受けて、1996年鹿児島県弁護士会が伊仙中学校に、人権救済の申立てを受けての「丸刈り規制を廃止するよう勧告する」との文言入りの勧告を出しました。
伊仙中学校は、現在でも無視の構えのはずです。
人権救済の申立ての足を引っ張ることなく、かつ人権救済の申立てと並行した形で別の動きがあればと強く望むものであります。
また人権救済の申立てを受けての調査活動その他で、学校当局側と担当弁護士との非公開の折衝で事を進められるのならともかくも、丸刈り強制問題で真摯に取組む市民が何か協力できるようなことがあればと思います。
弁護士の方々を全面的に信頼なさるかどうかは別にしても、「人権救済の申立て」で全てお任せというような受身な態度はどうかと思います。
匿名A.K.さんや他の同志のみなさん、「これは!」という何か前向きなアイディアがあればよろしくお願いします!


匿名A.K(2003/08/25)

こんにちは。
熊本県弁護士会に人権救済申し立てをされたこと、とてもすばらしいことですね。
私は、県弁護士会を信頼していますし、期待もしています。
気があせられてる方もいらっしゃるでしょうが、あけみさんがせっかく行動を起こされたのですから、この件は大切にするべきでしょう。
県弁護士会では、時間がかかるかもしれませんが、誤解を招くような書き込みは止めてください。
私たちは、非難するのではなく、結果が出るまで見守って行くことも大切ではないでしょうか。


どとう としや(2003年8月24日)

<<<<再度、担当の弁護士さんへ>>>>

熊本県弁護士会の「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」との確認、および人権救済の申立てに対する積極的活動、本来なら大いに期待したいところであります。
やはり、直接、担当の弁護士の方の書き込み早くお目にかかりたいものでありますが、なかなかそういうわけにもいかないのでしょうか?
拒否しようと思えば拒否できるはずの丸刈り強制問題よりももっと優先すべき課題があって、時間がかかるのかも知れませんが。
それならば、詳しい話をお願いするところであります。
それとも、学校教育に混乱をもたらさないように慎重にことを進めるということでしょうか?
校費使い込みなどの教職員の非行がマスコミで大きく報道されているような現実として、学校教育の混乱回避という口実は全然説得力ありません。
「忙しい弁護士稼業の合間の夏休みだから勘弁してくれ」って言われるかも知れませんが。
それだったらどうぞのんびりして下さいよ!別の人、お願いします。
私ごとき素人がやれ「小野中学校丸刈り校則事件」だとか国際人権規約委員会の勧告だとか言うよりは、法律問題の専門家として政府から公認された弁護士が理路整然と丸刈り問題解決消極派を論破していただきたいものであります!
今までの経過では、熊本県の丸刈り校則問題では弁護士の方々の取組み具合、非常に不満であります。
これからの県弁護士会の取組みに期待したいのですが、期待して良いのでしょうか?
−−−−−−−−−−−
<<<<2003年ラストファイトは我等の手で>>>>
やはり自分の権利は不断の自分の努力によって保持すべきではあります。
弁護士の人達はその手助けをしているというわけでしょうが。
丸刈り校則に反対の意思表示もなくして、弁護士さんに助けてもらうというのも、どうだろうかと私は思いますが。
「丸刈り」中学校の男子生徒の諸君、もっと元気だして正々堂々と丸刈り指導拒否なり丸刈り校則反対の意思表示なりして、自分の権利は自分で保持しようじゃありませんか!
やりずらいのは理解できるが、丸刈り拒否自体は出来ないわけないでしょう。
反対意見あるなら、どうぞ!
人権救済の申立てに関する私たちの取組みと同時並行して、丸刈り拒否者の支援や丸刈り拒否者に対する体罰行為者に対する責任追及など、別の動きも模索していきませんと。
どうやら、人権救済の申立てに対する勧告その他の弁護士会の活動だけでは、2003年度の熊本県ですらの丸刈り強制問題解決がなしえないでしょう。
やはり、我等の代表のあけみさんには「2003年ラストファイト」の方針の堅持、お願いしたいものであります。
もっと運動を盛り上げましょう!


つとむ(2003/08/24)

***読まれた方も多いと思いますが***

「豊かさの条件」という本が岩波新書から発刊され、話題になっていますね。
埼玉大名誉教授の暉峻淑子(てるおか・いつこ)さんの著書ですが、経済・労働の問題、市民レベルでの国際協力のあり方等に並んで、子どもと教育の問題についても、主にドイツの事例に照らしながら、約70ページにわたって論述されています。
同じ資本主義国であり、かつ、第二次大戦の敗戦国でもありながら…というより、そもそもこういう“共通項”に言及すること自体が見当違いと思えるくらい、子どもの成長と教育についての考え方が天と地ほどに違うことを知らされ、本当に、目からウロコが落ちる思いがしました。
「よい学校とは?」「規則のない学校でしょう」
著者がドイツのある教師に投げかけた質問と、それに対する返答です。
丸刈り校則のことに直接触れられているわけではありませんが、「丸刈り校」流の教育観がいかに偏狭で皮相的なものであるかを改めて痛感させられる内容となっています。
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弁護士会に対して、過剰な期待をかけることを戒めなければならないような事実も、確かにあるかも知れません。
そのことを一定考慮しておく必要はあるでしょうね。
しかし、法が実社会できちんと生かされるべく活動することが、弁護士さんたちの本来的な存在意義である以上、弁護士会に対して救済申し立てを行ったこと自体については、当然に試みる価値のある取り組みだった、と、私は考えています。
この願いを理解してくれる弁護士さんは必ずいる!と信じたいです。
取り組んだことに対して、常に一定の成果が得られのであれば、それは、とても喜ばしいことです。
でも、もしそうだとすれば、丸刈り校則問題なんて、とうの昔に解決しているはずです。
一見、閉塞状況にあるとしか思えない厳しい条件の中で、ひとつでもふたつでも可能性があると思えることなら、それを信じて実行に移す。
試行錯誤と模索の繰返し。成果の有無は、結果が出るまでわかりません。
一方で、その時は期待どおりの成果が得られなかったとしても、それが次の新しいステップにつながる場合だってあります。
…こんなことを私が言うのも僭越ですが、“運動”って、そもそも、そういうものだと思うのです。


井上静(2003/08/20)

弁護士会には、期待しない方が賢明です。
進歩的な弁護士たちの運動団体・自由法曹団に所属する弁護士も、弁護士会や日弁連は、人権救済のための活動を、満足に行わないと断言しています。
弁護士の圧倒的多数は、民事・商事の金儲けになる仕事をしたがり、弱者救済や人権擁護など儲からない仕事は避けたがります。
まして、中学生のことなど、眼中にありません。
松本清張の小説『霧の旗』は、映画に二回、テレビドラマに二回なっていますが、弁護士の体質を告発しています。いちばん古い、山田洋次監督の映画をおすすめします。
主人公ははるばる九州から東京までやってきて、弁護士に依頼しますが、断られます。
しかし田舎の弁護士は、主人公の兄が無実を主張しているのに、情状酌量を求めることしかしません。
もちろん、地方の弁護士で頑張っている人も知っています。
しかし、そうした弁護士を地方で捜すのは至難の業です。


どとうとしや(2003年8月18日)

<<<<人権救済の申立ての担当の弁護士の方々へ>>>>
熊本県弁護士会の人権擁護委員会のみなさん方、いろいろ多忙で「丸刈り」については9月以降じっくり取組むということなのでしょうか?
やはり、担当の弁護士の方の直接の説明、お願いしたいものであります。
あと、熊本県弁護士会としての「丸刈り校則は単なる心得であって拒否できる」ことの新聞・メディアを通した確認について、なにか出来ない理由があるのでしょうか?
今年度中に丸刈り強制問題を解決させるような意気込み、担当の弁護士の方々には感じられないものであります。
とにかく、担当の弁護士さんの「中学校の丸刈り校則をなくす会」でのあいさつその他、早くお目にかかりたいものであります。
<<<<そろそろ2学期の準備を>>>>
どとうとしやの「模範解答」である丸刈り指導拒否を2学期から始めようと考える男子中学生がいたら、是非ともこの「意見」に投稿お願い申し上げます。
また、丸刈り指導拒否をこれまで実践してきた方々の体験談も、読んでみたいものであります。
2学期以降での丸刈り指導拒否者に対する学校側からの嫌がらせ等に対しては、人権救済の申立ての担当弁護士の方の力を借りて毅然と対応していけれればと思います。
丸刈り校則改正ばかりが、丸刈り強制問題の解決でありません。丸刈り指導拒否も、もっと陽の目を見るように受け入れられるべきであります。


どとうとしや(2003年8月15日)

<<<<申立ての担当の弁護士の方へ>>>>

8月も半ばに差しかかりました。ちと気合を入れて、熊本県弁護士会の人権擁護委員会の今回の申立ての担当者に、質問することとします。
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<<<<人権救済の申立てに関して>>>>
熊本県弁護士会人権擁護委員会に対しての人権救済の申立ての進捗状況どうなっているのでしょうか?
また、人権擁護委員会として、具体的にどのように動かれるのか定かではありません。
スケジュールについて全然煮詰まっていませんし、少々心配になりました。
人権擁護委員会の調査活動について、開始とか協力のお願いとかいう話そろそろあっても良いのではありませんか。
ひょっとしたら、9月以降、担当の弁護士さんが各丸刈り中学校を回り、校長室でお茶を頂いて勧告書を渡して終わるだけの話なのでしょうか?
せめて、迷惑行為の行為者に接するがことく「丸刈り」校長に迫って下されば幸いですが……。
ちなみに、選挙などの暴力沙汰で有名な鹿児島県伊仙町の伊仙中学校で、鹿児島県弁護士会会長名義の「すみやかに丸刈り規制を廃止されるよう勧告する」との勧告が1996年7月になされたのですが、未だ丸刈り校則は続行の模様です。
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<<<<熊本県弁護士会としての「『丸刈り』の強制の無効」確認は?>>>>
熊本県弁護士会として「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」との確認を熊本日日新聞などのメディアを通してすることを、真剣にかつ速やかに検討なさってもよろしいかと思いますが。
この「〜法的義務はない」は、最高裁判所判例に基づいたものであり、表現の自由や各自の幸福追求権を尊重した憲法と、現にある丸刈り校則との、妥協点としては悪くはないと思いますし、丸刈り拒否が非難されるものでないであるのを周知させるものだと思います。
本来は、県教育委員会の領分のはずですが、その確認すらもを拒否している模様です。
丸刈り校則に反対の感情をいだく人達の中の「丸刈り校則が改正されるまでは守ることとする」との意見ばかりでは、丸刈り校則はまだまた根強く残るでしょう。
「国歌法」による君が代斉唱を拒否することが咎められないように、丸刈り指導拒否も非難される筋合いのものでありません!
今から根回しして、2学期開始直前に熊本日日新聞の一面に「熊本県弁護士会が確認『丸刈り指導拒否できる』」との記事が載るようにできないのでしょうか?
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<<<<以上の回答、お願い申し上げます>>>>
中学校の丸刈り校則をなくす会のホームページを通すか、熊本県弁護士会のホームページで回答なさってくだされば幸いです。
今までの熊本県弁護士会としての取組みのやる気のなさを鑑み、ちと失礼な文章になったかも知れませんが、悪しからずご了承のほどお願い申し上げます。
出来れば毎日「〜なくす会」のサイト、見て下さればと思います。
2003年8月末の「確認」、大いに期待申し上げます!


SHIIHASI(2003/08/15)

校則大反対

この中で校則を支持するやつは逝ってよし!来なくていいよ。
はっきり言ってうざいから。
だってそうでしょ?坊主に限らず例えば校則でもっと奇抜な髪型を迫られたら・・・どうしますか?


まず先生が手本を(2003/08/11)

規則だといって生徒に強制するのなら、まず先生が手本を見せよという意見は多いですね。
それで思い出したのですが、昔「志村けんのだいじょうぶだぁ」というテレビのお笑い番組のネタにもなっていました。
派手な格好をした生徒(石野陽子)に、先生(志村けんと松本典子)が注意します。
志村「石野さん、ダメじゃないか、イヤリングなんかして」
石野「先生だってしてるだろ」
志村「松本先生、ここは生徒の手前、はずしてください」
松本「わかりました」イヤリングをはずし、「先生もはずしたから、石野さんもはずしなさい。それに、 この髪型もです。これ、付け毛でしょう」
石野「だったら、先生だって取れよ」
松本「志村先生、」(ここで、もう爆笑が起きる)「ここは生徒の手前、はずしてください」
志村先生は泣きべそをかきながら、カツラを取る。
悲しそうな志村けん、真迫の演技というより、地のようであった。
昔の番組だから、今の中学生は知らないと思うけど。
シリアスな話題が続いたから、ちょっと休憩をと思いまして。

井上静


どとう としや(2003年8月6日)

熊本県弁護士会の人権擁護委員会は、我等が代表の宮脇明美さんの人権救済の申立てを受理した後、どのような日程で動いて下さるのか不明であります。
県弁護士会のホームページでも、受理したことすら触れていません。
ただし、読売新聞などのマスコミが大々的に取り上げてくださりました。
中学校の校長は、夏休み期間中でも校長室にいることもあるでしょう。
出来れば経過あたり、県弁護士会ならびにあけみさんのほうから、逐次報告お願いしたいものであります。
そろそろ、弁護士の方たちの学校訪問開始でしょうか?
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あと、「丸刈り校則があっても、丸刈りを拒否しようと思う男子中学生は拒否できる」ということの確認は、熊本県弁護士会としてできないのでしょうか?
私にとっては、最高裁判所の小野中学校丸刈り校則事件の判例を踏まえただけのことです。
というか、憲法第13条の幸福追求権の最大限の尊重の条項がある以上、「丸刈り校則があるところは、改正されないかぎり丸刈り校則を守る法的義務が存在する」という結論は絶対に出してはいけないのです。
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8月の半ばまでに、人権救済の申立てについて、一定の前進はあってしかるべきでしょう。
中学校側の反論としては、「うちでは丸刈りは自発的にみんなが守っているのであって強制ではありません」とか言ってくると思います。
各丸刈り中学校の丸刈り指導の実態について、いろいろ情報を代表のあけみさんや熊本県弁護士会あてにお願いしたいものであります。
丸刈り指導拒否者に対する体罰またはしつこい説得活動の実態とか、「丸刈り指導拒否者がいる以上丸刈り校則は変えない」などの校長の発言内容とか、その他の貴重な情報よろしくお願いします。
特に、丸刈り指導拒否者に対する体罰事件については、直接行為者に対して罰金刑ぐらいは課せれると思いますし、校長の進退問題まで拗れてくることになるかもしれません。
あと、各学校の女子中学生に対する頭髪の異常な規制についても、人権救済の申立ておよび救済活動の対象に加えるのは、当然でしょう。


はじめまして。 匿名希望のサラリーマンです。(2003/08/03)

私は神奈川県出身ですが、中学校に丸刈りの校則がありました。
現在44歳で、東証一部上場企業に勤務しておりますが、今でも酷い目に遭ったと言う悪い思い出しかありません。家内にも、中学時代の卒業アルバムは見せていません。
恥ずかしくて身内に卒業アルバムを見せられない義務教育って、いったい何を教えてくれるたのでしょうか??

以下は、一被害者からの私見ですが・・・

別に、校則なら校則でいいんですが、少なくとも、憲法で保障された『法の下の平等』は、守りましょうよ。
丸刈りにすべきと言うのなら、当然、女子も丸刈りにすべきです。
なぜ、男子中学生だけが??  と言う点が、ずっと疑問でした。
男の人生のうち、3年間だけを規制する理由が理解できない・・・。

そこで、男性教諭も女性教諭も、丸刈りにしましょう。
その方が、清潔感が有るそうですから、教育者にふさわしいはずです。
女性だけ髪の毛を伸ばしても良いと言う方が、私にはよっぽど納得できません。

何をやっても結構ですが、とにかく、平等にしましょう。
日本国民、全部を丸刈りにすると言うのなら、それで結構。
中途半端に、一部の学校しか実施しないのなら、、即刻廃止すべきです。
多数決が、民主主義の基本ルールです。

『丸刈りをやめよう』 といくら主張しても、アホな教育者には『実害』が全く無いのですから、真剣に話を聞くはずがありません。

丸刈りの校則を残すなら、教育者にふさわしくない事は、全面禁止する校則も作るべきです。
それが、『平等』と言う教育です。
教育者もすべて丸刈りにしろ・厚化粧は止めろと訴訟を起こした方が、よっぽど早くカタが付くと思います。その為の憲法第14条です。

自分たちの主張が、いかにナンセンスな事か、教育者にキッチリ教えるには、下記の校則を提案すべきです。反論できないはずです。
   ◎男性教諭も女性教諭も、教育委員会も、すべて丸刈り。
   ◎飲酒と喫煙は、教育上好ましく無いので、全面禁止。
   ◎女性教諭の化粧や香水は、全面禁止。
   ◎女性教諭の補正下着や、胸のパットも全面禁止。
      (教育者が、詐欺行為をしてはいけません!)
   ◎男性教諭のカツラも禁止。 整髪料も全面禁止。
   ◎教師は、勤務時間中はすべてジャージを着用。
   ◎女性教諭のアクセサリーも、教育に不要なので全面禁止。

清潔感あふれる教育現場を作るには、このくらいやらないとダメでしょう。
教育に必要無い物・好ましく無い物は、すべて排除しましょう。
ここまでやってくれれば、私は丸刈りに賛成します。

以上、自分も丸刈りにされた恨みを込めた、私見でした。


はじめまして(2003/08/03)

丸刈り強制校の母です。あけみさんの本も一気に読みました。
我が家の長男、次男も本にあったとおり、初め「丸刈り廃止」と言っていたのに、途中から、「あと少しで卒業」に変化し、そのままになってしまいました。
まったく、親もその流れに逆らうだけの活動もできず、多くの親の一人と成り果ててしまったのです。
だから、このことに触れた一節は、「ああ、これは私のこと」と共感、と同時に反省しました。
よくぞ書いていただいた、と思います。

さて、我が家にまだ丸刈りの中学生がいるんですが、夏休みの宿題で人権作文を書いていました。
もともと、作文の苦手な子。書き出しはまあまあで「僕は差別について考えてみました」と続いています。
ただ、これが限界で、その後が出てこない。
相談を受けて、身近なことが一番と思うけど、丸刈りはどう思う?と水を向けてみました。
例えば、何で男子だけ丸刈りなの?「長髪=非行」という意見がこの学校の保護者や先生方からよく出されるけど、そしたら女子は何で丸刈りじゃないの?なんて、言いたい放題の母に、息子も「そうだ、そうだ」とうなずいていました。
ただ、母の意見は今の中学校には過激と判断したのか、他のテーマに行ってしまいましたけれど。

人権作文は、人権意識を子どもたちに植え付ける教育の一環ですよね。
でも、熊本県の現状や、現場の先生方の発言を聞いていると、本当に人権を理解しているのかしらと思います。
それで、どんな風に人権のことを教えているんでしょう。不安もよぎります。

今回の人権救済要請、画期的でした。とっても喜んでいます。
"いずれ丸刈り強制は廃止になるだろうが、これまでの経緯(丸刈り廃止要請をずっと無視し続けたこと=はなから聞こうとしなかった)から、すぐに廃止というのもおかしい。
持って行き方が問題”、なんて変なところでもたついている学校もあるようです。
廃止は大義名分がないと面子上、難しいそうです。
理解しがたいけど、これが現場の本音のようです。
今回の快挙で、一気に廃止にすすむのではないかと思いました。本当にありがとうございます。

kk


はじめまして、あけみさん。(2003/08/02)
 私は福岡に住む44のどこにでもいるようなサラリーマンです。
子供は二人。男の子と女の子で上は10歳、下は8歳。
可愛い盛りです。
私は、父の仕事の関係から学生時代をほとんど東京で過ごしました。
だから丸刈りとは無縁で育ったのです。
私の母は昭和一桁で、青春時代を太平洋戦争の中で過ごした世代です。
私の母は、異常ともいえるほど学生の丸刈りを嫌いました。
その話を聞いて欲しくて、メールした次第です。

母は、日本女子大の卒業生です。
九州の田舎から東京の大学へと進学したのですから、当時としては恵まれた教育環境の中に育ったのだと思います。
私が中学生の時ぐらいから同じ話を、そう終戦記念日なるとテレビを見ながらよく話してくれました。
あけみさんはご存じじゃないかもしれませんが、太平洋戦争末期、日本には学徒動員という施策が行われ、軍隊への入隊はもちろん、女生徒も軍事工場への動員、つまり働きに行ったわけです。
ちなみに母は、幸運なことに当時東京の砧にあった電波兵器研究所に日本女子大から動員に行ったそうです。
幸運といったのは、研究所ですから周りは技術者の人で結構勉強になり、また工場のように精神論的な強制も無かったので本人は楽しかったそうです。不謹慎ですけど。
終戦記念日になると、毎年よくテレビで放映される学徒動員のシーンがあります。
それは、早稲田、慶応、東京の名だたる大学の学生が動員され戦地へと向かいました。
その動員されるとき東京の女子大学の生徒も見送りに行き、沿道に並び日の丸の旗を振って見送っているシーンです。
この時、母も見送りに行ったそうで、もしかしたら写っていたかもとよく話していました。
丸刈りの話、実はここから本題なのです。
学徒動員の前日、日本女子大の寮の前には、早稲田や慶応、灯台の学生がリヤカーに本を満載し届けたそうです。
「僕たちは明日から戦地へ向かいます。帰ってこれるか分かりません。これからの日本がどうなるか分からないけど、時代を担っていくのは女学生の皆様です。これらの本はもう読むことが出来ないかのしれません。僕らの代わりに読んでください」と置いていったそうです。
そして事実多くの動員された学生が二度とその本を読むことは無かったのです。
翌日、学徒動員の行進が皇居の前で行われました。
全ての学生が丸刈りに詰め入りの学生服、脚はゲートル巻きだったそうです。
母には、二度と返ってこなかった若き次世代を担う日本の学生、戦争がなければもっと大学で学び若き良き時代を過ごした彼ら。
その日の光景が未だに心の中に深い傷として残っていると話してくれました。
私が学生の時、東京では運動部の学生が丸刈りをしているくらいで後は様々。
でも田舎へ行けば学生は丸刈りでした。
それを見るたび、そう、みんな一様に丸刈りで制服を着ている姿を見ると、あの日の光景がよみがえるのだそうです。

校則に丸刈りを詠える人は、たぶん母の世代より若い人たちと思います。
戦争を知らず高度成長期の恩恵を受けて育った世代。
過去、日本が犯した大きな過ち、戦争。
恐ろしいのは、再び日本が戦争への道を歩むことです。
二度と母が経験したような、悲しい事があってはいけないのです。
戦争を知る人が少なくなりました。私もそうです。
でも、忘れてはいけない。
まだ、日本にはその大きな過ちによる傷を持ち続けて生きているひとがいます。
年老いて声は小さいけれど、こういった丸刈りに対する気持ちも有るのです。
今からの日本を担っていく若い世代に、あの暗い悲しい過去と同じ姿をさせて欲しくない。
髪が長くてもいい。茶色や赤や紫でもいい。
かつて一様に丸刈りに詰め入り姿の多くの若い命が死んでいったことに比べれば、生きているだけでも良いと思えます。
かつて日本がファシズムに一直線に進み過ちを犯した事を考えれば、外見をとやかく言うより正しいこと間違ったことを 明確に判断できる人間を育てることの方が大切ではないでしょうか?
最近の新聞を見ても、子供の嫌な事件が多く見受けられます。
学校だけの問題でしょうか?いえ、家庭、地域全て、いや大人の問題と思います。
ゴミを平気で捨てる親が子供にゴミを捨てるなと教えるでしょうか?

長く、とりとめのない文章ですみません。
ただ、この話を誰かに話したかったのです。 私も人の親になりました。親になって多くのことを学ぶことが出来たと思います。
我が子がどうしようもなく愛おしい気持ちも理解できるようになり、他人の子も自分と同じようにその子を愛おしく思っている親がいることも分かるようになりました。
私は、自分の子供を規則によって丸刈りにさせることは、一族の力を上げてでも阻止します。
それは、あの日学業半ばで親のため、国のためと死んでいった彼らと同じ運命を歩む学生をこの日本から 出さないためでもあります。
運動、頑張ってください。
少しでもこの社会が良くなるよう、私も日頃から願っております。

Aさんより


宮脇明美 様(2003/08/02)

私はいまから、30数年前、熊本市内の竜南中→済々黌にすすんだものです。
当時、中学校は、頭髪自由でしたが、済々黌は男子は坊主でした。
昭和44年、私が二年のときに、もう坊主は嫌だということになり、全校で話し合いになりました。
講堂で討論会も開かれ、投票の結果、頭髪自由となりました。

頭髪自由の論拠は、すでにHPで出ているものでした。
変わったものは、熊本高校は、頭髪自由なので、丸坊主が嫌だという優秀な生徒が、熊本高校に行ってしまう。
済々黌には、ボンクラしか来なくなる。という意見もありました。

あれから30数年たち、相変わらず済々黌は、熊本高校に大学進学では負けているようですが、よかったことは自分達の力で話し合い、結果を導いたことです。

熊本県内の中学校がこれほど、坊主が多いとは知りませんでした。
坊主は、自分の頭で考える力のない子ども達を作る制度です。
さらに、その子どもたちが大きくなって、自分で考える力の無い大人になって、再び、自分で考える力のない子供達を作り出してしまう、お粗末な制度です。

いま、熊本は川辺川ダム問題に揺れています。
自分の頭で考える力のある大人がまだ県内にいたという嬉しい証左です。
熊本県は、保守県といわれ、事実変革の波から置き去りにされているように感じます。

教育は、単に偏差値が優秀な子どもを育てることではありません。
自分の頭で考え、それを形にする力をもつ人間を育てることです。
前からそうだったから、これからもそうだ。という姿勢では、熊本はおろか、日本もダメになります。
事実、この10数年不況から脱出できない状況が続いていますが、「自分の頭で考える力もつ人間」を育て てこなかったツケがここに来ているように思えます。

        T.Y  50才   東京在住


t.k(2003/08/02)

新聞の記事読みました
学校側は人権問題とは認めたくないのか 責任のがれか はっきりした考えなどなにもいってはくれません
丸刈り強制がなくなっても学校側もほごしゃ側もそのことにはふれたくないという感じです
思った以上に地域の圧力は強く見えない力を感じます
あけみさんの活動にはありがたく思います
そして勇気をもらいます
がんばってください応援します


私たち現役中学生のために頑張ってください。(2003/08/02)
私たちもできるだけ頑張って丸刈りを反対していきます。
今日ニュースを見ていたら丸刈り廃止運動をしているということが放送されていました。
明日の朝刊にも載るんですね。楽しみです。
これから私たちも一生懸命丸刈りを廃止することを応援します。

Oさんより


お返事ありがとうございます。(2003/08/02)

特に当人たちには、俗に言う世間や学校側の関係者達と議論している猶予はありませんし、結論が出るまで議論するほど我々の人生も長い訳ではありませんからね…

水を飲むとバテルから、水を飲まずに練習を続けさせ、生徒を死亡させてしまったり重体にしてしまう、かつての体育会系顧問教師の価値観…、声を出していれば勝てるチームになるかのような高校野球によく見られる“声だし”に代表される誤ったムード作り…、挨拶の声が大きく、ハキハキとしていて、欠勤や遅刻のない社員が優秀であると査定してしまう企業風土…等々、「“丸刈り”肯定論」とも類似する、日本人に染みこんでいるこうした根拠のない価値観は、少しずつ撤廃、あるいは是正して行かなくてはならないと思います。

実は私自身こうして書いていながらも、広い視野を持ちながら自戒の念を忘れないように、改めて自分自身に言い聞かせております…

かず


書店で丸刈り校則をぶっとばせという本を見てHPに行ってみました。(2003/08/01)
私が通っているR中学校も昨年丸刈り校則について生徒総会を3回ほどしました。
生徒のほとんどは反対派だったのですが、昨年の卒業生がなぜ自分たちのあとの代から丸刈り校則がなくなるのか?という不満のため昨年の3年生が全員反対になりそれと少数派の人たちとを合わせて過半数を超えたんです。
それで正式に丸刈りは持続することになったのですが、その時校長は「残念でしたね。君たちの意見を尊重したかったのに」的なことを言ったんです。
生徒総会の時は「髪型の自由だけが個性を尊重する手段じゃないんですよ!」と反対派だったのに・・・。
今年の生徒総会でも入学してきた一年生が丸刈り校則をやめて欲しいという要望があったのに「昨年の生徒総会で決めたからダメだ」という意見でまだまだ龍ヶ岳中学校は丸刈りです。
もっと現在いる生徒の意見を聞いて欲しいと私は願っています。これからも頑張ってください。

Oさんより


Yさんより(2003/08/01)

ええと、新聞を目にしたのですが、掲示板に殴り書きしてもよろしいでしょうか。
頭髪にまつわる信仰がいまだにあるようですが、どうにも怪しいですね。

まず、頭髪が学業やスポーツへの集中力を削ぐ、というのが怪しむに足ります。
第一に、集中力というのは、散在する精神からある時ある一つの意思を一点に集中させた時に能動的に生まれるものであり、四六時中ある一つの集中対象しか持たない状態など有り得ないのではありませんか。
第二に、男性の頭髪にかかる手間など、微々たる物でしょう。単なる長髪なら尚更ですね。
微々たる余剰の差異に固執するのは神経症であり、一種の強迫観念で、気にするほうがむしろ不健全なのです。
逆に、頭髪を自分なりに整えることでアドレナリンが増幅する人もいるでしょう。ゆえに一般化すらできないのです。
勉学やスポーツに集中させることが本義であるなら、ケース・バイ・ケースでも問題にならないはずなのです、が。

次に、丸刈り校則と規範意識をめぐる捻れについてです。
校則(ここでは学区制に基づく義務教育に限定)というのは、森氏が言うように、発案者が曖昧で、制定の過程や改廃の手続きもまるで法の体をなしていないわけですね。
ルール自体がルールに基づいていない。
憲法では部分社会の法理として学校や企業に規律制定権力を与えていますが、あくまで相互契約が観念されており、限度もあるのです。
その点、現行では、学区制ゆえオルタナティブが事実上成り立っていないでしょう。

かつて、戦前の日本はドイツ法学(専制政治を裏づける考え)に基づいた法体系を採用していました。
議会権力が天賦の人権に優越し、「悪法も法なり」 「決まりだから無条件に守れ」が正当化されていたわけです。
この体系に基づいて何が行われたかを言う必要は無いでしょう。
多くの校則は、これを引きずりつつ、手続きが曖昧である点で、これ以下です。「〜」と同じ説明が繰り返されるばかりですね。
もちろん、子どもという理由で人権が制限される、などというのは極例外的です。
R.ベネディクトは日本と西洋の子どもの自由度を比較して、西洋の子どもが幼年期から思春期に上がるにつれ自由を獲得して社会規範を内面化するのに対し、日本では逆に幼年期から思春期に上がると自由を奪われて規範意識を形骸化させる構造になっている、と指摘しまてました。
本当にルールや規範意識を徹底させるなら、明確な手続きに基づいて生徒や親御さんが納得して守れるような規律を作り、相互契約として受け入れてもらう用意をすることが必要なのです。

次に、忍耐力についてですが、丸刈りと忍耐力は、ある程度相関するかもしれません。あらゆる抑圧は対象に忍耐力を要求するからです。
しかし、忍耐力をつけるという美名が一方的にまかり通れば、あらゆる暴虐が良しとされる。まともな国のすることですか。
丸刈りも同じ。そこには、或る目的に対してそれを達成させる手段の是非は大して吟味しないという、省略的・観念的な思考が脈々とあるのです。
忍耐力自体を否定するわけではないが手段は吟味する、という人が増えたからこそ丸刈りが問題となるのでしょう。

最後に、憲法は、たとえば自由・人権の制約について一部でLRAの基準を採用しておりますね。
これは「他の制限的でない有効な方法があればそちらが採られる」というものですが、引用して子どもに忍耐力などをつけさせるための、より制限的でない有効な方法、丸刈り以外にもごまんとありそうですね。
それを考え、実行するのが、教育の決定力を持つ日本の大人の努めではありませんか。
そのために、多くの人たちが、省略的・観念的思考に走るのを我慢して、日々試行錯誤している。
彼らの努力と、現代日本の法の支配を反古にしてはならない、これが私の考えです。

****長々と書きました。てきとうな文章で失礼いたしました。****


宮崎県内に住む主婦です。
今、長男は中学3年で私の母校に通っています。
今から二十数年まえ私が、中学の二年生から三年生になる年に 突然 校則が男子丸刈りになりました。
もちろん全校生徒反対でした。
生徒総会での意見も受け入れられず、結局しぶしぶ男子は丸刈りになっていきました。
その中で一人だけ最後まで長髪(といっても普通の長さ)を通した人がいます。
彼は今 県内で有名高校の教師になっています。
私は、自分の子供が中学生になるときにこの丸刈りが廃止されていなかったらこの中学には入れまいと思っていました。
地元を離れていた時期に 廃止になったと聞いて本当に良かったと思いました。
都会で育った超エリートの人間に「田舎ほど校則が厳しいんだね」と言われたことがあります。
学生は確かに校則で縛らなければならない時期かもしれませんが、丸刈りはあまりにも時代遅れだと思います。

Mさんより


都内在住会社員です。(2003/07/31)

(注)不真面目な意見は掲載しません(と言っても、かなりいい加減な意見でも掲載します)…という記述に好感が持てましたので、気ままに書き込ませて頂きます。

正直な話、いまだに“丸刈り”があると聞いて驚いているところです。
ショットバーに行って、ウケねらいで「俺、マルガリータね!」などと言ってる場合ではないですね。

少なくとも、「管理しやすい」と言う管理者側の意図により、制服、髪型等が定められ運用されてきたわけですから、教育機関として設立・設置された学校の規則の中にそのような細目が規定され、当該校に属する学童・学生に適用するのは、管理者側からの統制の手段として「校則」がもっともらしく設けられているのは当然でしょう。

しかしながら、ひとたびその校則に記されている文言の根拠を問いただしだした途端、管理者側(教員等)からは決して、理路整然とした回答は得られないどころか、「清潔感」「学生らしい」「精悍で男らしい」…などと、甚だ感覚的・主観的で、思い入れ120%な私感しか帰ってこないのが実情です。

さて、現状はさておき、実践的に考えないと禅問答の繰り返しのようになって、ただの議論好きになってしまいます。
もし「丸刈り」がイヤなのに丸刈りを強要される学校に入学しなければ鳴らない状況に陥ったらどうすればいいでしょうか?
「丸刈り」とは、これまで培われてきた、日本人のメンタリティーが分かり易い例として具体的に示されている典型例でしょう。
「丸刈り」イヤなら、「丸刈り」のない自治体あるいは学校に行くのが早道です。

複雑に入り組んだ議論は、議論好きや市民団体、活動家などにまかせましょう。

髪型などというものは、そもそもファッションの表現形態の一つでしかなく、交通ルールのように守らないと当人も他通行者・通行車も危険を及ぼす様なものとは根本的に次元が異なるわけですから…

かず


こんにちは。海外よりメールします。(2003/07/31)

まだ、丸刈りってあったのねーと妙に感心してしまいました。
髪を伸ばす事が自由もしくは、権利と呼ばれるものだったのかと確認しました。
私の昔からの疑問ですが、なぜ学校に校則を強要させる権利があるのかということ。
子どもの管理は親の仕事であって、学校ではないと思うんですが。
丸刈りにさせたければ、親が自分の子どもにさせればいいのであって、学校から管理されることではないのではないでしょうか???
丸刈り廃止で犯罪が増えるという意見の方。
仮に全国の中学生を丸刈りにしたとしても、少年犯罪は減らないと思いますよ。
少年犯罪はもっと根が深く、大人が話し合うべき問題ですよね。

私は、この駐在が終わったら熊本に行く予定なので、こんなとこ(ごめんなさい、保守的という意味で)でうまくやっていけるのか心配です。

A.I


K.U さんへ(2003/07/31)

はじめまして、ご意見読ませて頂きました。
文面からさっするところ、誠実な良い方なのではないかと思いますが、いくつか誤解してらっしゃると思い、私見を述べさせて頂きたく思います。
まず、「法律的に言う『意思』」が中学生にない訳ではありません。
中学生は意思無能力者ではないのです。
各法律により違いますが、民法上は大体7〜10歳くらいから意思能力ありと判断されることが多いようです(あくまでも個別で判断)。
刑法上は確かに『14歳未満は罰しない』と責任年齢を定めていますが、これは彼らに意思能力がないからという理由ではありません(間接正犯についての議論)。
「社会生活を送る能力がなく、法律的な責任意思をいわば免除された存在」というのは、意味不明ですが、刑事責任免除についてイメージされての発言なら、「社会生活を送る能力がない」というのは、何の関係もありませんし、よく、未成年が(例えば)物を壊したりした際に、本人でなく親が賠償したりするというのを見聞きしての感想なら(民法上の不法行為)、これは、未成年に『責任能力』がないからではなく、資力(賠償の為のお金とか財産)がないから、被害者救済のため、監督責任という点に着目して親に賠償させているのです。
次に、「人権的な見地から彼らに権利を与えるなら同時に法律的な義務、責任も負うべきで」というご意見ですが、第1に、人権というのは何かによって『与えられる』ものではありません。
全ての人間に本来的にあるものです。
憲法にからめていえば、全てのひとが本来持つ人権が何らかの力により損ねられたりすることがないよう、憲法が保障するということです。
第2に、権利と義務が表裏一体の関係にあるというのは間違った考えではありませんが、どんな権利とどんな義務がそれにあたるのかきちんと区別して考える必要があります。
この場合、仮に「彼らに(自分の髪型を自分で決める)権利を与えるなら同時に義務を」と読むとすれば、一体‘どういった義務’を負うべきだというのでしょうか。
たとえば、私は自分の髪型を自由に決めることが許されていますが、それは成人で納税している‘から’という理由なのでしょうか。
『最近の若者は義務は負おうとせずに権利ばかり主張する』というようなお決まりの若者批判と戦後民主主義の否定をないまぜにしたオヤジたちのダミ声を子供の頃から聞いていると何となく『それもそうかな』という気になってくるのかもしれませんが、キチンを読み直せば、なにやらグジャグジャした偏ったイメージだけで、内容はまるで不明瞭なのがわかります。
そして、「丸刈りがなくなる方向になってきてから中学生の凶悪事件が顕著に増えてきたような気がする」というのは事実誤認です。
若年者の凶悪事件が昔はなかったかのように誤解している人は多いようですが、そんな訳ではありません。
それから、文末に、先生や大人たちの厳しい態度について、ご自分の経験を元に肯定的に書いてらっしゃるのと同じ様な感慨を、私も先生の愛情に裏打ちされた叱咤を感謝の念を持って記憶しておりますので共感して読みましたが、個別の経験を元に一般を語る危険性は忘れてはならないと考えています。
「大人と子供の境界」をきちんとつけ、大人が毅然とし子供をしつけることには大賛成ですが、人間を『管理』する(家畜のように扱う)ことを肯定するような振舞いを大人がとることは、社会のルール、人間のあるべき姿を教えることと逆の行為のように思えます。
人間は、(勿論私も)先入観や偏った物差しから完全に離れて、物事を判断することが難しい生き物です。
だからこそ、きちんとした検証や経緯、(例えば、中学生の凶悪事件の、マスコミや今の気分に流されない、変遷の実際、丸刈りの歴史的な成立経緯)を議論することが必要ではないでしょうか。---

Tさんより


毎日新聞の報道を拝見し、投稿させていただきます。(2003/07/31)

長崎に住んでおりますが、私の中学校も丸刈りの校則でした。
しかし私はその校則に納得できず長髪で通しました。
もちろん毎日のように生徒指導と体育科の教師が放課後に呼び出しては、丸刈りにしろとか直接には言わなくても、遠まわしに言ったり、成績と結びつけて丸刈りの方が、成績が伸びる、など言ってはなかなか家に返しえはくれませんでした。
当時は新入生でしたので、上級生から呼び出しをくらったり(無視してましたが)部活の先輩からはいやがらせを受けたりなど嫌な思いもしておりました。
在学中、長崎のKTN(TV局)の番組でこの丸刈り問題が取り上げられ、私はその番組で丸刈りについていくつかインタビューを受けました。
そのせいもあってか、それから後はうるさく言ってくる教師はいなくなりました。
反対に私に好意をよせてくる教師も少なからずいらっしゃいました。

結局私が卒業した翌年に、生徒会ががんばって丸刈り校則の撤廃に成功しました。
私は本当なら無理してでも生徒会長に立候補してでも校則を変えるべきだったのかもしれません。
しかし、後輩に丸刈り校則の無意味さを伝えることはできたのではないかと思っております。

その私も卒業してから10年が過ぎました。
この町で子供たちのために町議会議員としてがんばっております。
丸刈り校則をなくすためにも私もお手伝いできればと思います。

長々となりましたが、これで終わらせていただきます。
失礼いたします。


M.O(2003/07/31)

はじめまして。
私は秋田県出身です。
私の出身中学校も6年前までは丸刈りでした。
先生方の指導は凄くいやだったというか「大人の言うことを聞け!」
「ガキの分際で」的な態度が凄いいやだったなぁ。
今はボーズもそうですが、秋田では染髪も問題になってますね。
子供にだって人権がある。大人が規則を決めるんじゃなくて、お互いに納得できるルールを作らなければ、それは人権侵害だと思います。
今は大学生で将来教師になるつもりですが、私は学生の目線になれる教師なりたいと思います。
学校の中では「ルールを守ることだけが先行し、ルールの意味考えない、創り出せない社会」が形成されています。
それが実現するまで、私もがんばりたい
このようなサイトがあることに敬意を表したいです。


掲示板を全部読んだわけではないです。(2003/07/31)
また、少々乱暴な書き方をしているかもしれませんが他意はないので予め御承知おき頂いた上で・・・。
僕は基本的に丸刈り賛成です。ちなみに現在29歳です。
髪型くらいで、人権だとか自由だとか、ちゃんちゃらおかしいというのが正直なところです。
もうちょっときつく言うと、中学生くらいまではもっと「抑圧」しておけよとおもいます。
「抑圧」とは、行動や自由を無理におさえつけることのほかに、精神分析の用語で「不快な考えや感情を無意識のうちにおさえつけ、意識にのぼらないようにすること」とあります。
なまじ分別のつかない子供に、自由を与えてどうなったか?
ついこのあいだ朝の番組で「90年代、登校拒否を不登校という言葉に置き換えて、子供に「学校へ行かなくていいじゃないか、子供の尊重しよう」、といううねりが合って、それが、今になって20歳を超えて「引きこもり」となって、犯罪をおこしているという解説がありましたが、まさにその通りで、結局その責任は教育者や親御、国も責任をとっていないのが現状だとおもいます。
人間には成長とともに段階が合って成長に連れて、責任と引き換えに徐々に自由を与えていって、大人になっていくのが正しいのであって、責任もとらなくていいのに自由だけ与えていっても意味がありません。
そのアンバランスが、少年犯罪の低年齢化につながっていると思います。
で、本題ですが、そのことを考えれば中学生の丸刈りなんて弁護士がシャシャリでてきて大事にするほどのことでもないです。
丸刈りの抑圧なんて取るに足らないものだと思います。
弁護士おまえ、もっとほかに考える事があるだろうと!
たいていの男子は中学生くらいになると、「ちょっと不良めいた事をするのがカッコイイ」と思うものです。
僕も、中学生のころは、「BE-BOPハイスクール」とかが流行ってて、ニッカポッカみたいな制服をきて、隠れてタバコを吸って、楽しんでいました。
もちろん丸刈りで、髪が伸びてきた生徒は強制的に職員室で教師に押さえつけられバリカンでツルツルに剃られてしまったりしてました。
ちなみに僕の場合、小学生の時までサラサラヘアだったのに中学生で丸刈りにしたおかげで、高校以降は髪を伸ばしてもくせ毛しか生えてきません・・・・。
中学生のとき、丸刈りにしてなければ今ごろサラサラヘアでいろんな髪型でお洒落して女の子にももう少しもてたかな?といろいろ思うことはありますが、だからといってそのくらいで、中学校をうらむとかないですし、思春期の不安定な時期に、逆に押さえつけられてて良かったなと思います。
子供を信用して、とかいう保護者の声とか聞くと、虫唾が走ります。
それは教育ではなく教育放棄です。
はっきり言って、丸刈りを問題化すること自体、それこそが問題で、そんな大人達がいることが問題です。
ちなみに、僕は体罰もあって止む無しだと思っています。
きっと丸刈り反対の方々は体罰なんてもってのほかとお思いなんでしょうねぇ・・・。
乱文、長文すいませんでした。

たっちゃん


はじめまして。(2003/07/31)
毎日新聞インターネット版を読みました。
1960年生まれ42歳です。
もう30年近くまえの話になります。
私も中学の時に転向した学校が丸刈りで大変悔しい思いをしました。
転校時に校長先生に「なぜ丸刈りにする必要があるにか」と尋ねても校則だから、皆がやっているのだからあなたも従いなさいと言うだけで納得の出来る回答をもらえませんでした。
それだけでなく校長はもうすぐ退官するから問題を起こさないでくれとまでいいました。
その結果登校拒否になり国立国府台大病院に通院しながら心のケアをうけました。
クラスにもなじめる事が出来ずに、何度も自殺を試みた事まであります。
結局中学の卒業式も出ることができずに、当時の心の痛みは今でもしこりとして残っています。
いまからでも学校を人権侵害として訴える事が可能なのでしょうか?
ちなみに当時の学校は千葉県我孫子市我孫子中学でした。

K.U
http://matsusaka.ne.jp/~ji1fgx/HAM/


丸刈りについて(2003/07/31)

どうもはじめまして。
時代の趨勢なのでしょうからとやかく言ってもしょうがないと思っていますが、一言。
丸刈りがなくなる方向になってきてから中学生の凶悪事件が顕著に増えてきたような気がするのですが…
自由にノビノビと…という発想も、人権という発想も決して間違ってはいないと思っています。
しかし、中学生に法律的に言う『意思』…意志ではなくて…が発生するのでしょうか?
彼らは保護者の保護なしでは一般社会における社会生活を送る事はできません。
私個人としては社会生活を送る能力がなく、法律的な責任意思をいわば免除された存在にあまり人権、人権…と言って甘やかさない方が良いのではないかと思っています。
もし、人権的な見地から彼らに権利を与えるなら同時に法律的な義務、責任も負うべきで、その事は私に 彼らにとって酷な事ではないかという印象を与えます。
親もいけないのでしょうが、小中学生のくせに茶髪にしている事自体に私は大きな疑問を感じています。
この団体を今さっき知ったばかりなので詳しい活動を知らないまま書いているので、失礼に当たる事や 趣旨と違う事を書いているのかも知れません。
しかし、あえて言わせてもらえるならば、子供は大人に殴られて覚えていった方が良い、という事です。
更に踏み込んで言わせてもらうと、法律的な義務や責任を保護者なしでは負う事のできない人間に人権なんて必要最低限度以上は要りません。
…ちなみに、私は30代半ば。
大人と子供の境界がはっきりしていて、それを踏み越えると怒られたし学校に1人や2人必ず熱血漢で手も出す事はたまにあっても、生徒に慕われるという教諭もいたし、近所の人にも悪さをすれば怒られたものです。
そして、何よりも“丸刈り”世代です。
乱文失礼致しました。

hirosi


こんにちは(2003/07/31)
HPを見てひとこといわせていただきます。
丸刈り校則は必要ではないでしょうか?
人権問題?おおげさな。
そんなことを言っているから、今の子供たちは自分たちの権利ばかり主張し、暴走し、さまざまな事件を起こすのではないでしょうか。
一昔前なら、こんな凶悪事件はありませんでした。
大人(特に学校)が甘やかしすぎではないでしょうか。
丸刈り廃止を訴える前に、もっと大事なことを公約にするべきでないでしょうか。

水間


丸刈りについて意見したいのでメールします。(2003/07/31)

あのですね。丸刈り丸刈りって言ってますけど、いっそのことどうでしょう?
それが清く正しい髪型ならば、先生もいっそのこと清く正しく全員、丸刈りになさっては???
もちろん、それにあわせて女教師もおかっぱ。
それに教育委員会の方々も全員丸刈り!!
もっと若者たちには、大切にして欲しいこと、大切にしなければならないことを教えなくてはいけない時代に、なんてくだらない校則をつくって議論しているのでしょうか?
本当に熊本県の教育レベルの低さ(教える側の低さ)が身に染みて解った気がします。
そんなに大事な校則なら先生はじめ校長もみなさん、丸刈りにしてから議論してくださいよ!!
きっと、年輩の方は特にこっぱずかしいでしょうね。少年たちも同じ思いなのです。
本来、議会で重要な問題を話し合わなければいけないのにやれマスクがいけない、素顔で出てこいどうのと、多くの税金をつかって散々討論して貴重な時間を無駄な話ばかりで費やしていたどこかの県の皆様みたいです。
そんなくだらない校則は即刻破棄してもっと大切な少年問題のことについて沢山議論し話し合って欲しいです。
少しは教育者として、大人として恥をしりなさい。
以上です。

M.T


丸刈り校則は迷惑(2003/07/31)

はじめまして。
今朝yahooのニュースで丸刈り校則の現状を見てメールしました。
まだホームページをよく拝見していないので、意見が重複していたらお許し下さい。
恐らく丸刈り反対の反響は大きいことでしょう。
幸い私は丸刈り強要の経験はありませんが、丸刈りの集団はよく見かけました。
今でも丸刈りが多い地域があるのですね。
丸刈りにされる生徒達の人権が侵害されているという観点から丸刈り校則廃止の動きは当然と思われますが、私は別の観点からこの校則廃止を訴えます。
丸刈り校則は他地域に迷惑です。
ディズニーランドなどの楽しく明るい雰囲気が大切な場所に丸刈りでジャージ姿の修学旅行と思われる集団がいることがありますが、これは場所の雰囲気を壊します。
こういう場所で丸刈りをさらす生徒達が可哀想なのは当然ですが、このような校則が周りに迷惑を及ぼしていることも学校は考えなくてはいけません。
また、タイ人留学生は、タイでは僧侶以外が丸刈りなのは囚人か問題集団であって、「アブノーマル」と表現していました。
勿論欧米人には丸刈り校則についての合理的な説明ができません。
つまり、外国人に、日本人は人権意識や自己責任意識が極めて欠如しているという感覚を与えているのです。
丸刈り校則は、その地域、学校の独善であり、よその地域からすれば迷惑ですらあることを、このような校則を持つ学校側は知るべきです。
丸刈り校則廃止を応援しています。

鎌倉市在住T.M


HOZEN(2003/07/31)

丸刈りについて意見を言わせて下さい。
なぜ丸刈りがいけないのか・・・・!私にはわかりません。
確かに校則で生徒全員に丸刈りを強制する事は問題があると思いますが丸刈りが人権無視であると言う意見も問題ではないですか?
部活などで丸刈りするのは私は当然だと思います。
なぜならば、丸刈りをする目的は、髪の毛があると、それなりに多感な時期であり、ヘアースタイルなどを気にし、そんな事に色気づくぐらいなら、丸刈りにし、そのような邪念をふりはらい、スポーツに集中するべきであると言う考えがあるからです。
今の子供達は親によって守られている、過剰な過保護になっていると思います。
もともと、学校と言うものは学業とスポーツなどを団体生活の中で学ぶものです。
その団体と言う事を理解されていない方が多いいのではないでしょうか?
人権と言う言葉をあえて使うならば、社会人になっても人権は確保できると私は考えます。
今の世代の親達が子供の時を考えてみた時今のように親が前に出て学校と闘っていたでしょうか?
目的ある時代遅れの事を継承していくのも私達ではないでしょう?


何がしたいんでしょう?(2003/07/31)

HP拝見させていただきました。
が、どうも納得がいきません。
私は地元の中学時代、坊主にしていました。
強制に近いものがあり、髪が耳にかかるとおこられ、髪の事で集団で先生に呼ばれたり注意されたりしたので(部活で野球もやっていましたし)坊主にしました。
そのためけっこう他にも坊主の子はいましたが、みんな普通に暮らしていました。
誰も「デパートに友達と行きたいけど丸刈りで恥をかきたくないよ」なんて言ってないし、「結婚式で恥ずかしくて中学時代の写真を出せなかった」なんてことはありませんが?私の友人の結婚式では当たり前のようにスライドに出してましたけど。
現在私は大学生です。中学以来野球は続けているので、年中坊主or短髪です。もう慣れたと言うか、かえって楽なので。
どれだけ髪にこだわって生活しているんでしょうかね?
たしかに思春期にファッションを気にするのももっともなことでしょう。
しかし、我が強くなる思春期だからこそ規則を設ける必要があるのではないですか?
最近のガキは耐える事をしらなすぎ。
そしてあんたみたいな「子どもの代弁者」ヅラして学校教育にたてつくバカな大人には虫唾がはしる。
丸刈りどうこうでもめる前に、子どもに自由を与え過ぎて威厳を失った学校の事も考えろ。
このHPが全国の学校に新たな悩みを与える事が本当に残念です。

ishibashi


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