みなさんから寄せられた意見12

みなさんから寄せられた意見12

丸刈りに直接関係ない意見でも掲載します。
丸刈り校則が大好きな方の意見も歓迎します。
丸刈りに関する過去のエピソードなど大歓迎です。(作文でも詩でも短編小説でもなんでもいいです)
(注)不真面目な意見は掲載しません(と言っても、かなりいい加減な意見でも掲載します)。
みなさんのアドレス、本名などは、いかなる場合でも絶対誰にも教えません。

自由惑星(2005/02/24)

男は丸刈りが似合うとか、丸刈りをバカにして、丸刈りを助長させるコーナーがありました。
見ていて非常にムカつきました。
全国の一部の男子は無理矢理、ボウズ頭にされてるのに、その子たちを茶化すような番組造りは許せません。
テレビ局に苦情電話しましたが、一個人の男性が苦情出しても取り上げてくれません。
是非、「丸刈り校則をなくす会」と言う団体組織から、テレビ局に苦情を訴えてもらいたいのです。
他力を使うのは卑怯かも知れませんが、組織の力だとテレビ局もお詫びの報道をして貰えると思います。
お手数ですが宜しくお願いします。
フジテレビ視聴者受付TEL 03−5531−1111(9時半〜17時)
そのコーナーは2月23日朝7時半前に放送されました。
番組の内容は、男は丸坊主が似合う、とか、男はやはりボウズ頭がいい、とはっきりとは言わないが、印象付ける情報コーナーでした。
しかも若い女の子に坊主頭を実際に触らせて喜ばしたり、女子アナは気持ちよさそう、とコバカにした内容でした。
ボウズ頭を拡張させる内容でした。
ボウズ頭に強制的にされてる男の子の心情を全く無視した放送で、ボウズ頭を実行してる学校には持って来いの内容でした。
是非、組織でフジテレビに苦情お願いします。
全校廃止にしたいのです。
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メールありがとうございました。
私は、その番組を見ていないので、なんとも言えませんが、丸刈り校則とは、直接関係ないようなので、今回は、苦情の電話は見送りたいと思います。
管理人あけみ


自由惑星(2005/02/22)

私は、広島県人ですが、確かに九州はまだのこっているのですね。
広島は丸刈り中学は今は存在していません。
理由は簡単、人権問題。
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メールどうもありがとうございます。
熊本や鹿児島は、上の人間が人権意識が低いので、こういう見苦しいことになってます。
いい恥さらしですよ。
管理人あけみ


J(2005/02/15)

あけごん、お元気ですか?
熊本の「丸刈り」中学校もだいぶ少なくなりましたね。
さすがに弁護士会を向こうにまわして対抗できるほど、「丸刈り」校則を正統化できる校長はいないということですね。
残る「丸刈り」中学校にしても、生徒会がどうの、PTAがどうのと、結局学校側の主体的な見解を示すことができない「丸刈り」校則っていったい何なの?という感じですよね。
やはり、公権力には公権力なのか!!
でも、ここまでもってきたあけごんに、敬意を表します。
今日はこれまで...。

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どうもありがとうございます。
丸刈り強制中学校は、後6校です。
早く、全廃しないといけません。
管理人あけみ


どとうとしや(2005/02/13)

<<<<熊本県の「丸刈り」中学校が激減しております>>>>

熊本県弁護士会の「丸刈り校則は人権侵害」との認定および廃止に向けた勧告がじわじわ効いてきた模様です。
来年度「丸刈り」続行が確認されたのが4校にまで減りました。
代表のあけみさん、および「勧告」の担当の弁護士の方、およびこのサイトに登場していない影で動いて下さったみなさんに、私自身相当の敬意を表すものであります。
特に、いろいろ丸刈り指導反対に動いて下さった中学生のみなさんおよび地域住民のみなさん、本当におめでとうございます。
地域や各中学校でのいろいろな「丸刈り」廃止を勝ち得たエピソードとか、よろしくお願い申し上げます。

<<<<日本全国の「丸刈り」中学校の情報お願いします>>>>

丸刈り校則実施率では、もはや熊本は第一位の汚名を返上しました!
鹿児島県やその他の県での情報、切にお願いしたいものであります。
「丸刈り」の問題は元来は日本全国の問題であり、また「丸刈り」の総括は、文部科学省はもちろんのこと、日教組の教職員組合なども含めて、真摯になされるべきでしょう。
まだまだ、「丸刈り」に対する我々の闘いは続いています!


もんた(2004/12/06)

『社会ニュース - 12月4日(土)12時34分 熊本市の私立高校の男子寮で9月、2年生3人が1年と3年の各1人に、尿を飲ませるいじめをしていたことが4日、わかった。』
いったいどこの高校ね?
今まで、熊本の教育関係者は、生徒に何ば教えとったとね?
人格否定の象徴「丸刈り校則」なんかば、ほっとくごたあ、教師ばかっじゃけん、そぎゃんこつばする生徒がでてくっとよ。


ささな(2004/11/21)

今週BS2で、ずーとゴジラ映画をやってますが、昭和29年製作の一番最初のゴジラにだけ、準主役の子供が丸刈りででていました。
50年前は子供はみんな丸刈りだったのかあ!と、あらためて実感しました。
ところで、丸刈り校則のテーマ曲ですが、一番最初のゴジラに使われていた曲と似てますね。


たんたん(2004/11/12)

アメリカの大統領には、結局、誰がなっても同じことです。
いかに大統領でも、上層部の命令には逆らえません。
自分がアメリカの指導者だと勘違いしたら、ケネディ大統領みたいに暗殺されてしまいます。
今、日本はアメリカに従う政策を採っていますが、最悪の選択ではありません。
ロシアや中国がアメリカ並みの軍事力をもったら、世界はもっと最悪な状態になり、日本の立場は不安定になり、どの国と親しくしたらよいのか、判断が難しくなります


TY(2004/11/05)

あけみさま
こんばんは。
ブッシュ再選に絶望して、替え歌など作ってみました。ご笑覧下さい。
大袈裟なと思われるかも知れませんが、アメリカは罪もグローバルですから。
 注) 私はオフコースのファンではありません(笑)。
この曲は私なんかの世代の日本人の殆どの耳にこびりついてる曲の一つですから。絶望の淵で、自動的に「もう終わりだね…」と出てきました。

「さよなら」オフコース

1、 もう終わりだね テラ(地球)が儚く消える
   Bushを思わず 君は絞め殺したくなる
  「彼が退かないなら この際アメリカ消して」
   人権と民主主義が腐り果て消える

  「アメリカ!『自由』だね」 いつかそう話したね
   まるで今日のことなんて 思いもしないで

  さよなら さよなら さよなら もうすぐテラ(地球)は無人星
  見えるのは碧い海だけ 生き物は死に果て

2、あす(未来)はわからんで リンカーンの替わりに 猿が
  ホワイトハウスの椅子に座るかもしれない

  オサマがテロるからと、 何もしていない国(イラク)を
爆撃し続ける寒い奴を 君(米国民)は好きになった

  さよなら さよなら さよなら もうじきイラン、サウジまで  
選んだのは 確かに キミ達 自由の国のキミ達

  さよなら さよなら さよなら もう既にそこは白の国
  得するのは 絶対に 白人だけ 金持ちの白だけ

  さよなら さよなら さよなら もうすぐテラ(地球)は無人星
   見えるのは碧い海だけ 生き物は死に果て

    外は酸性雨 やがて海面上昇
  僕らの住める島を 覆い沈めるだろう 覆い沈めるだろう

(本歌)
1、もう終わりだね 君が小さく見える 
  僕は思わず君を 抱きしめたくなる 

  「私は泣かないから このままひとりにして」
  君の頬を涙が 流れては落ちる 

  「僕らは自由だね」 いつかそう話したね
  まるで今日のことなんて 思いもしないで 

  さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い
  愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ 

2、愛は哀しいね 僕のかわりに君が
  今日は誰かの胸に 眠るかもしれない

  僕がてれるから 誰も見ていない道を
  寄りそい歩ける寒い日が 君は好きだった 

  さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
   愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ

  さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い
  愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ

  さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
  愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ 

    外は今日も雨 やがて雪になって
  僕らの心の中に 降り積るだろう 降り積るだろう

お粗末でした。
では、季節柄、ご自愛お祈りしています。
あ、当然、丸刈り校則全廃も、祈ってます!


トクメイ(2004/11/05)

ここでは、夜回り先生こと水谷修のことが話題になっているようですね。
NHKは、水谷修のインタビュー番組を3回も4回も再放送してますが、日本にはそうとうな数の水谷ファンがいるようですね。
私は個人的には、水谷修の考え方、生徒指導の方法は、かなり偏ったものと考えています。
水谷修は、子供と大人との関係が、子供を非行から守るために最も重要だと考えているようです。
水谷修自身、子供のころ、頼りにできる先生が死ぬほど欲しかったそうで、自分が先生になったら、生徒が頼れる先生になろうと思っていたそうです。
水谷修は、毎回講演会で、親に「帰ったら自分の子供を抱きしめてください」と言っているようですが、私は個人的には、親から抱きしめられて喜ぶ子供は、ほとんどいないと思っています。
世の中には、犬型人間と猫型人間がいますが、猫型人間は、できるだけ人に干渉されたくないのです。
私などは極端な猫型人間で人に干渉されるのが大嫌いですので、水谷修のような人が先生だと正直困ってしまいます。


匿名(2004/11/03)

タイトル:若者が危険地域に行くのは親の責任

親が子供に「立派な人になれ」と四六時中言っていると、子供は簡単に暗示にかかってしまう。
これは立派な児童虐待だ。
先日の人質殺害事件での親兄弟のコメントを聞くと、やはり「この子にしてこの親ありか」とあらためて考えさせられる。
自分が正しいと信じ込んで間違った子育てをしている親の多いことには驚かされる。


どとうとしや(2004/11/03)

<<<<「夜回り先生」観て、泣いてしまいました!>>>>
10月27日にTBS系列で「夜回り先生」があったので、見ました。
水谷修さんの著作の「薬物乱用」(大修館書店)を私は以前読んだことがあるんですが、青少年が覚せい剤やシンナーなどの有害薬物に手を染める問題について、「人間やめますか、覚せい剤やめますか」というような、一発でも覚せい剤をした人間は「人間の屑」かのごとき世間の俗説に批判を加え、あの「夜回り先生」にも出てきた病弱の母思いの少年がシンナーに手をだし事故死するような実話を出して、まじめで親切な青少年が「薬物」に手を出してしまうような薬物乱用問題の深刻さが書いてました。
ドラマ「夜回り先生」では、実の父から性的虐待を受けてきた少女が覚せい剤に手を出してトラウマから精神がなおさら不安定になり人生を閉じるという悲しい話も出てまいり、私としても泣きながら見てまいりました。
特に少女時代の強姦や性的虐待の悲しい話は、本人にとって話すことは非常に苦痛でしょうし、「荒れ」によって気分を晴らす気持ちも大いに理解できますし……。
アカデミー主演女優賞作品映画「モンスター」や、児童性的虐待の被害者だった女性が中心となり埼玉県で起きてしまったネット集団自殺事件など、少女に対する性的虐待問題について大いに考えさせられることと今年はなりました。
ちなみに、水谷修さんは、高校生時代に政治集会に参加して警察に補導されたことがあるそうで、少し「荒れた」青少年時代を過ごしたそうであります。

<<<<10月18日の匿名さんの書き込みありがとうございますが……>>>>
10月18日の匿名さんの投稿拝見しましたが、「夜回り先生」に涙した者として、失礼ながらもレスを書いておきます。
「ドラッグ」問題ですが、警察の専権問題というよりは、警察が出てくる前に教師や知人など周りの大人が対処すべきだと私は考えます。
匿名さんの気持ちは分かりますが、薬物乱用の問題は決して過激なものだとは私自身思っていません、アメリカ合州国大統領経験者や有名芸能人などかコカイン・マリファナなど手を出していることを認めていたりして、社会にどっぷり入りこんでいるものであり、私や私の周りの人そして街を歩いているどもたちもひょっとしたら関わっているのではというような切実な問題だと考えますが。
とは言うものの2004年現在での「丸刈り」問題でのドキュメント番組実現を私もすごく切望しているのですが、地域住民の反発その他で没にされるのでしょうか、あまり実現できなさそうであります。
また、投稿お待ちしております。

<<<<副代表格の人と熱心な会員さんたちの活躍を!>>>>
「中学校の丸刈り校則をなくす会」の代表のあけみさんは、いろいろ多忙のなかか、それとも病気療養中か分かりませんが、大変な中、丸刈り校則全廃に向けて一生懸命動いて下さってると思われます。
やはり、副代表格の方や熱心な会員の方たちが登場し、自分の責任の範囲で「丸刈り」全廃に向けた説得活動その他の活動を続けて下さることを、すごく熱望しているものであります。
「今は静観しているのですか?」との書き込みのともやさん、まずは「丸刈り」全廃に向けて、何か動いていただければすごく幸いであります。
お互い様、できる範囲内で頑張りませんか!


ともや(2004/10/27)

最近、巷では、さっぱり丸刈り校則が話題にならないようです。
おそらく丸刈り校則が激減したからでしょう。
これも、なくす会のおかげだと思います。
ところで、なくす会は、来年の4月時点にどのくらい丸刈り校が残るかを見極めるまで行動しないようですが。
今は静観しているのですか?


匿名(2004/10/18)

子どもを虐待から守る運動をしている人は全国にいるでしょうが、最近「夜回り先生」が注目されています。
漫画、小説、テレビドラマ化がすでに決定されているようです。
すべて実話で、「人を殺した子ども」「自殺をした子ども」「ドラッグで廃人になった子ども」などが登場します。
内容が過激なだけテレビウケするのでしょう。
しかし、マスコミが過激なものばかりを取り上げるおかげで、地味な子ども救済運動がさっぱり目立ちません。
「夜回り先生」が取り扱っている問題は、ほとんどが犯罪と言えるもので警察の仕事ですが、強制丸刈り校則は、警察が全く手出しができない問題です。
そのため強制丸刈り校則は、いつまでたっても野放し状態です。
報道関係者には、視聴率にばかりこだわらないで、是非、強制丸刈り校則問題を取り上げてもらいたいものです。


通行人(2004/10/12)

タイトル『正しい映画の見方』

つまらない映画を見たあとは、むなしい気持ちになります。
わたしは以前「今年一本しか見ないのなら、この映画」といキャッチフレーズにだまされて、『漂流教室』というトンデモ映画を見てしまいました。
それ以来、わたしは、10年ほど映画恐怖症になり映画を見なくなりました。
しかし、最近はインターネットのおかげで、面白くない映画を見なくてすみます。
映画を見る前には、必ず映画の評判を下記のサイトでチェックして、見る価値のある映画なのか確認してください。
みんなのシマネレビュー
映画生活


どとうとしや(2004/10/11)

<<<<「モンスター」という映画観てきました>>>>
「スターを夢見た少女が、2002年死刑台に消えた」とかいう広告に目につき、女性人権問題や幼児虐待問題に関心がある「どとうとしや」として、ロードショーで「モンスター」という映画を、観てきました。
「モンスター」という題名は分かりずらいのでありますが、「連続殺人犯アイリーン・ウォーノス」としたほうが、分かりやすいのですが、一応「死刑執行」された時は、アイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos)氏自身46歳であり本人も一部については「正当防衛」を主張しつつ「殺人行為」については大部分認めていて正当化しているのであります。
平たくいえば、8歳の時に父親の友人に強姦されたりしてきた幼女虐待の被害者だったアイリーンさんが、生活を得るためにやむなく裏稼業に手を出し、いきなり全裸にして手足を縛って暴行してきた強姦野郎に拳銃で反撃し、それからの主人公の思考様式がおかしくなり、元警察官や単なる「すけべおじさん」までも殺害してしまうという実話に基づいているドラマというところででしょうか。
監督はパティ・ジェンキンス(Patty Jenkins)さんで女性の方であり、アイリーン女史の少女時代については、「スターを夢見ていた」というようなシーンしか出てきてないのではありますが、語られたりまたいろんなサイトで出てくる彼女の小学生から中学生時代にかけての悲惨な強姦体験を知ってこの映画を観ると涙がすごく出てくるものでありますし、観客の女性の方で泣いておられる方がおられました。
また、主役を演じているシャリーズ・セロン(Charlize Theron)さんと監督の人がアイリーン女史本人に直接対面したということで、単なる犯罪ものとは違うかと思いますし、この映画でセロンさんが2004年度アカデミー主演女優賞を獲得しました。
「●●、ヌードを披露」という男性週刊誌の発想でか、映倫管理委員会が、「16歳未満お断り」と規制を加えてきてますが、映画館窓口とのトラブル防止に中学生の人たちは、成人と一緒にか高校生と嘘ついて観ていたほうがよろしいかと思いますが、この映画について「抜く」とかいうような感覚の人は大人でもいるのでしょうか、むしろ女子中学生の人たちに勧めたい映画であります。
熊本地方では、熊本Denkikan で11月に上映だそうですし、福岡や他の地方にいってでも観る価値はあるかと思います。
当然のことながら、アフガニスタンやイラクで「対テロリスト戦争」という名目の一般市民の虐殺を正当化しているアメリカ合州国の州政府に、アイリーン・ウォーノス女史の「死刑執行」について私たちを納得させる「正義」がないと断じたいと思います。


匿名(2004/10/07)

このサイトに書いてあることを読んだ上での感想です。
私は必ずしも丸刈り校則が悪いとは思いませんが、我慢ができないという生徒には配慮が必要だと思います。
丸刈り校則が他の校則と著しく異なっているのは、学校外での生活でも常に丸刈りを強いられる点です。
私は、見かけにはあまりこだわらない方ですが、感受性の強い生徒は、神経がまいってしまうかもしれません。
24時間自分の嫌な髪形をしていれば、気が滅入ってくるのは容易に想像できます。
会社で新入社員を採用する場合、話が下手な人をセールスマンとして採用できないなどの理由で、特定の性格の人を募集することがありまが、丸刈り校則を実施している中学校もこれと同じようなもので、ある性格の生徒には全く適していないでしょう。
中学校の校則が、特定の性格の生徒だけを対象にしているのは問題があります。


井上静(2004/10/05)

 丸刈り校則問題は、このサイトに書いてあることを読めば理解できないはずがないのだが、それでも解らないという人は、「丸刈り校則をぶっとばせ」という本を読めばいい。
 読んでもまだ解らないというなら、どこがどう解らないのか具体的な質問をしてくればいい。
 こんな当たり前のことをせず、おかしな難癖をつけるのは、掲示板ならアラシ行為だけど、ここは違うから、きっとおかしなことを言う人を、標本としてさらしているのでしょう。


常連(2004/10/04)

T・Aさんへ >俺にはなぜ大人が子供の丸刈り校則にこだわるのか理解ができん。
"中学校の丸刈り校則をなくす会”を、「大人が子どもの問題にかかわる」という視点から見るのは筋違いです。
日本には、中学時代に丸刈りにされた悔しさを持ったまま大人になった人達が大勢います。
強制丸刈りが原因で、心的外傷後ストレス障害を持った人間にとっては、丸刈り校則は、まさに今の自分の問題なのです。
そのような大人が、丸刈り校則に"報復”するのは当然です。


T・A(2004/10/01)

世の中にはいろんな会があるが「中学校の丸刈り校則をなくす会」などがあるとは、想像できんかったなあ。
正直言って、俺は子供の味方をする大人は好かん。
子供の問題は子供に考えさせたらいいのとちがうかなあ。
俺にはなぜ大人が子供の丸刈り校則にこだわるのか理解ができん。
話は変わるが、下の方に書いてあった次の文。
>>>>死刑になって刑期を終え、普通の社会人として戻ってくるとは、すごいことだと思います。<<<<
これを悪ふざけだと思っている人がいるが、装置の故障などで死刑に失敗して、しゃばに戻ってきた死刑囚が、実際に何人かおるんじゃで。


田崎(2004/09/28)

自衛隊で、ためらわずに人を殺せる精神訓練をしているとは知りませんでしたが、本当なら怖い話です。
Iさんの意見
『辛い経験をなさった方の現実を知らずに、「きっと憎しみでいっぱいで、犯人を殺せと思っているに違いない」と決めつけるのは、とっても失礼である』には賛成です。
殺した犯人に全ての責任を負わせるのは、非常にアメリカまたは西洋的な発想です。
日本人の感情は西洋人とは違い、殺人事件が起こると、まず「なぜあの人は殺されなければならなかったのか」を問います。
犯人に「なぜ殺したか」だけを問う西洋人とは根本的に心の構造が違います。
だから、日本では、必ずしも皆が犯人を憎いと思うとは限らないのです。


丸刈り経験者(2004/09/27)

ぼくは頭に丸いハゲがあるのですが、丸刈りにされてしまいました。
頭にキズやハゲがあるのに丸刈りを強制するのは「悪」です。
曙のストレス円形脱毛症は、髪を短くしているからかなり目立ちますが、ぼくも同じくらい目立ってました。


どとうとしや(2004/09/27)

<<<<犯罪被害者のことも考えたいと思います>>>>
私自身は、世間一般のひとよりは福岡事件や帝銀事件など冤罪事件に詳しいですし、かなり迷いながらも「死刑制度に賛成ですか、反対ですか?」の問いに「死刑制度に反対です」と答えると思います。
しかし、凶悪犯罪の被害者のことを考えなくてはありませんし、また死刑相当事件や殺人事件の被害者の親に私自身なったとすれば、加害者の極刑を要求する気持ちに絶対なるでしょう。
人権派弁護士の「死刑制度廃止」という意見は、日本では今のところ少数意見に過ぎないのであり、また大教大付属池田小学校の小学生殺傷事件やオウム真理教事件などの凶悪犯罪については、極刑もしくはリンチによる解決という解決のほうが自然だというのが世間の雰囲気でしょう。
卑劣な加害者が起こした交通事故や、明倫中学校(当時「丸刈り」)のマット致死事件や体罰致死事件のような「傷害致死」事件により、子どもをなくした親の無念さというのを、私自身はこだわりを持ちつづけたいし、このような事件で加害者確定などの冤罪の問題が出てこない限りにおいて、私自身は検事の方々の立場を支持したいなあと思います。
「死刑制度廃止」問題は、冤罪事件がからまない限りにおいて、あんまり優先順位が高くないと思われます。
※福岡事件
1947年に闇ブローカー2人が殺された事件で、強盗殺人事件の主犯として西武雄さんの死刑執行が行われたが、第一実行犯の人が商売トラブルでの銃撃戦における「正当防衛」を主張しつつ西武雄さんは無関係だと証言している。

<<<<「小説」実現に向けてぼちぼち動いてしますが……>>>>
やはり、ドラマ化がそこそこできそうな筋書きが必要でありますし、また、丸刈り校則問題その他の学校問題や幼児虐待問題を私自身もっと深く勉強しようと思います。
筋書きも、いろいろ考えています。
まあ、期待はずれになる可能性が高いと思いますが、もし実現に向けて頑張りますので、少々時間を下さい。
また、別の方が「丸刈り」問題でドラマまたは小説を発表して下されれば、私としても大いに歓迎します!


井上 静(2004/09/27)

 私が「刑期を終えたと同じ」と言ったのを、「死刑になって刑期を終え」と、変えて、おかしな意味にしたうえで、「凡人にはできません」と皮肉を言ったつもりになっている人がいます。
 このような、デタラメを言う人は、だいたい名無しです。
 ところで、池田少事件にかんして、死刑の是非が話題だけれど、彼はどうしてあんなことができたのかという問題もあります。
 残酷なことができる性格だとしても、手際が良すぎるとの指摘も。
たしかに、刃物で生き物を刺し殺すのは、けっこう難しい。ドラマでは、オーバーな効果音や血糊がある。
しかし実際は、手応えがなく、だから何度も刺すなど無駄な動きが多い。
 ところがあの事件では、刺しては次の標的へと実に的確に行動を移している。これは犯人が自衛隊で訓練をうけていたからだと言われました。
 自衛隊は隠しているが、しかし、自衛官や元自衛官による殺傷事件は結構多い。
 警察官が殺された事件もある。二人同時に、拳銃を発砲するなど激しく抵抗したが、サバイバルナイフであっさり殺されてしまって、まるで映画のランボーだと言われた事件では、防衛庁が警視庁に遺憾の意を表明した。
 もしかすると、早期処刑は口封じだったのではないかと疑う人もいます。彼は支援者の女性と獄中結婚して話題となったが、不遇な人が犯罪に走ったとして支援した人がいるとともに、自衛隊の犠牲者として視ていた人もいます。
 事件直後は、彼が元自衛官ということを、制服姿の写真がテレビに映るなどして報道されていた。
 自衛隊で銃剣術の訓練があり、彼が受けていたことも報道された。
 ところが、後からどの報道でも、元自衛官だとは一切言わなくなった。そのため、彼が元自衛官だということを知らない人も多い。
 裁判でも、この問題に触れないようにしていた。
 きっと防衛庁から圧力があったのだと言われてもいます。
 正常な心では、殺人なんかできないという指摘がありました。その通りで、だから軍隊では、武器の扱いとともに、ためらわずに人を殺せる精神訓練をします。
 アメリカ軍の元海兵隊員アレン・スミス氏(彼はいわゆる黒人兵)は、そう訓練されていたが、ベトナム戦争で、戦乱の中、たまたま地元の女性が一人で出産するのを手伝うことになり、生命の誕生を初めて目の当たりにして、人間性を取り戻したと言い、戦争を告発する活動をはじめたそうです。
 彼は来日したとき、言っていました。沖縄でアメリカ兵が暴力事件を起こすたびに、いちおう基地の当局は遺憾のコメントをするが、司令官たちは内心で喜んでいるのだ。訓練の成果があったと。
 この訓練を告発したスタンリー・キューブリック監督のベトナム戦争映画「フルメタルジャケット」では、指揮官が新兵たちに罵声を浴びせて人格を貶め、もちろん体罰も加え、このストレスから新兵同士のイジメにもなり、殺伐とした雰囲気となり、こうして戦場で戦える兵士ができあがる図式が描かれていますが、人間性を否定する最初の儀式は映画のトップシーンすなわちバリカン丸刈り強制です。
 丸刈り強制を肯定する人で、戦争反対という人はみかけません。当たり前のことで、「なにが自由だ人権だ生意気に」と言うのでないと、殺人を肯定できないし、だから、死刑にも賛成するのです。人殺しが悪いと言いながら、同じ人殺しである死刑は悪くないという矛盾も、実は、大切な命を奪うことが悪いのではなく、法を犯した、すなわち権力に背いた、ということが悪いのであって、だから権力がたいせつな命を奪うぶんにはかまわないということになるのです。
 つまり、矛盾しているようでいて、していないのです。そして野蛮なことです。


名も無い者(2004/09/25)

ちょっとすごいと思ったので一言。
井上静さんの「刑を執行されたら、刑期を終えたと同じで犯罪者ではないから、敬称をつけるものです」という考えには感服しました。
死刑になって刑期を終え、普通の社会人として戻ってくるとは、すごいことだと思います。
凡人にはできませんよね。


丸ヨ(医療関係者)(2004/09/23)

死刑制度が話題になっているので、わたしにも意見を言わせてください。
毎回、裁判では、「人を殺した人に責任能力があるか?」が問題になりますが、正常な心を持っている人は、絶対に人を殺せません。
罪に問わないという条件でも無理、さらに百万円上乗せでも無理です。
人を殺せる人は病気です。
つまり、人を殺した人には責任能力は無く、「死刑」よりも「治療」が必要なのです。


ユカ(2004/09/22)

井上静さんの意見は、とても説得力があり、死刑が犯罪の抑止力にならないことがよく分かります。
過去には、死刑が犯罪の抑止力になっていたと思われたこともありましたが、当時の法律では、当人の親も死刑になっていたのです。
親は、子どもの道連れで死刑になったのではたまらないので、しっかり子どもを育て虐待しなかったそうです。
つまり、人間は経験的に、虐待をしなければ、凶悪犯罪を犯さないということを、昔から知っていたのです。
私は、"幼児期の虐待のために異常な心を持ち、犯罪を犯し死刑になる”という今日の死刑制度には、断固として反対です。
「加害者という名前の被害者」とは交通事故でよく言われますが、凶悪犯罪でも同じだと思います。


匿名(2004/09/22)

岡山弁護士会は、中学校の「丸刈り校則」を県下から消滅させたそうです。
熊本県の話ですが、来年度、県下の中学校は、熊本弁護士会の勧告を受け入れて、一斉に丸刈り校則を廃止するという噂があります。
本当なのでしょうか?


どとうとしや(2004/09/21)

<<<<小説の構想に対する反響、感涙のあまりです>>>>
匿名さん、園田さん、そしてあけみさん、どうもありがとうございます!
「丸刈り」中学校を舞台にする放送されたドラマがあるとは思えませんので、いろいろ思いつきながらも、ひとつの構想として小説について出しました。
私自身は、丸刈り指導を経験したわけではありませんし、学校教育現場の常識に大変疎い者でありますが、「中学校の丸刈り校則をなくす会」のページやその他のホームページから勉強している最中であります。
できれば、あけみさんらの監修を受けた上で、「なくす会」のリンクで発表できれればと、大言壮語的に考えていたのでありますが、実現に一歩踏み出せてすごく感涙のきわめであります。
今は、自分のパソコンの調子が悪くて週一回ネットカフェから打っている次第ですが、期待に一部添えるよう自分の能力の範囲でがんばっていけれればと思います。


井上静(2004/09/21)

 宅間氏(刑を執行されたら、刑期を終えたと同じで犯罪者ではないから、敬称をつけるものです)は、親から虐待され、希望通りの進学をさせてもらえず、子供のとき知能指数が148もあって、近所でも評判の天才少年だったのに、高校中退だった。
 自衛隊に入るが、私生活で不祥事起こし、上司から無理矢理除隊させられ、その後も再就職先で不祥事を起こしてクビになる。
 結婚も失敗。
 その背景に、学歴がないため、頭が良くても希望した職種に就けないなどしたことがある。
 離婚した妻も、こんなに頭の良い人が、まさか大学に行ったことがないとは思わず、専門職に就いているとばかり思っていたら、低賃金で人の嫌がる仕事をしていて、これでは結婚生活の将来に希望がもてないと考え、離婚を決意し、妊娠していたが中絶してしまった。
 これが、あの惨劇が起こる決定的理由ではないかという意見もある。
 宅間氏は自暴自棄になり、親を恨み、名門校に通わせてもらえる恵まれた小学生に嫉妬しての犯行だった。
 学歴偏重社会がもう少し改まっていれば、こんな問題は起きなかったかもしれない。
 改まるどころか、家庭環境や経済の格差で教育を受ける権利に不平等が生じている実態は、「お受験」に象徴されるように、ますますひどくなっている。
 ところで、宅間氏は最初から死刑を望んで犯行に及んだ。
 死刑が凶悪犯罪抑止効果があるという死刑支持論は、またもや完全に崩れた。
 死刑廃止は、元最高裁判事(としては珍しいリベラル派)の団籐重光氏の著書『死刑廃止論』が少なくとも日本では共通の前提となっている。
 この本では、冤罪が多すぎて死刑制度は危険過ぎるという実態とともに、死刑に凶悪犯罪抑止効果がないことについて、死刑を廃止したフランスなどの具体例が挙げられて詳細に論証されている。
 普通、凶悪犯罪者は、逆上して判断力を失っているし、冷静ならば隠蔽か逃亡を図るもので、刑罰が怖くて思い止まることはない。政治的・宗教的な理由からテロなどをする者は、英雄になれると開き直っているから、死ぬことを恐れない。
 これと同様の意見は、超党派の国会議員による、死刑廃止議員連盟の亀井静香代表が、もと警察官僚の立場から経験則にてらして述べている。あの超タカ派の亀井氏も、だ。
 これらの意見に、死刑存続の立場からまともに反論できた法曹人はいない。
 動かしがたい事実として、ヨーロッパ各国で死刑廃止をしている国の全てが、死刑には抑止効果がないことを、具体的数字を挙げて公式に認めてもいるし、アメリカでは、死刑のある州と無い州とで、凶悪犯罪の発生率が違わない。
 つまり、死刑に凶悪犯罪抑止効果がないと断定できることは、死刑廃止国の現状から明らかだ。
むしろ、抑止効果が無いことを、凶悪犯罪対策にせよという人がいるから、凶悪犯罪が減らないと言うこともできる。効果がないことをやれと言い、他の方法を否定するのだから。
 また、宅間氏の異例の早期執行は、本人が自ら控訴を取り下げるなど、再審請求の意志がないことによる。
 これまで死刑判決確定でも執行まで十年もかかっていたのは、冤罪があまりにも多く、これはさすがに歴代法務大臣も重くみて、執行の書類に署名しなかったからだ。
 歴代法務大臣は、冤罪が多いために、再審を待って署名しなかったのだけれど、後藤田正晴法務大臣になったら、次々と署名してしまった。
 元内務官僚で警察出身の後藤田法相は、自分が敵対してきた政治活動家のなかで過激行為に走った者を死刑にし向けたかったからだと指摘されている。
 フィリピンでは、死刑廃止したのち復活したが、これはクーデター未遂事件が頻発したからだ。
 南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ大統領は、人種差別政策に反対したため、弾圧で二十年以上も獄中にあった。
 韓国の金大中大統領も、軍事政権に敵対して殺されかかった経験がある。
 政治が変わると、犯罪者から最高権力者へと変わることが、よくある。ところが、殺されたら、それは無くなる。
 つまり、死刑は政治的な意味合いがある。政敵が復活して来ないように抹殺してしまうためだ。
 これを粉飾するために、他の犯罪者にも適応しているにすぎない。 
 政治家とマスコミ人でデタラメな死刑存続を説く人がいる。これには無知もあるだろうが、やはり政治的意図がある。
 EUが死刑廃止を加盟条件にしているのは、もちろん人道上の見地もあるが、同時に、政治的経済的に安定している国であることが求められているからだ。
 冤罪が多かったり、クーデター頻発では、とうてい先進国ではない。
 死刑廃止は、日本がほんとうの先進国になるためである。
 冤罪が多いこと、犯罪抑止効果がないこと、これらが実証されて、死刑支持者が最後に立てこもる砦は、被害者とその遺族の感情だが、実は凶悪犯罪の被害者とその遺族のかなりの多くは、死刑に反対している。

 たしかに、生きてちゃんと償って欲しいと考えるのが、普通の感覚である。
 また、国としてやるべきことは、復讐の代行ではなく、被害者とその家族への、経済的、精神的アフターケアであることは、すでに常識である。
 だから「犯罪被害者給付金制度」ができた。不充分ではあるが、犯罪被害者の家族たちの、長年の運動の成果である。これは、木下恵介監督の『衝動殺人・息子よ』に描かれているが、この映画が世論を動かし、財源などから反対論の多かった制度だが成立する助けとなった。
 にもかかわらず、破綻した死刑支持論を取り繕うために、「被害者の立場での気持ち」などと言う人がいるが、これは、悲しみや憎しみを乗り越えて、社会をよくすることで家族への弔いとしてきた多くの犯罪被害者家族を侮辱するものである。
 もちろん被害者の感情は尊重すべきだ。理屈でみんな割り切れるほど人間は完璧じゃないのだから。
 問題は、その感情が本物かどうかだ。
 辛い経験をなさった方の現実を知らずに、「きっと憎しみでいっぱいで、犯人を殺せと思っているに違いない」と決めつけるのは、とっても失礼である。


黄門(2004/09/16)

森さんの意見に同感です。
犯罪は社会全体の責任であり、個人に責任を負わせるべきではありません。
警察関係のコメンテーターが、「死刑は犯罪の抑止力になるので、今回の早期死刑には賛成」と言ってたのには驚きました。
宅間守は、犯行直後から、「早く死刑になりたい」と言っていたのです。
自殺願望の人の中には、「どうせ死ぬのなら死刑によって死にたい」と思っている人がかなりいます。
これでは、犯罪の抑止になるどころか、アベコベに犯罪を増やしてしまいます。
本当に死刑を犯罪の抑止力にしたいのなら、安楽死のような死刑を廃止して、最も苦しむ方法で死んでもらうしかないでしょう。
それにしても野蛮なことをする国ですね。


森(2004/09/15)

 宅間守が殺されたというニュースを聞いた。
集団で一人の人間を殺すとは、なんと恥知らずな行為だ。
この国に人権などというものがあるのだろうか。
 板垣退助は、死ぬ直前に、自分を殺そうとした相手を前にして「罪を憎んで人を憎まず」と言ったそうだが、立派である。


(管理人)あけみ(2004/09/13)

園田さんへ。
どとうさんが作品を投稿してきたら、新しいページを作って『匿名Kさんの「丸刈りの歴史」』の下あたりからリンクしたいと思います。


園田(2004/09/13)

どとうとしやさん、はじめまして。
私は以前から、どとうとしやさんの書き込みを読んでいましたが、もっと堅苦しい人かと思っていました(ごめんなさい)。
これほど文才のある人とは知りませんでした。
短編小説でもいいので、是非この場で発表してください。


匿名(2004/09/13)

どとうさんの小説の構想は、実に素晴らしいと思います。
楽しみにしていますので頑張ってください。


どとうとしや(2004/09/12)

<<<<匿名さん、声援ありがとうございます>>>>
連続連載小説のアイディアに対しての匿名の方の8月30日の、私の思いつきたる連載小説のアイディアに対するご声援、すごく感激しました。どうもありがとうございます!
私自身は、小説・ドラマの構想についてはよく思いつくのではありますが、あんまり完成品を作り上げるのが苦手であります。
しかし、ワープロ暦20年のキャリアを生かして、かな入力で、「丸刈り」中学校を舞台としたドラマ化されそうな連載小説をなんとかこぎつけれればと考えています。

<<<<とりあえず、筋書きで苦労してますが……>>>>
ドラマ化になりそうな連載小説の筋書きは、単純でもなくまた混んがらがったものでもなく、それ相当なものが必要となるでしょう。
一応、「丸刈り中学、ある天才少女の死」(仮名)で、私なりに筋書きを立てておきました。

第一話 プロローグ
やり手のカリスマ数学校長、丸刈り強制の西玉中学校校長に就任
・「丸刈り」風土の中で、丸刈り指導続行を確認させられる
・「丸刈り」の中、カリスマ女子中学生の白石幸子ら、重要登場人私物登場

第二話 鉄拳
「丸刈り」体罰事件発生
・幸子のクラスの暴力担任教師が登場し、丸刈り拒否児に対して体罰を加える
・教頭らが、誠意をみせるなりして、隠蔽工作成功

第三話 生徒会
「頭髪問題解決」を公約にということで、生徒会長らが「まず規則を守ろう」と、立ち上がる
・「態度が横暴」と生徒役員が、「番長」から暴行を受ける
・幸子ら「丸刈り強制即時廃止」派からも生徒会活動に対して痛烈に批判
・幸子やその取巻きが、「丸刈り校則は人権侵害よって断固拒しよう」と、次期生徒会役員選挙出馬を準備

第四話 万引き
PTA会長経営の書店で、万引き事件発生、店主がもみ合い怪我をする
・「丸刈り」中学の男子生徒が犯人とされ、暴力担任教師から暴行を受け入院する
・丸刈り指導の断固徹底が、学校側から宣言される
・幸子らが、真実究明に立ち上がる
#山形県明倫中学校マット圧死事件でみられる丸刈り中学生の犯人の特定問題が彷彿されます

第五話 階段
幸子が、万引き事件について、「丸刈り」人違い体罰事件という真相をつかみ、暴力担任教師と対決
・暴力担任教師が逆ギレ、幸子らに対して鉄拳を振るう
・女子教師らが、階段で、幸子を発見、救急車を呼ぶ
・「階段から落ちただけです」と、幸子は暴力担任教師をかばってしまう

第六話 悲しき幼児体験
暴力担任教師は幼児虐待の被害者であり、そのことを幸子は理解していたことが、事態を困難なものにしてしまう
・幸子は意識不明に陥る
・幸子の事件は、学校側が階段転落事故として処理しようとするが、周りの中学生の証言により、暴力担任教師の傷害事件の様相が明らかとなる
・「幸子を救え」ということで、幸子のクラス3年3組では見舞いその他のため授業放棄が宣言される
・幼児虐待通報実績がある幸子が収容された病院からの通報により、担任教師に対する警察の事情聴取が始まる


第七話 荒れた西玉中学校
「担任教師が、女子生徒を意識不明にした」ということや今までの体罰的風土に対する鬱憤が爆発ということで、西玉中学校で、授業妨害や教師と生徒との暴力事件が頻発する
・生徒会役員が緊急生徒会員集会を召集、白石幸子さんへの暴力事件の真相究明と担任教師への断固たる処罰を決議、「丸刈り校則は人権侵害なのでみんなで拒否しよう」という集会アピールが決議される
・暴力担任教師が、不充分ながらも反省の態度を示し傷害行為を認め、逮捕となる
・幸子、息を引き取る

第八話 校長涙の断髪式
数学カリスマ校長らが準備していた数学教育研究集会が、「白石幸子さん死亡・担任逮捕」との知らせで激怒した西玉中学生生徒および地域住民らによって、開催当日に中止に追い込まれ、学校説明会の場にさせられる
・校長・教頭や町教育長が、幸子の父の高校教師ら一部地域住民から怒りの鉄拳を受け、学校説明会の場が騒然となる
・丸刈り校則反対運動活動家の人が、なんとか非暴力に持っていこうとするが、校長・教頭の辞職および反省の証としての断髪式を会場参加者が要求、校長涙の断髪式となる
・暴力担任教師に実刑判決がくだり、刑務所に収監となる

以上というところですか

<<<<まだ、構想の段階ですので……>>>>
丸刈り校則改正でめでたしめでたしではドラマにはなりえませんでしょうし、私は幼児虐待問題についても題材にしてカリスマ女子中学生を第一主人公にした一つの構想を練っている最中であります。
筋書きについても、実現のあかつきにはかなり変更されているかも知れませんし、まだ実現できないほうが可能性が高いと思います。
ドラマ化できる小説を実現できる能力のある方、丸刈り校則問題を取り上げた作品があれば、すごく感激ものであります。


ほろよい(2004/09/11)

今日本で、学校に行かず働かない若者が52万人(2004年)いるそうだ。
2003年より4万人増えたらしい。
労働経済白書では、「憂慮すべき問題」と警告しているが、私的には、非常に明るい傾向だと思う。
「面白くない学校に行きたくない。
面白くない会社に行きたくない」という純粋な心を持つ若者が増えてきた証拠だ。
これから世界を正しい方向に導いていく新人類に重要な資質は、金や名誉に無関心であることだが、そのような価値観を持つ若者が増えてきた証拠ではないだろうか。


吉村(2004/09/10)

熊本を紹介してるページ見つけた。
ちゃんと丸刈り問題も取り上げているよ。
http://www.rs-kumamoto.com/quest/guide_today.html


黄門(2004/09/08)

>教頭の「(丸刈り校則は)非行防止にも役立っている」ってコメントがあるけど〜
この教頭、まじめに言っているとはとても思えません。
おそらく『ガッツ石松の数々の名言(迷言?)』を真似た、ただのうけ狙いじゃないですか。


匿名(2004/09/07)

どっかのHPにこんなこと書いてあったよ。
丸刈り校則人権侵害
「<丸刈り校則>人権侵害と県弁護士会に人権救済申し立て 熊本」こんなニュース。なんか面白いねー。
いやぁ理不尽であることは確かだけど、この代表さん(43)、中学生のためにここまで動いてしまう行動力と正義感に拍手です。おれなら人ごとにしか思わないもんね。
にしても、教頭の「非行防止にも役立っている」ってコメントがあるけど、これは疑似相関だろうなぁ。


ハンバカ(2004/09/05)

MUTUさんへ。
スカーフを禁止する理由は、顔が見えないので授業がやりづらいからで、丸刈り校則とは全然趣旨が違うでしょう。
丸刈り校則を廃止しても、顔が見えなくなるほど前髪を伸ばす人は、ほとんどいないでしょう。


MUTU(2004/09/03)

学校は公共の場なのだから、何でも自由という訳にはいかないでしょう。
世界全体で見ると、学校の規則は厳しくなっているようです。
その顕著な例が、フランスの「学校内でのスカーフの禁止法」の施行です。


トム(2004/09/01)

匿名K氏の「丸刈りの歴史」に少し不満です。
丸刈りが昔から恥ずかしい髪型のように書かれていますが、昔、もっとも恥ずかしい髪型は、乞食ヘアーでした。
乞食ヘアーとは伸ばし放題の髪型です。
ところが、60年代に乞食ヘアーが大流行しました。
その名残で、50代以上のオッサンたちの間で、今も流行っています。
特に自分を文化人と思っている人たちの間で、乞食ヘアーは生き残っています。
乞食ヘアーを流行させたのは、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインですが、実はこの時点では、完全な乞食ヘアーとは言えませんでした。
彼らはそれなりに小奇麗にしていたのですから。
しかし、その後出現してきた浮浪者同様の生活をしていたヒッピーは、完全な乞食ヘアーでした。
ところで、多くの人は知らないと思いますが、20世紀、最初に乞食ヘアーをやった有名人は、アルバート・アインシュタインです。
しかし、さすがに時代を先走りすぎていて、誰も真似する人はいなかったのです。
まあ、アインシュタインの場合は、いかなる場所でも靴下を履かずに革靴を履くという、完全乞食ファッションでしたので、ちょっと真似しにくいところがありましたが。


匿名(2004/08/30)

『丸刈り中学校を舞台にしたドラマ化その他を視野にした連載小説』の構想ですが、非常に楽しみにしています。
もし、本にするのが無理な場合でも、ホームページ上で、オンライン小説として発表してください。
このサイトに来る多くの人達が期待していると思います。


どとうとしや(2004/08/29)

<<<<貴重な情報、お願い申し上げます>>>>
情報を寄せて下さった仲間のみなさんには敬意を表しますが、熊本県弁護士会の「人権救済」後の丸刈り強制状況が、まだよく分かりません。
僭越ながらも、特にお願いしたい情報を列挙しましたので、よろしくお願いします。
 ○「人権救済」後の「丸刈り」中学校の丸刈り指導に対する説明
  ★県弁護士会の「人権侵害認定」に対する学校側の弁明がどのようなものか
 ○頭髪検査などの強圧的な丸刈り指導があるか否か
  ★「人権救済」後では、学校側の頭髪指導の権威がそのまま成り立つとは到底思えませんが……
 ○「丸刈り」拒否者に対する地域住民の対応 
  ★「丸刈り」拒否を理由とした体罰があるか否か
  ★「丸刈り」拒否児を個別に職員室に呼び出すようなしつこい説得活動があるのか否か
 ○アンケートなどの結果
  ★「丸刈り校則に賛成ですか、反対ですか?」も重要ですが、他の事項も大切ですので、例を列挙します
   ・「全国の中学校で丸刈り指導を続けている中学校はどのくらいあるでしょうか?」
   ・「丸刈り校則を守る義務があるとおもいますか?」
   ・「丸刈り校則を拒否する権利があると思いますか?」
   ・「丸刈り校則拒否者に対する体罰について、どうおもいますか?」
 ○「丸刈り」の別件の学校側の不祥事
  ★たとえば、女子生徒に対するセクハラや人違い体罰事件
  ★裏金プール問題など
 ○「丸刈り」をめぐる暴力事件その他
  ★「丸刈り」賛成派と反対派との教師の殴り合いや、「丸刈り」反対派による「武勇伝」とか
 ○校長ら「丸刈り」責任者の発言内容
  ★例を挙げます
   ・「『丸刈り』拒否者がいる限り、丸刈り校則は改正しない」
   ・「丸刈り指導は人権侵害という指摘には反論できない」
   ・「『地域の声』を無視できない」
 ○丸刈り校則に対する責任追及の動き
  ★「●●校長は謝罪して辞するべきです」との声がどしどしあがることを期待したいものであります
<<<「丸刈り校則守ることなし」を確認しましょう!>>>>
「丸刈り」中学校でも、夏休み期間中、髪を切らない男子中学生がどしどし出てきていると思われます。
そのまま伸ばしたまま「丸刈り」中学校に通っても、体罰その他の嫌がらせは、まずはないでしょうし、もしあればこのサイトで挙げて下さればと存じます。
丸刈り校則改正のニュースと同時に、丸刈り校則拒否の元気ある男子中学生の話題、大いに期待申し上げます。
<<<<これからの「なくす会」の活動について活発な論議を>>>>
2004年度では、丸刈り強制率では鹿児島県のほうが熊本県よりも上であり、鹿児島県での丸刈り校則問題も熊本県同様に取り上げたいものであります。
また、今まで日本全国で繰り広げられた丸刈り指導に対して、真摯な総括が必要だと、私は強く主張するものであります。
みなさん、いろいろと「これは」という意見よろしくお願いしたいものであります。
<<<<ほんの一つの思いつきではありますが>>>>
なお、私自身、「丸刈り」中学校を舞台にしたドラマ化その他を視野にした連載小説の構想を暖めているところであり、丸刈り校則改正の明るい結末で終わるのでなく、生真面目な「丸刈り」校長が「丸刈り」とは別件の事件で謝罪させられるような、「丸刈り」だけから脱却し幼児虐待問題なども取り上げたのを考えていて女子中学生を第一主人公にしようと思っていますが、実現まで可能性は20%ぐらいというところでしょうか……。
似たようなこと考えている方が、早速実行して下されば、すごく幸いであります!


ビー(2004/08/27)

熊本の丸刈り中学校、どうしようもない感じの中学校がありますね。
何かつける薬はないもんでしょうか。 ば・か・に!!


夢想屋(2004/08/25)

「生徒会」????
そんなの何の役に立つの?
「犯罪はやめましょう」といくら呼びかけても、警察が何もしなかったら犯罪は減らないのと同じで、子どもがいくら「丸刈り反対」と叫んでみても、大人が何もしなかったら丸刈り校則はなくならないでしょう。


エオシ(2004/08/24)

まだあと14校が丸刈りのようだが、生徒会がもっと頑張らなあいかんなあ!


どとうとしや(2004/08/22)

<<<<熊本県弁護士会の「認定」の有効活用を>>>>
2004年の3月10日の熊本県弁護士会の「人権救済」の後にも、あの丸刈り指導が続行されている中学校がありますが、それでも「貴中学校の男子生徒に対する丸刈りに関する校則およびそれに準じる規則は、髪型の自由という生徒の基本的人権を侵害するものであると判断します」という熊本県弁護士会の判断が、丸刈り指導に優先されるものと考えます。
よって、たとえ丸刈り校則が改正されなくとも、どしどし「丸刈り指導を拒否しよう」と丸刈りでない髪形で通うことも非難や強い圧力がかかるとは思えないものであります。
事実上、2004年3月10日以降は、今までの丸刈り指導状況とは異なっているはずで、たとえ「丸刈り」続行校でも「丸刈り」拒否児がどしどし登場するようなことになっていても当然のはずなんでしょうが……。
丸刈り中学校での「丸刈り」拒否生徒の活躍、その他、「丸刈り」中学校の情報お願いしたいものであります。
<<<<民事裁判もひとつの視野に>>>>
あの玉東中学校で今年の10月から、「丸刈り」廃止になるそうであります。
校長の謝罪および辞職が求められるとは私自身思うものでありますが、それでも「丸刈り」の一日でも早い廃止を、私とは見解を一部異にしている丸刈り校則改正派のみなさんと一緒に、望みたいものであります。
あの玉東中学校の丸刈り校則裁判においては、丸刈り拒否者に対しての体罰や直接の呼び出しがなかったことが確認されており、その上で「丸刈り校則の合理性には疑問の余地がある」と丸刈り拒否者の主張を一部認めつつも、「丸刈り校則は違法でない」との判断を熊本地方裁判所が1985年11月13日に下したものと理解されます。
あの「丸刈り校則をぶっとばせ」に出てくる「丸刈り」体罰をともなった指導やかなり強烈な指導がなされているところについては、「『心得』を逸脱した丸刈り指導は違法」との判断が裁判所で下されることも大いにありえると思います!
当然のことながら、丸刈り指導拒否を理由とした体罰については傷害罪の適用がなされると思われますし、民事においても体罰実行教師や「丸刈り」校長に対する個人責任も完全には否定できないものだと確信するものであります。
裁判を起こすにあたっては、「訴状」の書き方や証拠集めそして裁判での答弁の仕方などが要であり、ある程度気合を入れて勉強する必要がありますが……。
どなたか勇気ある方の出現お待ちしております!


ハットトックリ(2004/08/14)

「丸刈り」に込めた主将のメッセージ
・・・・・・・
 人一倍責任感が強い、那須らしい“みそぎ”だった。
主将を任されたそのパラグアイ戦で、開始5分に与えた先制点をはじめ、前半の3失点にミスで絡んだ。
「鏡の前にバリカンを置いて、2、3時間悩んだけど、最後は心が手を動かした」
・・・・・・・ −−−−−− 時事通信社 −−−−−−
このような記事が公然とまかり通っているようでは、丸刈りがファッションの一つになったとは、とても言えない。


ビー(2004/08/27)

熊本の丸刈り中学校、どうしようもない感じの中学校がありますね。
何かつける薬はないもんでしょうか。 ば・か・に!!


ホヤク(2004/08/12)

悪いことをしたやつらが謝ればいいがな。
何で俺たちが謝らなくてはならないんだ?ハンバカさんよ。


ハンバカ(2004/08/11)

雷鳥さん、中国では60年以上も前の日本の侵略戦争を学校で教えているので、子供のころから日本嫌いになるそうです。
日本の義務教育では、あまりそのことに触れませんが。
皆が事実を正しく認識し、心から謝罪すれば、日中関係も少しは良くなると思います。


田中です。(2004/08/10)

丸刈りについての状況が改善されているようで嬉しいです。
もう一息ですね。頑張って下さい。
それでは、失礼致します。
--------------------------------------------------------------------------------------
メールありがとうございます。
頑張ります!
あけみ


会員335号(2004/08/10)

常連の方々は、数年前の“村議会−丸刈り質問−ドタキャン事件”を知っていると思いますが、その過程で、村民Aが許可無く会員の実名を、ある掲示板に書き込んだことがありました。
会員Aがそのことに抗議し、結局実名は削除されましたが、掲示板やHPの書き込みに実名は不要です。
実名を書かなくても分かる人には誰だか分かりますし、関係のない人は、一般的な話題として読めば十分です。
ここは、人を誹謗中傷することが目的の“ヘイトサイト”ではないのです。


雷鳥(2004/08/09)

ここらで、つまらない話題は打ち切って、人権について真剣に考えてみませんか?
最近気になっているのは、中国のサッカーブーイング問題です。
何人かの著名人が、「日本人も怒ろう」などと言っていますが、日本の人権問題への取り組みは、中国よりも50年は進んでいます。
他人からどんな嫌がらせを受けても、決して怒ったりイライラしないのが、人権先進国のあるべき姿です。
相手がどんなに挑発的な態度をとっても、笑顔で微笑み返しましょう。


ハンバカ(2004/08/08)

前の書き込みが分かりにくかったので、少し補足説明します。
結論を先に言うと、私の言いたいのは、『無責任な人間は周囲に迷惑をかけるので表に出てくるな』ということです。
私の会社で、以前、次のようなことがありました。
社員旅行の準備係りを決めることになったのですが、誰も自分から進んでなりたがりませんでした。
そのとき、新しく入社した社員が、「旅行会社に友人がいるので、是非自分にさせてくれ」と申し出て来たので、皆、喜んでその社員に任せました。
しかし、実はその社員、無責任な男で、何の手配もせず、結局その年の社員旅行はボツになりました。
その社員は1年もしないで会社を辞めましたが、皆がその男の性格を知っていれば、社員旅行の準備を任せたりするはずはありません。
この例と同じで、無責任な人間が、ある政党から立候補すると、本来立候補すべき価値のある人間が辞退するようなこともおこりえます。
このようなことは、政界だけの問題ではありません。
最近問題になっている医療ミスも、本来医者になるべきではない無責任な人間の医療行為が、事件事故を起こしています。


井上静(2004/08/08)

すでに言いましたが、議員は公人であり、議員活動に対しての評価はその内容を具体的に、実名出してするべきです。
それができないなら、いっさい言わないことです。
議員である以上、どんな評価があっても、それ相当の社会的影響力があるのだから、話題にする価値があります。
よく、政治には関心がないと言う人に、関心を持つに値しないとか、自分とは無関係だとか、そんなことを言う人がいますが、とんでもない間違いです。
こちらがイヤだと言っても、政治で決められたことが、我々に対して権力による強制力を伴って押しつけられて来るのです。
だから丸刈り校則も、その一部の反映として問題になっています。
その認識が欠けていると、外国の政治体制がどうとか、そこで暮らす人がどうとか、安易に言えるのです。
議論の趣旨を正確に捉えて下さい。
誰がのあの国のマスゲームを賛美したり、あの国の国民を侮辱しましたか。
反論できないからと言って、趣旨と無関係に文の一部を切り取って非難しても、得るものはありません。


もっこす(2004/08/07)

余計な口出しかもしれませんが、○○議員さんの話題についてですけど、過去の書き込みを見てもらえば分かると思いますが、良くも悪くも話題にする価値のある人物ではありません。
このサイトの品位が落ちるので、止めた方が良いと思います。
「北朝鮮とマスゲーム」が事の始まりのようですが、独裁政権下で暮らす北朝鮮の人達のことを考えると、このような発言が残念でなりません。
北朝鮮の人達が、喜んでマスゲームをやっているとでも思っているのですか?


ミスター(2004/08/06)

西原中学校も丸刈り解禁になりましたが、一部の部活で無様な負け方をしたからと、丸刈りにしたそうです。
丸刈りを懲罰みたいに考えている馬鹿な指導者がまだ存在するんですね。


井上静(2004/08/06)

私の投稿の真ん中が欠落して載っていたので、上書きして欲しいと言ったのですが、そのまま二重に掲載されています。
読んでいるみなさん、そういうことです。
なぜ欠落したから不明ですが。
さて、意見を述べ合う場所はもともと、議論になり、時には対立するのが当然ですから、「喧嘩両成敗」というのは不当です。
また、校則の話にかかわる話だったのに、「話がそれていますね」と言いながら、全く無関係な某村政の話を持ち出す自己矛盾のうえ、まるで具体性がないまま公約違反をしていると特定党派を非難し、さらにその議員を「カスのような人間」、その党を、「カスのような人間」を送り込んだと言って中傷することは許されません。
これは立派な犯罪です。
これを指摘したのであって、選挙公約の実現云々して次元が異なると言うのでは、これこそまさに次元の異なる話をするすり替え論法です。
そのうえ、次元の異なる非難をする本家本元が「死ね」「二度と投稿するな」と、非常識な罵声を浴びせているにもかかわらず、さらにすり替えて、結果として擁護し、お門違いな「喧嘩両成敗」と言い、常識を述べただけの人に非があると言うのは、極めて悪質です。

-----------------------------------------------------------------------------------------

申し訳ありませんでした。
内容をしっかり読まずにアップしたため、二重になってしまったようです。
前のは、削除します。
管理人(私)にきたメールは、そのまま載せていますので、こちらでは、勝手に削除や変更などしていませんので、ご了承ください。
ただし、長くて読みにくい文は「。」で改行します。
管理人 あけみ


匿名M(2004/08/06)

ハンバカさんは、ホンバカに名前を変えた方がいいんじゃないかしら。
働かずに給料をもらった方が得に決まっているじゃない。
タダで世の中に奉仕する人なんているわけないでしょ。
いたら本当の馬鹿だね。


ハンバカ(2004/08/05)

喧嘩両成敗ですが、私には、匿名Mさんの方に非があるように感じます。
村民さんは、「会長が“具体的な選挙公約”を掲げ、それを実現したのに対して、K党の議員は、“具体的な選挙公約”を掲げながら、実現しなかった」(具体的な内容は、村民以外の人には関係がないので、割愛します)と言いたいのだと思います。
それに対して、匿名Mさんは、「K党の議員は何も犯罪にあたるようなことをしていないのだから、非難をするな」と、全く次元の違う話しをしているように見受けられます。
少なくとも議員は、“出世をあきらめたサラリーマン”のように「働かずに給料をもらった方が得」などと考えるのは問題があるでしょう。
付け加えておきますが、地元の議員は、“全く別のルート”で議員になっており、“具体的な選挙公約”は掲げません。
また、事実上、村政に対する責任は持っていません。(地元の議員は、お金を払って議員になっているのであり、給料より出て行く金の方が多いのです)


匿名M(2004/08/04)

村民さんは、理屈で攻められると手も足も出ないものだから、荒れてるんです ね。(アー見苦しい)


村民(2004/08/03)

コラッ匿名M!
一回死ね!
二度と投稿するな!


井上静(2004/08/03)

どうしたのでしょうか。 もう一度送りますから、上書きしてください。

村民さんは、話がどこからどうそれていると言いたいのか不明ですが、他も何が言いたいのか不明です。
K党は共産党のことでしょう。
西原村の議員と言えば、村民と近隣の人には誰だかわかります。
わかるように書いて、イニシャルにしたり名を伏せるのは、かえって思わせぶりで不正になります。
正式に政治活動をしていて議員を排出している団体は公党であり、選挙された議員は公人です。
公益性の観点から、実名を出して批判しても、嘘や根拠のない誹謗でなければいいのです。
批判すべきは実名を出してどんどんしましょう。
で、その、ある所属の議員が、自分は高校時代に丸刈りを通したといっているらしいけれど、そのことだけでは、共産党が丸刈り校則に反対していることとは無関係です。
その議員が、自分が丸刈りにしていたというだけでは問題になりません。
その人の勝手ですから。
なるとしたら、丸刈りを強制することに賛成し、その校則廃止運動に敵対的であった場合です。
離党か除名であり、そうしなかったら共産党の責任が問われます。
揚げ足取りではなく、この問題で頻繁に出てくることに関わってくるからです。
つまり、自分の趣味や都合で決めることと、望んでいなかったり嫌がっているのに強制されることでは、同じことをしても意味合いが全然違うからです。
蛇足ですが、公約に関しては、その実現に関して評価はさまざまなので、具体的な話もなくどうこう言うことは不可能です。
そして、具体性もないのに「カスのような人間」と言うことは中傷誹謗だし、校則問題と無関係な村政のことに及ぶと、それこそ「話がそれて」しまいます。
ここで話をするのなら、西原村の学校の校則と、村議会と村政との関わりを具体的にすべきです。
それなら、このサイトを見ている人たちみんなが、大歓迎するはずです。


匿名M(2004/08/02)

私はK党の支持者です。
村民さんは、「公約を何一つ実現せずに」と述べてますが、J党やM党の中にも公約を実現しない人達が大勢いるじゃないですか。
K党を非難する前に、他のもっと大きな政党を非難したらどうですか。
また村民さんは、「ただの給料泥棒」と述べてますが、『選挙に通ったら公約を守らなければならない』という規則があるのですか?
そんな決まりはありません。議員になったら給料をもらうのはあたりまえじゃないですか。
そんなことも知らなかったのですか。(残念でした。馬鹿みたい)


村民(2004/08/01)

話がそれていますね。
例の宗教団体の大多数の人達は、丸刈り校則に反対してます。
ところでおかしなことに、例の宗教団体と犬猿の仲のk党の“西原村の議員”は、「自分は高校時代、丸刈り頭でとうした」と言って自慢していました。
k党は、党として「丸刈り校則反対」の立場をはっきり打ち出しているのに、おかしなことです。
「丸刈り校則をなくす会」の会長は、4年間の政治活動で、公約通りに西原中学校の丸刈り校則を廃止しました。
それに引き換え、西原村のk党議員は、公約を何一つ実現せずに、ただの給料泥棒で終わってしまいました。
いくら西原村が田舎だと言っても、k党は、カスのような人間を、この村に送り込んでくるというのは失礼じゃないですか。


井上静(2004/07/31)

半蔵さんの言うことは皮肉っぽいので、どこまで本気かわかりませんが、私とは少々認識が異なります。
まず、自分が正しいからと言って相手を尊重しない姿勢は、丸刈り拘束賛成派です。だからこそ問題になっているのです。自発的に丸刈りにするのとは次元が異なり、望まない人や嫌がる人にまで強制しているのですから。
そのうえ、丸刈り拘束賛成派は、自分が絶対に正しいから強制してもいいとしながら、それにしては理論武装も理路整然としてもいない。だから強圧的に自分の価値観を押しつけるのです。
たとえばブッシュ大統領や小泉総理は、よく、頭が悪いとかバカなどとこき下ろされていますが、最初はそんなことは言われていませんでした。
どちらも、恵まれた家庭に生まれ育ったけれど、できが悪く、名門おぼっちゃま大学をとても苦労して卒業していますが、それでも、優等生でないなりに頑張っていることを売りにしました。それで最初は人気を得ました。
ところが、そのあと具体的に何かしようとすると、自分が正しいことをきちんと解ってもらう能力をもっていないことがわかりました。そして自分を通すためにはすぐ戦争です。それで、やっぱりバカだから暴力に頼るしかないと非難されてしまうのです。
また、自分は、能力が劣るけれどそれなりにやっていることを認めてもらっておきながら、恵まれない社会の弱者に対しては、自分の能力が足りないのだから仕方ないだろうと切り捨てます。そんな矛盾した話が通用するはずありません。
つまり、他人を理解させる能力が劣っていること自体を嘲られているのではなく、理解させられないから他人を無理矢理従わせようとすることを批判されているのです。
あと、某宗教団体の話は有名ですが、ここで問題にされていることとは趣旨が違います。
そんなに好きなら自分がマスゲームでもしなさいと言われた意味がわからず、あるいはわかっていて話を逸らすために、もう某宗教団体でやっているとふざけた応じ方をしたから、そんな団体どこにあるのかと言われて、返答できなくなった。もともとふざけていたことが問題にされたのですから、この団体がそうだと指摘する意味はありません。
意味があるとしたら、実際にその団体に所属していて、マスゲームやっていて、丸刈り強制に賛成している人ということになります。これでもし違っていたら、その団体に迷惑をかけることになります。


半蔵(2004/07/30)

フーさんが悪者になっていますが、丸刈り賛成校長(鬼海さん)<2004/04/01熊本日日新聞>よりは、だいぶマシなことを言ってます。
丸刈り校則反対者の意見は、一応正しいと思いますが、あまりに自分達の考えに自信を持ちすぎているような気がします。
確かに、世の中の潮流に乗って「個人の人権と自由の尊重」を最初に掲げ、理論武装すれば、誰も反論できなくなります。
それに比べ「丸刈り校則賛成」と言えば、いかにも頭の悪そうな田舎の年寄りを連想します。
しかし、この人達は、そのように感じて発言しているのであり、理路整然と意見を言う能力が無いからといって、バカにするのは良くないでしょう。
話は変わりますが、北朝鮮が参考にしたといわれているマスゲームは、こちらの宗教団体が行ったものです。
フーさんが嘘を言っているわけではありません。


井上静(2004/07/29)

野球のハッスルポーズの話題がでましたが、今もうひとつ野球で話題なのが「球界再編」です。
ファンも選手も無視して、オーナーとスポンサー企業の都合ばかりです。
スポーツ文化というものがわかっていなくて、金儲けの道具としか見ていない。
そして、これに反対したり意見する選手に向かって、経営者たちは、当然の主張なのに、「生意気だ」と言いますね。これは契約交渉のときもそうです。
ハッスルポーズをやめろとか言うと同時に、昔はみんな丸刈りだと言う人がいるのは、一つには古い考えから脱却できていない人がいるからですが、それとともに、あたりまえのことすら主張しない言いなり人間ばかりであった方が、自分の金儲けのために勝手なことをやりたい放題できていいという人が幅をきかせているからです。
だから、過労死するまでサービス残業して働かせることが横行し、これがエスカレートすると、石油獲ってくるため戦争に行って、人を殺して自分も死ねと命令されても、服従することになります。
丸刈りはもっぱら田舎のことだけど、それがない地域でも、「心のノート」というマインドコントロールがあります。
「君が代」をちゃんと歌っているか音量を機械で測定していたところまで。
これらを正当化するひとは、社会のための公的意義があると言いますが、実は一部の人の利益という私的な意義でしかありません。
なぜかは、野球の話からもハッキリしています。
つまり、野球の話が一部のファンの娯楽だけの問題ではないように、丸刈り強制問題は、一部の地域のおしゃれ問題ではすまされません。
この問題を通じて、社会のあり方全体に視野を広げるべきだと思います。


井上静(2004/07/28)

意見が違うことを非難されたのではなく、ふざけた投稿をしてみんなに不愉快な思いをさせていることを指摘されているのです。
マスゲームだって、そんな宗教団体は見あたらないと言われて反論できませんね。
そもそも、自分が勝手に思ったことを他の人みんなに強制するべきだと言っている人が、自分が批判されると急に、他人の人権を尊重するべきだと言うのは、滑稽だし無様です。
たた、このサイトでも報じられてきた通り、丸刈り強制賛成と言う人の感覚は、このフーさんに代表されると言っていい、お粗末で身勝手で、他人に対する思いやりが欠如したものです。


ハンバカ(2004/07/28)

始めまして。
高等学校野球連盟が、非人道的な発言をしているので告発します。
以下は夕刊フジより。
「・・・髪の毛にしたって、今は、ロン毛に茶髪なんて普通に見られるようになった。これまでは球児といえば、『丸刈り』が当たり前だったのに」と残念がっています。
さらに、「ハッスルポーズ」禁止令を発令したそうです。
そして「甲子園に出てくるようなチームにはハッスルポーズをするような選手はいないと思いますけど…」とまで言っています。
完全にハッスルポーズをバカにしています。
ハッスルポーズは、カズダンスのような、やや下品なのとは違い、非常にすがすがしいポーズですからね。
高等学校野球連盟さん。自分が嫌いだからといって、自分の価値観を他人に押し付けるのは、子供じみていると思いませんか。


フー(2004/07/27)

このページ「みなさんから寄せられた意見」では、個人攻撃は好ましくないと思います。
「丸刈り校則が大好きな方の意見も歓迎します。」とも書いてあるのだし、自分と意見が違うと言って、嫌がらせを書き込むのは止めましょう。
ぼくは反対意見も大いに歓迎しますが、誹謗中傷は拒否します。
他人の人権を尊重し、最小限の礼儀をわきまえて議論をしましょう。


井上静(2004/07/26)

まあ、これで今どき丸刈り強制を支持している人が、どんな人なのかの理解には役だったと思います。
こんな人の感覚につきあわされるのはまっぴらだと、みなさん認識を新たにしたことでしょう。


ムック(2004/07/26)

フーさんは、いたずら書きしているのじゃないですか?
>「ある宗教団体で、マスゲームを何回もやっています。」
日本に、そんな宗教団体があるなんて聞いた事がありません。(アーレフをイメージしてもらいたのでしょうが)
>「丸刈り=まじめな中学生、礼儀正しい中学生、清潔な中学生。」
これも、わざとらしい、お決まりの突っ込みでしょう。
これからも投稿するのなら、今も強制丸刈りに苦しんでいる生徒がいるという現実を踏まえて、まじめな発言をお願いします。


フー(2004/07/24)

ありがとうございます。と言いたいとこですが、ぼくはすでに、ある宗教団体で、マスゲームを何回もやっています。
外国のマスゲームと比べても、見劣りしてないつもりです。
ところで、宮田さんの丸刈りのイメージは、ぼくの持っているイメージとは大分違います。
丸刈り=まじめな中学生、礼儀正しい中学生、清潔な中学生。
こんなとこです。


井上静(2004/07/23)

フーさんのような考えの人は、朝鮮民主主義人民共和国へ行ってマスゲームに参加しましょう。
きっとキマルと思います。


宮田(2004/07/23)

丸刈りが流行するのは悪いことではありません。
丸刈りが流行するようになった原因の一つに、丸刈り中学の数の減少が挙げられます。
強制的に丸刈りにされたいた中学生は、卒業するとほとんどの生徒が髪を伸ばしだしますが、丸刈り校則のない中学校で丸刈りになっていた生徒の大半は、卒業しても丸刈りのままです。
つまり、従来の丸刈りのイメージ(丸刈り=田舎の中学生=強制=生徒虐待)が薄くなった結果、丸刈りも自由な髪型の一つとして、市民権を得たのでしょう。

フー(2004/07/22)

丸刈りと長髪が混ざっているとだらしなく見えるので、「強制的」に丸刈りになった方がいいと思います。
警察や自衛隊や科学特捜隊やウルトラ警備隊も「強制的」に同じ格好をしているからキマッテいるのだと思います。


校門様(2004/07/21)

フー殿
好んで丸刈りにするのと強制されて丸刈りにするのとでは、じぇーんじぇーん違いますぞ!
まぁ、“丸刈り校則をなくす会”なんていうものが活躍できること自体、世の中狂ってる証拠ですが。
とにかく全廃するまで頑張ってください。
あ〜あ、日本の教育って、ひどいもんですな。


フー(2004/07/20)

>頭髪を好んで丸刈りにする男子中高校生が増えている。
ということは、丸刈り校則を廃止する理由がなくなったということですね。
“丸刈り校則をなくす会”の今後の活動も困りますね!


ゆう(2004/07/18)

下記の7月18日(日)8時 1分 YAHOOヘッドライン について
>丸刈りイケてる 高校球児にも回帰の兆し 「強制」「管理」今は昔
>頭髪を好んで丸刈りにする男子中高校生が増えている。
>数年前まで長髪化が進んでいた高校野球部でも昨年あたりから、好んで丸刈りにする球児が目立ってきた。
>サッカーの有名選手や俳優のヘアスタイルが影響している。
>学校に強制された時代を知らない世代にはオシャレに映るようだ。(西日本新聞)
>[記事全文]
昨日は、K-1の試合もありました。
中迫剛選手が丸刈りで出場していました。
その時流された過去の試合のVTRでは彼は長髪でした。
どう見ても、丸刈りの方がきまっていました。
K-1の視聴率の増加と丸刈りの流行は同期しており、丸刈り人気は、ベッカムよりもK-1の影響が大きいと思います。
長髪が若者のファッションだったのは、30年以上も前の話で、そのころの若者は今は爺さんになっています。
テレビなどを見ていると、未だに50代以上の人達の間で長髪が流行っているようです。


宮田(2004/07/16)

丸刈りマップの更新を見ました。
また少し、丸刈り中学の数が減ったので良かったのですが、完全に無くなるのは、まだだいぶ先でしょうね。


教師バカ一代(2004/07/15)

みんな! もっと生徒に好かれる教師になるように努力しよう。
教師は生徒の見方になってこそ、生徒から信頼される。
生徒を虐待する目的で校則を押し付けては、教師が信用されるはずがない。


心の友(2004/07/14)

未だに丸刈り校則にこだわっている学校があるとは、本当に残念でなりません。
子供たちの胸は悲しみで張り裂けんばかりです。
「丸刈りになりたくない」という心の叫びが聞こえてきます。
もう一刻の猶予もありません。
早く丸刈り校則を全廃しないと大変なことになります。


ムック(2004/07/12)

--御意--(中曽根さんの頃から日本はどんどんキナ臭い方向)
中曽根さんは、以前テレビに出演して「軍事力で相手を威嚇しないと、日本の意見は無視される」のような趣旨のことを言っていましたが、これは、ヤクザかマフィアの世界の力学です。
こんな思想を国際政治の表舞台に持ってきたら、世界は終わりです。


ちゃぼ(2004/07/11)

あけみさま、常連の皆様、お久しぶりです。
療養中に県弁護士会から廃止勧告が出されたニュースを聞いて、これで九州の丸刈り校則は全廃になり、これからは、責任追及にステージを移すのかしら、などと想像しておりました。やっと調子が戻って、来てみたんですが、どうも未だ全廃になっていないようですね。(代わりに掲示板がなくなっていた)
明日は参院選ですし、地元の方達が選挙区選で自民党議員を引き摺り下ろし、有害な管理教育を放置してきた現政権にNOを突きつけては如何でしょうか。
丁度、廃止勧告という追い風もあることですし。
それに、イラク派兵等、中曽根さんの頃から日本はどんどんキナ臭い方向に進んでいるように思えます。
軍隊式教育の提唱などという声を耳にしても、ふざけた内容だと呆れて何も言わずに見過ごしている内に、とんでもない方向へ転がり落ちて行き、気がついた時はもうどうにもならない処にいたという事になるのではと危惧しているのは私だけではないと思います。
以前、是又さんが掲示板でご家族からお聞きになった戦争体験の話を書いてらっしゃいましたが([879])、私も子供の頃、周囲の大人や土地の人々から、空爆で2階建てだったお隣が平屋になった話とか、お向かいのお寺が鐘を供出した話とか、よく聞きました。
戦前の軍隊式教育を受けて来られた方たち、70代80代の方たちが、軍隊式教育の誤り、恐ろしさ、嘘偽りをいろんなところで糾弾されておられますが、丸刈りもそのアイテムの一つだったように思えます。
子供が、幼児から、反抗や自己主張をし始める年齢になり、どう対処していいか悩み、それでなくても、不安になりがちな親御さんたち。
マスコミは日々少年少女を何やら異質な存在、不気味な者であるかのように言い立て、凶暴な存在と思わせるように仕向け、そんな親御さん達の不安を煽り立てます。
それを、人権意識に富む市民より、お上の言うことに従順な、エライ人たちがより好き勝手できるような人間をつくりたい行政や政治屋たちが利用しているのです。
その最も端的な表れが丸刈り校則ではないでしょうか。
少年犯罪の報道がセンセ−ショナルに報じられるたびに、世の親御さん達は、さぞやご心配なことでしょう。
不安が募り、体罰や厳格な管理など、即効性がありそうで、明瞭な主張に気持ちが傾くこともあろうかと思われます。
そのご心労は察するに余りありますが、そんな方は一度、<寄せられたご意見10>の2003年8月2日付、Aさんのご意見を是非、読んで下さい。
【髪が長くてもいい。茶色や赤や紫でもいい。 かつて一様に丸刈りに詰め入り姿の多くの若い命が死んでいったことに比べれば、生きているだけでも良いと思えます】
というAさんの言葉に、私は目頭が熱くなるのをおさえられませんでした。
Aさんの言葉は、いつのまにか忘れてしまった、というより、日頃、当たり前すぎて気に留めずにいる一番大切なことに、パッと目を開かせてくれるのではないでしょうか。


田舎浪漫(2004/07/11)

中川電気工業さんへ
「制約守る経験も大切」とは、超痴呆的な発言だとは思いません?
制約を守ることは大事なことですが、それは、制約を守ることが、公共の利益と権利を守ることにかなっているからです。
「人を傷つけてはならず」や「盗みをしてはならず」などの制約に反対する人は誰もいないでしょう。
制約の中身が何かによって、守るべき制約なのか、無用の制約なのかを判断すべきです。
この新聞のインタビューに答えている校長は、制約の中身には全く関心が無いように見受けられます。
世の中には、この校長のように、何にも考えないで生きている人達も大勢います。
だから、いちいち、くだらない発言に反対意見を言う必要もないか。


中川電気工業(2004/07/10)

『丸刈り校則は非常識な校則ということに県民の意見がほぼ一致』という意見には納得できない。
丸刈り校則に対しては、賛成もあるし、反対もある。
例えば、丸刈り賛成派の鬼海秀一校長は「制約守る経験も大切」と、新聞のインタビューに答えてる。
「制約」を国語辞典で調べると、『制限や条件をつけて、自由に活動させないこと。』とある。
つまり、鬼海秀一校長は、「中学生に自由を与えるべきではない」とはっきり言っているのだ。
このような意見も少数派とは思えない。


田舎浪漫(2004/07/09)

ここ1、2年の報道や議論で、丸刈り校則は非常識な校則ということに県民の意見がほぼ一致したのだから、中学校関係者は、意地を張らずに素直に謝って校則を改めてはどうだろう。


苦悩するシカ(2004/07/08)

名札を制服に縫い付けるのが陰険なのは、それによって生徒の心を傷つけるから。
名札を制服に縫い付けるのが全然平気な人は、私の書き込みは無視してください。
分からない人に説明するのも大変ですから。


中川電気工業(2004/07/07)

名札を制服に縫い付けるのは、わしは賛成じゃ。
悪いことをする中学生は、必ず名札を付けていないからな。
「実に陰険だ」と言っている人がいるが、なんで?わしにはさっぱり分からん。


米男(2004/07/06)

苦悩するシカさんレスありがとう。
熊本に陰険な虐めが多いのは確かです。
仲間内での足の引っ張り合いも多いですしね。
また、私の周りには、子供のころ虐待で傷ついた人達が大勢います。
家族の中での虐めも、熊本は最下位ではないかと思います。
先輩のまつもとちずおさんも、家庭で虐待されたと言っていました。


苦悩するシカ(2004/07/05)

米男さん、下記の情報ありがとう。
>「この中学校では、生徒は囚人さながら名札を制服に縫い付けねばならず」
実に陰険だ。
陰険な虐めが最も多いと言われている県が熊本県だ。
今日も、下記のことが熊本のニュースとなって全国に流れた。
「<警官自殺>組織的いじめが原因? 熊本県警剣道部員ら聴取」
「丸刈り校則をぶっとばせ」にも同じ趣旨のことが書いてあったが、「集団での虐め」で、熊本県はワースト1位だ。


米男(2004/07/03)

人吉のある中学校では、ついに、丸刈り反対派が惨敗し、丸刈り存続が決定してしまいました。
この中学校では、生徒は囚人さながら名札を制服に縫い付けねばならず、受験などで熊本市内に出くるとき、大変恥ずかしい思いをしています。
助けてやりたいのですが、長期間続いた虐待の結果、生徒は皆、放心状態で無抵抗です。
このような状況では、外からの援助にも限界があります。


宮田(2004/07/02)

今の子供たちは、小学校から高校まで、受験勉強に縛られていて大変です。
8割以上の子供たちが塾に行っていますし、ほとんど自由が無い状態です。
マナーが悪いのは自由が無いからです。
つまり、ストレスがたまりすぎて、心が憔悴しているのです。


中川電気工業(2004/07/01)

ゆうちゃん間違っとるで。
子どもたちを自由にさせすぎるから、変質者になってしまうんじゃ。
今の中高校生のマナーの悪さを見れば分かるじゃろう。


ゆう(2004/06/30)

>規制と自由が適当にバランスされて、初めて人間の心は成長する・・
嘘でしょう。
そんなこと今まで聴いたことがありません。
子どもたちには、無制限の自由を与えなければならないと思います。
頭髪などの些細なことで子どもたちを縛っていると、将来、変質者になりかねません。


中川電気工業(2004/06/29)

「3年間くらい丸刈りでやってみたらどうやろう」
こう言うと、古臭い爺さんの説教みたいに思うやろな。
しかし、規制の後の自由というものは格別やでい。
規制と自由が適当にバランスされて、初めて人間の心は成長するもんじゃ。


ヤドカリ(2004/06/28)

 年上を敬うのがそんなに良いことですか?
日本以上に年功序列の厳しい国“韓国”では、儒教の持つ規範や道徳観、価値観が人々の考え方に深く根を下ろしています。
例えば、
・年上の前ではタバコを吸わない
・老人に席を譲る、重い荷物を持ってあげる
・年齢による上下関係で、言葉遣いが厳格
など良いこともありますが、対人関係で、喜怒哀楽をむき出しにする(しかも集団で)など、悪い点もあります。
 確かにアメリカには、まともな思想がありません。
金と物質が人間の価値観に中心にあります。
「死んだら終わり。生きている間に楽しまねば損」というのがアメリカの価値観です。
先日ブッシュ大統領が、「後世の歴史家の評価が気になりませんか?」という記者の質問に、「そのころは、俺はとっくに死んでいるから関係ない」という、無責任なことを言っていました。
ブッシュ大統領は、熱心なクリスチャンだそうですが、キリスト教の考えを全く理解していないようです。
結論ですが、韓国もアメリカも極端です。
今こそ、日本の文化を世界に広めましょう。


どーも(2004/06/27)

丸刈り続行中学生君へ
たしかに、ゴミをくずかごに捨てない先生はよくない。
でも、人間を、そんな些細なことだけで判断してはいけないよ。
なぜ、わたしは「先生は生徒より偉い」と言ったか分かるかい?
先生は君たちより人生経験が豊富だからさ。
年上を敬うというのは、日本や韓国のすぐれた文化なのだよ。
年上から何も学ぼうとしないアメリカは、いつも、問題を暴力(戦争)で解決 しようとするだろう


丸刈り続行中学生(2004/06/26)

どーもさんに反論です。
ぼくたちの学校には生徒より偉くない先生がいます。
ほんとうです。
その先生は、人が見てないと、ゴミをくずかごに捨てないで、廊下に捨てます。
ぼくは、人がみてなくても、ゴミはくずかごに捨てます。
だから偉くない先生もいると思います。


どーも(2004/06/24)

先生は生徒より偉いんだから丸刈りになる必要はない。
反論を待ってます。


ひまわり(2004/06/23)

百眼さんは、
>鬼海校長はバリカンの音に耐えられない生徒のことを大変心配しています。<
と言っていますが、2004年4月1日の熊日新聞の写真を見ると、鬼海校長は髪を伸ばしています。
これでは、げきょうさんでなくても疑問を感じるでしょう。
年金を支払ってない議員が、自分のことを棚にあげて、年金を支払ってない議員を批判しているようなものです。
年金問題で、何人もの政治家が責任を取りましたが、鬼海校長は責任を取らなくてもいいのでしょうか?
他人に「丸刈りになれ」と言う前に、自分の頭が丸刈りかどうだったか考えてみるべきではないでしょか。


ひまわり(2004/06/22)

>中学生が丸刈りにならなければならない本当の理由???<
頭を清潔に保てるからに決まっているでしょう。
そんなことより、バリカンで髪を刈るのは、羊の毛を刈るようで、生徒の人権を無視しているような気がします。
バリカンの代わりにハサミを使っても、結構髪を短く切ることができると思います。


ヨメッチ(2004/06/21)

なんか変!
丸刈り校則の一番の問題点は“バリカンの音”と主張する鬼海校長の記事を中心に議論されているようですが、中学生が丸刈りにならなければならない本当の理由が隠蔽されているのではと危惧しています。


百眼(2004/06/20)

げきょうさんの見解は、実にすばらしいと思います。
言われるとおり、生徒に好かれ、生徒の見本となることが、教育者の使命でしょう。
自ら丸刈りになる覚悟のげきょうさんは、さぞかし立派な先生でしょうが、思い通りにいかない生徒も多いと思います。
せっかく自分が生徒の見本として丸刈りになっても、「こいつ、バカか!」などと罵声を浴びることもあるでしょう。
しかし、何事も忍耐が大切です。
教師と生徒の信頼関係は、忍耐無くしては築けません。


げきょう(2004/06/19)

教師の立場から丸刈り校則を考えると、ちと無理があるように思われます。
教師の役割ですが、まず第一に、生徒の見本となることです。
生徒は、教師の心のあり方、身だしなみなどを真似るのです。
したがって、もし丸刈り校則を実施したいのなら、最初に教師が丸刈りにならなくてはなりません。
さらに、教師の丸刈り頭を見た生徒達が、清楚で感じの良い髪形だと感じるようでなければなりません。
そうでないと、生徒が自ら進んで丸刈りになることはないでしょう。
現状では、自分は丸刈りになりたくない教師が、無理やり生徒を丸刈りにしているようです。


百眼(2004/06/18)

とび入り参加させてもらいます。
丸刈り校則のことはようわかりませんが、現場の校長の意見などが一番参考になるでしょう。
例えばこのサイトの「2004年4月1日、熊日新聞記事」では、鬼海校長はバリカンの音に耐えられない生徒のことを大変心配しています。
音の静かなバリカンを作ってくれるようにメーカーに要望するのなら、学校関係者と丸刈り校則に反対している人達も、協力できるでしょう。
他にも問題はあるでしょうが、お互いに話し合って、歩み寄ることもできるはずです。


ひまわり(2004/06/17)

わたしには丸刈り校則が、そんなにひどい校則とは思えませんが。
まだ中学生なのだから、多少のしつけは必要でしょう。


水前寺チー太(2004/06/17)

言い返さずにはいられない気持ちは、痛いほど分かります。
でも、お願いですから、大人になってください。
おふたりの間でメッセンジャーをやらされているあけみさんがどんなに辛い思いをされているかを、察してください。
あなただって、このホームページに希望を託している中学生たちをこれ以上悲しませるような事は、したくないでしょう?
このホームページにアクセスされるほどに良心をお持ちのあなただったら、きっと分かってくれると、信じています。


黒木やすし(2004/06/16)

妙なことを自慢するちづるさんは、脳が萎縮してるんじゃないですか。
そういえば、バカのそのまんまひ○しも、似たようなことを自慢してましたよ。
それに、ここに投稿してくる人達は、それなりに正しい見識をもっているように見受けられますよ。


ちづる(2004/06/15)

私をノウタリンと呼ぶのはあんまりです。
自慢しているようで言いたくなかったのですが、私は一流大学をトップに近い成績で卒業しました。
だから、私はここに投稿されている皆様の誰よりも、的確で模範的な意見を述べることができます。


黒木やすし(2004/06/14)

 立派な書き込みを拝見いたしまして、心を入れ替えます。
ノウタリンのちづるさんなど、相手にしている場合ではありませんでした。
 確かに、丸刈りにされた地域で悔しい思いをしている人達は、こんな校長を任命した教育委員会,こんな教育委員の任命に同意した議員,こんな議員に支持された知事・市町村長,こんな議員・市町村長・知事を支持・推薦・公認している政党を支持するべきではありません。
 ところで、最も日本の教育に責任のある総理大臣は何をしているのでしょう!
丸刈り中学校のことなど知るはずもありません。
日米首脳会談では、『人権』について話し合われたようですが、結局、人権問題は、曽我ひとみさんとジェンキンスさんが、幸せに暮らすにはどうすればよいか?という話題に終わってしまったようです。
確かに、ジェンキンスさんは、北朝鮮に拉致された後に、「自分から北朝鮮に脱走してきた」と発表された可哀相そうな人ですが、丸刈り校則でで苦しんでいる青少年はまだ数千人いるのですから、こっちの問題を早くかたずけるべきです。


匿名K(2004/06/13) 

**意見投稿部分***

 <丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 第2部 その1>

 「つとむ」さんの投稿に触発されて,しばらく休んでいた投稿を再開することにしました。
 第1部では,「現在,自分の中でできること」を紹介しました。その中で,私がいいたかったことを簡単なまとめますと次のようになります。

 1 責任を追及するには,彼らより賢くならなければならない。丸刈りにされたからといって勉強を投げ 出さず,逆に,復讐のために,勉強に励むことが大切だ。

 2 中学時代にあった彼らの違法行為を日記につけておいて,卒業後に国家賠償法に基づいて,損害賠償  を求めよう。(体罰・丸刈り校則によるデタラメ教育…学校は,賠償請求のネタだらけ)

 3 中学時代にこんな目に遭わされたのだから,こんな校長を任命した教育委員会,こんな教育委員の任   命に同意した議員,こんな議員に支持された知事・市町村長,こんな議員・市町村長・知事を支持・推  薦・公認している政党は,支持しないことにしよう。

 4 丸刈り校則の本当の狙いは,君たちを洗脳して,権力が個人の人権を規制することについて,あまり   うるさくいわない人々をたくさん作ること。もう一歩,君たちの方が賢くなって,丸刈り校則を押付け  れば押付けるほど,洗脳されるどころか,逆に,3のように,押付けた者たちに敵意を抱くようになれ   ば,彼らは丸刈り校則をやめざるを得なくなる。丸刈りを押付けられた痛みを後輩に向けるなんて,彼  らの思うツボだ。この痛みは,後輩よりも「押付けた勢力」に向けてこそ,本当に癒されるものだ。

第2部では,実際に,今,外に向けて行動できる法律上の手段(訴訟を除く)を紹介していきたいと考えています。

 ただし,これから紹介する手段を実際に試される場合,単独では無理です。要するに,間接的な「いやがらせ」が予想されるからです。
 以前,どとうさんが,丸刈りの拒否を呼びかけられ,そのようにする場合に,このサイトの管理者:あけみさん等に相談して行うようおっしゃっていましたが,私も同意見です。
 市民運動団体のサポートを受けることで,学校は,あなたが合法的な立場にいる限り,何もできなくなります。例えば,内申書に不利益記載をしたりするような「違法な手段」は,まず,ありえなくなります。丸刈りを拒否したことがもとで,いじめに遭えば,新たに学校が責任を追及されることになります。
 必ず,しかるべき団体のサポートのもとで行なってください。


ちづる(2004/06/13)

黒木さすしさんの書き込みは、明らかに悪意があります。
このような書き込みは、殺人事件に発展するということを知らないのですか?


黒木やすし(2004/06/12)

ちづるさんは、頭の病気のようですね。
病院に行って精密検査を受けてはどうですか?
カッパさんへ。
イライラするのなら、読まなければいいのに。


つとむ(2004/06/12)

***丸刈り校則は、まさに「いじめ」の構造***

ここでいう「いじめの構造」とは、単なる「虐待」ということを意味しない。
加害者の側「いじめる側」の腐りきった体質も、
まさに「いじめ」特有の様相を呈している。

・県知事・県教育長・市町村長・市町村教育長
  彼らは「各校の方針を尊重」などとというもっともらしい言い方で、
  丸刈り中学校長・教員の生徒いじめを傍観・黙認することによって、
  みずから手を汚すことなく、いじめを高みの見物している。
・丸刈り中学校長
  生徒いじめの首謀者であると同時に、
  詭弁を弄して自分に対する批判をはぐらかしたり、
  批判者の分断をはかることで、いじめの延命に固執するが、
  結局は他人を抑えつけてないと自己存在が実感できない「お山の大将」。
・丸刈り中学校の一般教員
  丸刈り校則遂行を現場で担保する実動部隊。
  「校則の責任は校長にあり、自分は業務命令に従っているだけ」という
  大義名分で、自己の人間性をかなぐり棄て「人間バリカン」と化す。
  生徒いじめに加担しないと、今度は自分が校長や他の教員から攻撃される…
  結局、自分に潜在的に向けられている刃を生徒を楯にして逃れているだけ。

中学生のいじめ集団の構造と、全く変わらないではないか。
いい年こいてこんな事を続けている連中に
「いじめ問題に真剣に取り組んでいます」などと軽々に言って欲しくないものだ。
他人の所行を嘆いてみせる前に、まずはおのれの襟を正せ。


カッパ(2004/06/11)

かなりイライラするから、書かせてもらった。
ちづるもやすしもイカレポンチだ。
とめぞう、出て来て何か言え。


通行人A(2004/06/11)

ちづるさん、なんだか恐ろしいのですが、黒木さんは“さすし”さんではなく、“やすし”さんです。
なんというか・・・普通の人は、法律なんて知らなくても、人殺しは恐ろしくてやらないでしょう。


ちづる(2004/06/11)

黒木さすしさんの考えには同意できません。
>殺人が良いか悪いかぐらい、皆、教わらなくても最初から知っています。
そんなことはないと思います。私は教えてもらわないと分かりません。
殺人が法律で禁止されていなかったら、私は気に入らない人を殺すでしょう。


黒木やすし(2004/06/10)

ちづるさん極端な話を例にしてはいけません。
殺人が良いか悪いかぐらい、皆、教わらなくても最初から知っています。
つまり、本能というやつで、誰でも生まれつき持っています。人から教わるようなものではありません。
殺人ができる人は、脳の病気です。
本題に戻りますが、難しいのは、もっと微妙な問題です。
どの程度、生徒の髪が伸びたら注意すべきかは、教師にとって、なかなか難しい問題だと思います。


ちづる

丸刈りの話題から少しずれますが、どんな教師でも「人を殺してはいけない」くらいは分かるでしょう。
学校で善悪を教えていたら、防げた事件も多いと思いますが。


AOくん(2004/06/09)

今年中学に入ったうちの子は野球部に入部しました。です。
丸刈り校則が廃止になっても野球部はどうかな? と心配していましたが、心配するまでのこともなく、のびのびとやっています。
結局丸刈り校則なんて、何の意味もなかったみたいですね。


黒木やすし(2004/06/07)

私は、『善悪が分からない教師に善悪を判断させる』のが問題だと言っているのです。
とめぞうさんが「叱るべき時に叱るのが真の教育」と言っていますが、いつ叱るべきか判断できる教師は、ほとんどいないと考えていいでしょう。


ちづる(2004/06/08)

黒木さんには反対です。
悪いことを叱らないから、茶髪やピアスで登校する生徒が出てくるのだと思います。
中学生が、善悪も分からないまま、社会人になったら大変なことになります。


黒木やすし(2004/06/06)

とめぞうさん。叱るべき時に叱るのが真の教育とは、とんでもないではない暴言です。
教師には生徒を叱る資格はありませんし、そもそも体罰は禁止されています。


とめぞう(2004/06/05)

私は、男子生徒を怒鳴るとスッキリして気持ちがいいとは言っていません。
私の知り合いの教師の話です。
黒木やすしさんは、「どんなときでも、生徒を怒鳴ってはいけません」と言っていますが、叱るべき時に叱るのが、真の教育ではないでしょうか。


黒木やすし(2004/06/04)

とめぞうさんは、男子生徒を怒鳴ると、スッキリして気持ちがいいと思っているのですか?
私は絶対に、そんな考えには反対です。
どんなときでも、生徒を怒鳴ってはいけません。


とめぞう(2004/06/02)

この間、テレビを見ていたら、教師で倒錯している人の割合は、平均値より高いということです。
つまり、女子児童や男子児童への虐待を目的に教師をやっている確信犯が、かなりいるということです。
実際に私の知り合いの教師は、男子生徒に「頭を丸刈りにして来い」と怒鳴ると、スッキリして気持ちがいいと言っていました。


どとうとしや(2004/06/01)

<<<<法的義務があるがごとき丸刈り指導については、是非ともあけみさんに相談を>>>>
海さんの書き込み拝見しました。どうもありがとうございます。
さて、「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」というのは、最高裁判所での判断であり、憲法の条項と丸刈り校則との調和を探ったひとつの基準であります。
しかし、「単なる心得」から逸脱した丸刈り指導については、あけみさんに相談すればよろしいかと思います。泣き寝入りすることありません!
守る法的義務があるがごとき丸刈り指導かどうか判断するには、丸刈り指導に関しての体罰の有無、「髪切ってこい」というような強圧的な態度か否か、丸刈り指導拒否者の数と学校側の対応、などでしょうか。
生徒側でアンケートをとって、丸刈り指導に従う義務があるかどうか、「義務がある」と回答してきた人の数字を挙げたりするのも一つのアイディアでしょう。
まあ、「髪を切ってこい」と教師が言ったとしても、女子生徒に「裸になれ」と言ったのと同様に守る必要がありません。
「裸になれ」と言ったひどい問題教師がいて懲戒処分されるのと、「丸刈りになれ」という教師が教壇に立っている話とは、次元が違うかも知れませんが、人間の尊厳を踏みにじる命令・指示は拒否するのが当然というのを確認したいと思います。
海さんの「丸刈り」中学校の詳しい情報、お待ちしております。


海(2004/05/31)

丸刈りは「単なる心得」ではありません。
先生に逆らって、髪の毛をのばすことは、恐ろしくてできない。
ここの学校にはやさしい先生もいるけど、やっぱり丸刈りにしろと言う先生にはやめてほしい。
そんな先生は生きてる価値ないと思う。


どとうとしや(2004/05/30)

<<<<丸刈り強制に対する憤りは理解できますが……>>>>
鈴木さんと大学生Aさんの書き込み、拝見しました。書き込み、どうもありがとうございます。
憤りについては大いに理解できますが、「丸刈り」中学校教師としての共通認識とすれば「丸刈り校則は単なる心得」ということでありますし、拒否しようとすれば拒否できる丸刈り校則の問題で、あまり教職員を責めるのもどうかと思われます。
「丸刈り校則守る法的義務がないのだし、熊本県弁護士会が基本的人権侵害と認定しているのだから、拒否する人は拒否しよう」で良いのであり、「人間でない」とか「教員資格を取り上げて二度と教職につけないようにしなければいけません」とか、「丸刈り」中学教師を攻撃することが得策とは思えません。
特に「丸刈り」問題では、「単なる心得として運営されているのであれば、優先課題にすることもないだろう」との消極意見がはびこっているのが問題であり、そういう人たちを仲間のするならともかくも、反感を買うような批判は、「『丸刈り』校長は謝罪し辞職せよ」とは主張をしている私としても共感しかねます。
丸刈り指導全廃に向けた前向きな提案があれば、仲間のみなさん、よろしくお願い申し上げます。
とめぞうさんの「丸刈り」中学教師の一斉「人権学習」のアイディア、なかなかのものであります。


つとむ(2004/05/30)

*** 自律心欠いた“お山の大将”***

丸刈り校則のような抑圧型校則がいかに有害無益であるかということは、当の丸刈り校の校長や教師である、あなた方自身が、すばらしく体現している。
結局、あなた方自身が“自由”という概念に適応できてないのだ。
“自由”という環境の中で、いかに生徒と対等で人間らしい関係を構築していくか、生徒の人権や幸福を守るために、自身の知力・権力・腕力をどう自制していくか、そういう行動規範や自律心、つまり「自由な世界に必要な秩序」を自分自身の内面に構築することが、あなた方は全くできていない。
だからあなた方は、非人道的手段であろうと何であろうとお構いなしに、とにかく生徒を抑圧して、皮相的な安心感に浸り込むのである。
こんなあなた方の態度から一体何を学びとれと生徒に説くつもりなのか。

校長よ。教師たちよ。
それで生徒たちを囲い込んで抑えつけていられると思ったら、大間違いだ。
生徒たちは日々、社会の多様な局面に触れながら生活している。
生徒たちにとっては、学校だけが唯一のステージという訳ではないのだ。
いつまでも“お山の大将”を気取ってると、そのうち生徒に見限られるよ。


井上 静(2004/05/30)

教師批判がでましたが酒井隆史という人がこんな指摘をしてました。
これを読むと、学校と教師のとる態度が、どこから操られているのかがわかると思います。

「『異質な人』排除する改憲論」

今の国会の憲法改正論議は、「普通のわたし」と「異質なあなた」の間に新しい分断線を引く作業であるように感じる。国民の義務を果たせる人、権利ばかり主張しない人、つまり「人に迷惑をかけない普通の人」だけは仲間に入れてあげますよ、と言っているように聞こえる。

 憲法とは、なによりも普遍的な権利の体系だ。まずみんな権利を主張しろよ、と促すものなのだ。その主張が現状とぶちあたるときの「葛藤」、異なる価値観の間での葛藤が、社会を活性化し、育てる。それが近代社会の大前提にある。

 ところが今は、葛藤は「病」だから、それを引き起こすような「異質な人」は排除しようという方向に向かっている。

 全国の小中学生全員を対象にした道徳教育用の冊子「心のノート」をみると、社会に違和感を持つのはいけないよ、ニコニコできないのはよくないよと教え、あらかじめ葛藤の芽を摘もうとしている。

 言うなれば「『普通』の全体主義」だ。自分を「普通」だと規定する人は、現状に異議申し立てをする人を「政治的だ」と排除し、葛藤を引き受けることなく従順を押しつける。

 イラクでの人質3人に「自己責任」の言葉を浴びせた日本社会を、国際社会は奇異なものと受け止めた。これは、葛藤を社会に不可欠なものとみる「普通」の民主主義観が日本から消えつつあることを示している。

 なぜこうも「個」が「国」と一体化するようになったのか。

 それは、日本では個と国家の間に、本来あるべき人の横のつながり、「連帯」が希薄だからではないか。欧州では、公務員のストを市民が応援する。公務員の労働条件が良ければ、自分たちの条件向上にもつながるからだ。日本では、逆に嫉妬と不信で互いが足を引っ張り合う。

 権力の側も、少年犯罪や外国人犯罪を利用して「隣の人」への恐怖や不安をあおり、人々の連帯を断ち切る。そうして孤立した人々は、国家という「大いなるもの」に身を寄せていく。全体主義は連帯なき個の孤立と結びついている。


とめぞう(2004/05/29)

大学生Aさん。
>教師資格の取り上げて、二度と教職につけないようにしなければいけません。
という発言はもっともですが、その前に、教師に対して「人権教育」を行う必要があると思います。
教師の大半は、なんにも考えてない「タダのアホ」ですからね。


大学生A(2004/05/28)

鈴木さんのご意見に同感です。
人間なら、よその人が生んだ大事な子どもの頭髪を強制的に丸刈りに刈ってしまうことなど、できるはずがありません。
丸刈り校則のある中学校の教師は、全員処罰されて当たり前です。
教師資格の取り上げて、二度と教職につけないようにしなければいけません。


エイシ(2004/05/28)

@児童虐待絶対反対@


鈴木(2004/05/27)

丸刈り校則を続ける中学校の教師のやっていることは、程度の差こそあれ、アメリカ軍のイラク人虐待と本質的に同じだ!

全裸にしてはずかしめる虐待と、頭を丸刈りにしてはずかしめる虐待は、目的が同じであり、同質の虐待だ。

おまえらは、このような残虐な行為を平気で繰り返しているのだ。
人間として恥ずかしくはないのか?

恥を知れ!
丸刈り中学校の教師達よ!

おまえらは人間ではない!
けだものだ!


つとむ(2004/05/24)

***歪んだ“嫌悪感”***

5月21日の中学3年生さんからの寄稿を拝読しました。
丸刈り校則から解放された生徒たちの伸びかけの髪を「見苦しい」と感じるほど細やかな感受性をお持ちの先生方が多いようですね。
疑問に思うのは、これほどまでに感受性の豊かな先生方が、これまで生徒の頭髪の自由を平気で奪ってきた自分たちの非情に対して、何の嫌悪感も感じていないのか? ということです。
自分の手前勝手な「見苦しさ」から逃れるためなら、他人が嫌がることでもお構いなしに強要するようなそんな先生方の感覚に、こちらとしては言い様のない嫌悪感を感じております。


中学3年の女(2004/05/21)

こんにちわ。
私は現在中学3年の女です。
うちの学校は私が1年の時は男子は坊主、女子も髪は肩に掛かってはいけなかったんです。。。
それも去年から無くなったのですが、今の校則には、「中学生らしい清潔感のある髪型」と書いてあります。
意味が分かりません。
ある部活動では、今でも坊主にしなくてはいけないらしいです。これでは男子が可哀相です。
髪が伸びていく途中って、どうしてもぼさぼさになるじゃないですか?
それを先生方は「見苦しいから、(髪を)切ってきなさい。」って言うんです。
結局未だにうちの学校は男子はほとんど坊主のままです。。。
ついでに言わせていただきますと、女子も髪が肩に掛かってはいけない、もし掛かる場合は黒か紺、茶色のゴムで結ばないといけないって、どう思います???おかしいと思いませんか?
長メール、大変失礼いたしましたm(_ _)m


どとうとしや(2005/05/05)

<<<<熊本県弁護士会の「認定」を有効活用して「丸刈り」拒否を!>>>>

丸刈り校則続行校が熊本県で20校あるとのことですが、熊本県弁護士会の人権救済の申立てを受けた「勧告」においての丸刈り校則は髪型の自由という基本的人権の侵害にあたるとの「認定」がありますし、「丸刈り」校長の戯言よりも重視されるべきものでありますから、「熊本県弁護士会が丸刈り校則は人権侵害と認定しているから、丸刈り校則守る義務はありませんので、みんなで拒否しましょう!」との論理が大きく説得力出てまいりました!
丸刈り校則が改正されればよろしいのですが、「丸刈り」校長説得に1ヶ月以上かかりそうであれば、「丸刈り」拒否宣言で乗り切ろうではありませんか!
「丸刈り」校長も、「丸刈り強制は人権侵害だ」との声に、「単なる心得としての丸刈り校則」を維持しているのが、大部分のようであり、体罰はおろか個別に呼び出しのようなこともなさそうであります。
また、「法的義務があるかのごとく運営されている丸刈り校則」も、熊本県弁護士会のほうで取り組んで下さると思われますし、君が代斉唱拒否のノリで丸刈り校則拒否しても、大した負担にならないものと思われます。

<<<<丸刈り校則問題の解決については学校教育上の優先順位は高い>>>>

いろいろ人権問題があるとは思われますが、熊本県および鹿児島県における中学校教育上、解決すべき優先順位は高いものと思われますし、30人学級実現やIT教育実現よりもずっと優先されるべきものだと思われます!
熊本県教職員組合の「熊本教育新聞」ではいまだ丸刈り校則問題がとりあげておりませんし、私自身そのことに対して冷ややかにらみるものであります。
「丸刈り」中学校の熊教組の組合員および非組合員の教職の人たちのこれからの決起どうなんでしょうか……。


つとむ(2004/05/02)

*** 道理に背を向ける学校で、生徒が安心して学べるか! ***
2004年3月10日に熊本県弁護士会が発した「勧告」から、2か月が過ぎようとしている。
しかしながらこのサイトの4月29日付「近況報告」によると、県内の14校が丸刈り校則を続ける方向にあるとのこと。
「いい加減にしろ!」と言いたい。
学校は学びの場だ。
学びの場においては理性と良識が何よりも優先されなければならないはずであり、それが欠落した学校はもはや「学校」などではなく、そこで学んでいる生徒たちにとっては有害な存在以外の何物でもない。

「基本的人権の尊重」の記述のある教科書を使って生徒を指導する一方で、実の学校生活では生徒の人権を侵害し続ける…こんな「論語読みの論語知らず」さながらの矛盾を改めようなどとは微塵も考えない校長や教職員らの見識を、全くもって疑う。
理性も良識もそっちのけで、おのれの所行を正当化することにのみ固執するなど、教育者として全くあるまじき態度ではないか。
2004年3月13日付「意見」欄で匿名Kさんが訴えられているように「この期に及んで、丸刈り校則を強いる校長は、児童虐待防止法第3条に違反することを理由に、懲戒処分に付すべき」だと考える。
例えが不適当かも知れないが、満員電車の中での迷惑行為は当然ながら立派な犯罪である。
だとすれば、丸刈りの強制は、多くの生徒たちの人格と自尊心を無差別に、かつ長期にわたって傷つけている点で、それ以上の大罪ではないのか。
そして何よりも許せないのは、これら丸刈り校の校長らが、生徒たちの頭髪のみならず、生徒たちが憲法で保障された「教育を受ける権利」を安心して享受できる環境までも奪い取っていることである。
丸刈り校則が重大な人権侵害であることは生徒たちも日々の新聞報道等を通じて知っている。
丸刈り校の生徒たちも、周辺の多くの中学校が頭髪自由化の方向に進みつつあることを知っている。
なのに何故、自分の通う学校はいつまでたっても丸刈り校則がなくならないのか?
 弁護士会からの勧告にすら背を向けて…
あなた方がもし生徒の立場だったら、世の流れに逆らって、弁護士の勧告にまで逆らって(!)、このような頑迷な態度をとり続ける中学校を信頼できるか?
校長を信頼できるか?
教師を信頼できるか?
理性や良識に背を向ける学校や教師など、生徒は信頼できないのである。
信頼できないということは「学校や教師に心を許し、安心して学ぶ」という図式が成り立たない、ということである。
あなた方は「丸刈り校則は誤り」と認めないことで、あなた方なりのプライドを保っているつもりかも知れない。
しかし生徒たちにとって、そんな学校や教師は「聡明な判断ができず、ただ恥の上塗りを重ねているだけのアホ」にしか見えないのだ。
こんな情けない学校や教師から学ばなければならないというのは、生徒にとってこの上なく不幸なことだ。
このことに、学校はいつになれば気がつくのか!


どとうとしや(2004/04/26)

<<<<会長のあけみさんの健康状態が心配です>>>>
「熊本県下の丸刈り状況」と「近況報告&お知らせ」の更新がしばらく止まっています。
特に、2004年度となってからの「丸刈り」状況についての情報が重要であり、更新が止まっているのは、ひょっとしたら会長のあけみさんに何か健康状態に何か不都合なことでもあるのでしょうか?
また、できれば「〜守る会」の事務局長的存在の人が登場するわけにもいかないのでしょうか?
代表のあけみさんの負担を減らして、情報提供その他について各自「〜守る会」会員がそれぞれ動いていけばよろしいのですが。

<<<<各「丸刈り」中学校の情報お願い申し上げます>>>>
一応、熊本県弁護士会の「勧告」およびその中の人権侵害認定はできているものの、各「丸刈り」中学校の丸刈り状況はどうなっているのか定かではありませんので、仲間のみなさん、情報提供をよろしくお願い申し上げます。
丸刈り校則についての「勧告」後の学校側の説明、丸刈り指導の実態、丸刈り指導拒否者の数および拒否者に対する学校側の対応、体罰やセクハラなどの「丸刈り」以外での教師の非行、その他いろいろの情報をお願いしたいものであります。

<<<<イラクのことが心配であります>>>>
ちとスレ違いと言われるかも知れませんが、丸刈り強制反対派としての"どとうとしや"として、イラク邦人人質事件解決の前後のファルージャその他の地域でのアメリカ軍およびイラク各派武装勢力による戦闘により、多数の一般市民の生命が失われていることにすごく憂慮したいと思います!
何事にも優先順位というのが存在し、丸刈り校則問題よりは水俣病問題や幼児虐待問題のほうが優先すると思われますし、丸刈り校則問題よりは、アラブ圏での女性に対するベール強制問題のほうが優先課題でしょうし、そのベール強制問題よりも今イラクで起こっているアメリカ軍らによる住民虐殺事件がずっと優先されるべき課題であると思われます。
ファルージャ(英語の綴りでは Falluja)では、少なく見積もっても600人以上の市民が殺されている模様であり、イギリス人のジョー・ワイルディング(Jo Wilding)さんや、アメリカ人ジャーナリストのピーター・アーネット(Peter Arnett)さんが、いろいろルポルタージュを書いています。
こういうところでの殺戮については、危険だということを自覚しながら敢えて現地で残るジャーナリストの存在が重要でありますし、これからもいろいろ現地状況報告が出てくるものと思われます。
家族や仲間を殺されてしまった現地住民としては、外国人をアメリカ軍攻撃の「盾」として自分たちの生命を守ろうとするような考えが出てくることも理解できます。
結局人質を解放した「武装勢力」メンバーのほうが、まだ太平洋戦争での爆撃機乗員よりは、まだ人格的にましだと思いますが……。
もっともこれからのイラクの問題はアメリカ主導から国連主導にかわりつつある模様であり、事態は悪い状態から脱却している最中のようであります。
イラク問題について最近よく登場する国連事務総長特別顧問のラクダル・ブラヒミ氏(Lakhdar Brahimi)は、かつてフランス相手の武力闘争で独立を達成したアルジェリア政府の元外相でありますし、イラク問題ではアメリカよりはアラブ圏の国々の関わりが重要だと思います。 早くイラク人に主権の存する政府の実現そして平和なイラクの
実現がなされることを切に願う次第であります!

<<<<丸刈り問題は時間をかけずに>>>>
世の中にはいろいろと深刻な問題がありまし、丸刈り校則問題でいろいろ時間を浪費することもないかと思います。
各校の「丸刈り」中学校長への説得活動も結構疲れるでしょうし、あまり労力をかけるのも問題でしょう。
「丸刈り校則は人権侵害で守ることなし」「校則よりも『頭髪の自由』のほうが優先するから、丸刈り校則拒否して正々堂々通おう」と各自が丸刈り校則を拒否するほうが、丸刈り校則改正のために生徒会活動や地域住人を説得するやり方よりも、労力がかからずに前に進めれるものと、私自身は強く確信するところであります。
どとうとしやの意見に対する異論・反論、おおいに歓迎します!


匿名K(2004.4.22)

***意見投稿***
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その17>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 もともと、戦後まもない頃は、教育委員会は,「教育委員会法」という法律によって、有権者の直接選挙によって選ばれる仕組みでした。
 しかし、教育が政治的な意見に左右されるということから、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に改正して、このような仕組みにしました。
教育の政治的中立の確保を名目にしたらもかかわらず、この法律は、国会で十分に審議をつくさないまま、与党が数の力で、採決に反対する野党を警察官の力で排除して(→強行採決という)成立させました。
 こうして、日本の教育行政は、議会の多数派一色に染まり、それと同じ意見が教育における「政治的に中立な教育」とされ、それ以外は、政治的に偏向した教育だといわれるようになりました。
 そして、たいていの議会で多数派を占めた人々は、日本国憲法や教育基本法に「個人のの尊厳を重んじる」ことが書かれているにもかかわらず、こういった内容について苦々しく思う人々であったため、丸刈り校則のようなものが、まかりとおる教育が続けられてきました。
 ですから、こんにち、「戦後の日本の教育は、個人の尊重に傾きすぎだ。」などという意見がありますが、このような教育行政の仕組みが出来て以来、個人の尊重が重視された教育など、ろくに行われていないのです。
現在、あなたが丸刈りにさせられているのが、その証拠です。(先生の組合は、議会の多数派とは意見が異なる集団を支持していて、その中央本部の団体は、丸刈り校則反対をはじめと唱えているかもしれませんが、教育公務員は、「政治的に中立」な教育をしないと処罰されるので、結局、教育現場では、まったく反対に、丸刈り指導を徹底せざるを得ません。)
 私は,日本の教育が駄目になったのは、こういった経過で教育を歪めて、人間を大切にしないことを続けてきたからだと思っています。
 たかが「丸刈り」かもしれませんが、大きな政治の中の流れの末端にある問題です。
 だから、丸刈りを強制する人々のねらい(→あなたを洗脳すること)とはまったく反対に、この経験をとおして、先生の先の校長、校長の先の教育委員会、教育委員会の先の議会多数派、議会の議員の先の…と、あなた自身の眼で丸刈りを強制した者の正体を探し出して、心の中で責任の追及を決意してほしいのです。
 「丸刈り校則に賛成するような勢力の議員には、票を入れない。」…小さな決意かもしれませんが、彼らの目的そのものの裏をかくわけですから,みんなで行えば「もっとも簡単で大きな打撃を与える責任追及方法」です。                   


匿名K(2004.4.20)

<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その16>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 教育委員会は,5人の教育委員により構成されることになっていますが、条例によって、県では6人であることや、町村では3人と言う場合もあります。
委員は、知事や市町村長が議会の同意を得て任命します。
 委員のうち1人が教育委員長に、1人が教育長になります。
教育長は、教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会に属するすべての事務をつかさどります。
そのため、教育委員会には事務局が置かれ、教育長に統括されています。
 私たちが、通常出会う教育委員会の職員は、実は、“教育委員会事務局”の職員なのです。
 さて、ここで一番大切なことは、「議会の同意がなければ教育委員を選ぶことが出来ない」ということです。
つまり、「過半数の議員の同意が得られなければ、教育委員を選ぶことはできない→議会において過半数を占める勢力に教育に関する権限は集中する」ということになっているのです。
 だから、仮に丸刈り校則反対を唱える市長がいたとしても、過半数の議員が、市長の任命しようとする教育委員に同意しなければ、丸刈り校則反対の教育委員は誕生しないのです。
しかも、教育委員の任期は、4年間であって、特別なことがない限り、市町村長が任期1期のうちに1回しか委員を入れ替える機会にあたらないのです。


匿名K(2004.4.19)

**意見投稿**
 <丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その15>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 前回は、地域で「丸刈り校則の効果」を信仰している人々の存在が、学校長にとって、丸刈り校則を廃止する際に無視できない存在であることを説明しました。
 しかし、法律上の学校長のバックは、「地域で“丸刈り校則の効果”を信仰している人々」ではなくて、「教育委員会」です。
 あなたは、市町村の行政のトップは、市長・町長・村長であって、「この人たちの頭が固いから丸刈り校則が無くならないんだ」…と思われているかもしれません。
 しかし、地方自治法という市町村の政治のやり方について定めた法律の上では、このような市町村長は,すべての行政について権限を持っているわけではないのです。
 市町村長は、一般行政を管理・執行する“執行機関”ですが、その他に、教育行政の管理・執行機関である教育委員会、選挙事務の管理・執行機関である選挙管理委員会、人事行政の管理・執行機関である人事委員会又は公平委員会、監査の実施事務の管理・執行機関である監査委員、農地に関する事務の管理・執行機関である農業委員会、土地・建物等の固定資産の台帳に登録された事項に関する不服審査及び決定事務を行う機関である固定資産評価審査委員会といった、市町村長とは別の「執行機関」があります。
都道府県になると、もっと多くて、公安委員会とか、地方労働委員会等があります。(市町村長や監査委員は、「人」であるのに、「機関」と位置づけられているのが滑稽ですが、法律上のことなので受け入れてください。)
 そして、これらの執行機関は、その管轄する事務を処理する立場としては対等です。
つまり、一般行政を握る知事や市町村長と教育行政を握る教育委員会とは対等であって、上下関係にはないのです。
 説明が長々と続きましたが、要するに教育に関することは、知事や市町村長の直接権限が及ばないというわけです。
 だから、たとえ、選挙で「丸刈り校則反対」を唱える市長さんが当選しても、すぐには、丸刈り校則が無くならないのです。
 一例を挙げますと、かつて、市内のほとんどの中学校が丸刈り校則を採用していた神戸市で、市長が市議会において丸刈り校則に反対する見解を述べました。
しかし、丸刈り校則が完全に廃止されたのは、その数年後でした。
 しかし、それでも、「丸刈り校則に賛成する人々、賛成する勢力と歩調を合わせている人々に票を入れない」と決意することは、無駄ではありません。
 その理由がわかっていただけるように、もうしばらく、教育行政の仕組みを解説していきたいと思います。


以前よく、掲示板に書き込ませて頂いていた田中です。
若干メールアドレスが変わりました。
私の大学の図書館にようやく「丸刈り校則をぶっとばせ」が入りましたので報告致します。
私も読ませて頂きましたが非常にわかりやすく、またいわゆる「ムラ社会」の暗部についても触れていたため、社会学のテキストとしても通用する本だと確信致しました。
私の大学は人権教育が盛んなため、授業で使われることもあるかも知れません。
丸刈り強制校則の全廃まであと一歩。
これからもお体に気をつけて頑張って下さい。
それでは、失礼致します。

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田中さん、本を図書館に置けるように手配していただき、ありがとうございました。
大学で多くの人たちに読んでいただけたら、私としては、ほんとに嬉しいです。
今後も丸刈り強制校則の全廃まで、頑張っていきたいと思っています。

あけみ


どとうとしや(2004/04/18)

<<<<熊本県弁護士会の「勧告」後の状況は?>>>>
2004年3月10日の「以上のとおり、当会(熊本県弁護士会)は、貴中学校の男子生徒に対する丸刈りに関する校則ないし校則に準じる規則は、頭髪の自由という生徒の基本的人権を侵害するものであると判断します。
よって速やかに廃止することを勧告する次第です」との勧告から、もはや一ヶ月以上経ちました。
勧告文の解釈によれば、「丸刈り校則は基本的人権を侵害するものなので、守る義務がないこと明白である」というようにとれなくもないかも知れませんし、この勧告を受けて「丸刈り」中学校で丸刈り指導拒否が正々堂々できるはずだと理解してよろしいのでしょうか?
各「丸刈り」続行中学校の状況はどうなんでしょうか?
どなたか、書き込みや報告お願い申し上げます!

<<<<イラク人質事件で思うこと(1)>>>>
イラクでの2004年4月15日に3人、4月17日に2人の日本人の人質の方々が解放されました。
人質の方々には、非常に大変な監禁状態であったことについて、深くご心痛察するに余りあると思います。
また、ご家族の方々には、「総理に面会したいと思います」や「息子をなぐりたい気持ちです」など、一部マスコミで誤解されるような報道がなされていますが、よほど心配で気が動転なさったのでしょうか、ご同情申し上げるしだいです。
「危ない場所にいくような無神経さが問題」とするような論説が出ている新聞もありますが、人質になった日本人の人々は危ない場所で生活している人たちと危険を分かち合い自己責任を自覚して行動したのちたまたま誘拐されたのであって、濁流でおぼれている幼児を助けるために危険を顧みず飛び込んだ人を批判できないように、批判される筋合いはありません!
また、イラクにおいては、「武装勢力」とアメリカ軍およびその友軍とで激しい戦闘が繰り広げられ、多数の一般市民が巻き添えでお亡くなりになっている模様であり、あえて身代わりで死ぬことを覚悟して、これからもジャーナリストやボランティアの人たちが「戦闘地域」に入ることについて「迷惑だ」とする某新聞の品性を疑いたいものであります。
その一方で、今にも犠牲になっているかも知れないイラク市民のことについて、本当によく心に刻んでいきたいものであります!
戦地イラクでの人道支援に貢献して誘拐犯罪に巻き込まれた日本人のこともさることながら、米軍の「誤爆」で亡くなられた一般市民や子どものことや、米軍に対する憎悪でなおさら好戦的なってしまった「テロリスト」の人たち、いろいろ目を向けていくべきであります。
イラク人の生命も日本人の生命も、同等の価値を持つはずであり、刻々と失われているイラク人の生命にも気を払っていきたいものでありますし、「邦人救出」の発想を脱して今回の事件を見つめ直す必要があると思います!

<<<<イラク人質事件で思うこと(2)>>>>
今回の人質とされた日本人の中で、ボランティアの高遠菜穂子さんに注目します。
週刊文春によれば、高遠さんは中学生時代荒れた生活を送っていたそうでありますが、編集局による歪曲があるかも知れませんが、当たらずとも遠からずってところなのでしょうか。
けれども、イラクでの高遠さんのストリートチルドレン相手のボランティア活動は、すごく貴重であります。
高遠さんらが首を掻っ切られそうになるような映像がテレビで映ってたのには、私自身胸が詰まる思いでありました。
「また、イラクに戻ります」という発言について、小泉純一郎氏直々の批判の言もあったでしょうが、イラクの子どもを見捨てない彼女の信念からすれば、至極当然のことであるかと思います。
ちなみに、「荒れ」に神経質になりすぎる「丸刈り」中学校校区の大人たちに対して、荒れた中学生でも高遠菜穂子さんのような立派な人道家に育つことだってよくあることだということを強く言ってやりたいものであります。

<<<<イラク人質事件で思うこと(3)>>>>
今回の日本人人質事件で、イスラム教スンニ派指導者のクベイシ師が大きな貢献をしたことを高く評価したいと思います。
イスラム教について女性の人権や「聖戦」扇動など現在の「先進国」の基準では大きく問題がありますし、私も含めた市民にも一定の違和感を覚えることがあるでしょう。
しかし、世界史において、313年ミラノ勅令よりも前のローマ帝国や江戸幕府においてのキリスト教弾圧の血塗られた歴史に対して、イスラム教圏では一定の人頭税納付と引き換えにキリスト教の信仰が認められていたのも事実であります。
また、サラーフ・ウッデイーン(イラク出身で1138年生1183年没)という12世紀のスルタン(王?)が、ヨーロッパの十字軍との戦闘で無駄な殺戮を避けてきた態度や、ヨーロッパ人のエルサレム巡礼を許したということを、ヨーロッパ諸国で評価され語り継がれています。
中世ヨーロッパも、イスラム諸国から製紙技術や今の化学の元となった「錬金術」が伝授されたものであり、チェスやコーヒーもイスラム諸国からヨーロッパに伝来されたものであります。
ある程度、人権の問題はさておいても、イスラムの伝統についてはかなり根強いものがあることを理解しておきたいものであります。

<<<<「丸刈り」問題その他に戻って>>>>
また、熊本県教育委員会の人たちに「丸刈り校則は人権違反だから速やかに廃止すべきである」ということを説得させることが困難なように、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教を問わず信仰を持っている人たちの考えを変えさせることは非常に難しいことであることを理解したいものであります。
丸刈り校則については、「丸刈り校則は人権侵害」という認識を各自が持ち、それに従って各自がそれぞれ「丸刈り」拒否も含めた行動すべきでしょう。
「丸刈り校則を速やかに改正すべきでしょう」と県弁護士会が勧告しても、残念ながら「丸刈り」校長を「改心」させるのは困難なようであります。


匿名K(2004.4.18)

**意見投稿**
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その14>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 でも、なんといっても、丸刈り校則維持派の地域の人々に一番多いのは、「丸刈り校則がなければ、学校が荒れる」と思い込んでいる人々でしょう。
しかし、このことは、必ずしもそうではない点で事実に反しています。
それに、そもそも、学校が荒れるかもしれないからといって、あなた方、生徒が犠牲になる必要はないのです。
丸刈り校則なんかに頼らなければ、まともな学校教育が維持できないというのなら、それは、そういった学校長の力量の無さに問題があるのです。
学校長が職を辞して、丸刈り校則に頼らなくても、まともな学校教育ができるだけの能力を持った人が、新しい学校長になればいいのです。
 さて、ここまでを見ると、地域の人々は、みんな中学校に洗脳されて、丸刈り校則維持派ばかり…と絶望的になるかもしれませんが、意外や意外、丸刈り校則維持派は、少数だったりします。
中学校時代の丸刈り校則に疑問を抱いている人だけでなく、地域に新しい家が建って、都会から丸刈り校則を経験しない世帯が転入してきたり、メディアの影響を受けたりして…実際に、熊本でも、こうして地域の人々によって市民運動が起こっています。
 ところが、学校を管理する教育委員会は、多くの人々が、丸刈り校則をおかしく感じていても、なかなか動きません。どうしてでしょうか?。
実際、学校長に丸刈り校則の廃止を指導しないことによって、教育委員会も丸刈り校則を維持する勢力としての一翼を担っています。
 この次は、このことについて考えてみたいと思います。


匿名K(2004.4.17)

**意見投稿**
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その13>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 では、丸刈り校則を維持しようとする勢力とはいったいどんなものなのか、考えていきたいと思います。
 まず、挙げられるのは、学校です。
「そんなことわかりきっている」と言われそうですが、法律上は、校則を制定するかどうかは、学校長の権限です。
 しかし、長髪を認めていた学校の校長をしていた人が、丸刈り校則の学校に赴任してきたから、丸刈り校則がなくなった…という話や、逆に、丸刈り校則があった学校の校長をしていた人が、長髪の学校に赴任してきたから、丸刈り校則になってしまった…というような話は、あまり聞きません。
 このことから、学校長に、丸刈り校則を維持させている人々がいることがわかります。
 そういった人々とは、どのような人々でしょうか?
 身近に挙げられるものとしては、あなたの住んでいる地域の大人、特に、その学校の卒業生たちです。
彼らの多くは、「中学生は丸刈りだ」と学校に洗脳されています。
 これまで、様々なメディアに現れた、地域で丸刈り校則の維持を望む人の考えの例を挙げますと…

1 「丸刈りは生活に便利、便利なことだったら、他人に押付けてもいいじゃないか」という人々
 (この考えは、「良い品だったら、無理やり買わせてもいいじゃないか」と同じ考えであって、おかしな考えです。自分の物と他人の物の区別がついていません。)

2 「自分たちが丸刈りにさせられたから、後輩も丸刈りにするべきだ」という考えの人々
 (「弱いものいじめ」と同じ考えです。)

3 「自分たちは、丸刈りを何とも思わなかった。」という人々
 (これは、児童虐待の加害者となる親が「自分たちもこういった子育てを受けてきた、何が悪いのか」と開き直ることと変わらない考えです。児童虐待の加害者は、意識的又は無意識に虐待の被害者の子どもと同じような虐待を受けて育ってきていることが多いといいます。そして、虐待は、世代に渡って連鎖するといわれています。丸刈り校則も、同様です。)

4 「丸刈りぐらいで何を騒ぐのか」という人々
 (小学生から丸刈りの世代の人々に多い考えです。もともと、丸刈り頭の少年が長髪にすることを禁止されることと、長髪だった少年が、髪の毛の切除を強要されて丸刈りにさせられることとは、似ているようで大違いだということがわかっていません。)

5 「中学生には我慢が必要だ」と開き直る人々
 (中学生を権利の主体である人間として認めない考えです。児童の権利条約を批准した以上、こういった考えは「子ども差別」にあたります。人間が大人になる過程において、我慢を体験することが必要であっても、他に方法はあるはずです。自ら児童の権利条約に反することをいう人に、規範の大切さを教える資格はないと思います。)


匿名K(2004.4.17)

**意見投稿部分**
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その12>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 これまでに、丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法として「勉強すること」「国家賠償法に基づいて損害賠償できる可能性のある事実を日記に記録すること」を紹介してきました。
 本日からは、もう1つ将来においてとることのできる方法を紹介します。
 それは、有権者になった時、丸刈り校則を推進した勢力に属する人々には票を入れないと決意することです。
これは、小さなことのようですが、丸刈り校則を押し付ける勢力からすれば、最大の打撃になります。 
 なぜなら、彼らが丸刈り校則を押し付けるのは、あなたに、「丸刈り校則をおかしくないもの」として受け入れさせることで、実社会においても「個人の人権に鈍感な市民」になってもらいたい、そして、彼らと同じ「個人の人権よりも集団結束を大切に考える人物」になってもらいたいという目的があるからです。
 もし、丸刈り校則が押し付けられた段階で、あなたが、洗脳されずに、逆に彼らに反発をもつこととなれば、それだけで、彼らの目的とは正反対の結果になります。
 そして、あなたが親しい友達に、この「反発意識」を伝え、その友達が、また、別の友達にこれを伝え…と広がっていけば、彼らへの支持は、丸刈り校則によって、どんどん失われていくことになります。
 学校側と一緒になって後輩に丸刈りを押し付けるような「弱いものいじめ」をしても、それは、あなたが心の中にある「反発」に目を瞑(つむ)っているにすぎません。
丸刈りを押し付けられて腹が立つなら、押し付けた勢力に堂々と打撃(←ただし合法的な方法に限る)を与えて、自分に正直に生きることの方が健康的だと思います。


匿名K(2004.4.16)

**意見投稿**
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その11>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 さて、訴訟を前提とした「日記づくり」についての意見投稿は、今回が最終回です。
 仮に日記ができたとして、実際に裁判所に訴えるためには、1つ障害があります。
それは、親を説得しなければならないことです。
民事訴訟法第31条には、未成年者は単独で訴訟を起こすことができず、法定代理人によらなければならないことになっています(養子縁組等の人事訴訟を除く)。
この場合の法定代理人とは、通常は、親がなっています。
 一方、損害賠償請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害を知った時から3年間請求しないと時効になります。
被害者又はその法定代理人が損害及び加害を知らい場合は20年で時効になります。
 この場合、「損害及び加害を知っている」と考えられますので、法定代理人が裁判所に訴えることに同意してくれない場合、単独で裁判所に訴えることが可能な20歳までに、時効になってしまう可能性があるのです。
 ただ、民事訴訟法や民法の規定をよく見ると、このような場合、特別代理人を選任する方法がありそうです。
また、賃金を受け取る権利のように、法律上、親が代理すること禁止しているようなものは、単独で訴訟ができるという説がありますので、教育指導に従うかどうかに係る問題も、未成年者が単独で決定できる範囲の事柄については、これと同じだと主張することもできそうです。
その他、戦時中の強制連行などをめぐる裁判で主張されているように、訴えたくても訴えられなかったことを理由として時効は20年であるという方法、人道上の問題には時効が成立しないと主張する方法も考えられます。
さらに、請求さえしておけば、時効が中断されるという方法も考えられます。
しかし、一方で、そもそも、法定代理人が同意しないのは、馬鹿なことをしようとしている未成年者の行為を止めていることを意味しているのであって、未成年者はこれに従うべきだという解釈も考えられます。
 結局、私の研究不足から、このような場合の未成年者の権利保障がどのようになっているのか参考となる資料を見つけられませんでした。
実務に通じておられる方からご教示いただければ幸いです。
 実際に、このサイトを読まれた方が裁判所に訴えられる場合、親の同意なしにされることは、まずあり得ないと思いますので、本日の内容は、予備知識として知っておいていただくだけでよいと思います。 


匿名K(2004.4.15)

**意見投稿**
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その10>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 察しのよい方は、ここまでの連続意見投稿でお気づきのことと思いますが、責任追及の手段としてつける「日記」に書くべきこととは、要するに、国家賠償法につながる事実です。
 いつ(年月日)、誰が(教師の氏名)が、誰(生徒の氏名)に、どんな行為をしたか,自分以外の目撃者は誰か、…といったことを書き記していきます。
「どんな行為をしたか」という部分は、教師として義務があるのにしなかったことも含まれます。(例:いじめを止めなかった等)
 丸刈り校則の問題に限らず、いじめの問題など、学校で起こったおかしなこと、一般社会では通じないことを書き記していけば、後々、裁判所に訴える時に、たいへん役立つはずです。
 たとえ、現在、あなたが、学校側を裁判に訴えるなんてまったく考えていなかったとしても、いざという時に訴える手段を残しておくことは、あなたの心にゆとりを与えてくれるはずです。
 なお、このような日記をつけていることは絶対に他人に話してはいけません。
これは、とても大切なことなので、日記をつける心構えとして思ってください。


匿名K(2004.4.14)

**意見投稿**
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その9>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 前回までは、丸刈り校則に関して、どういった「指導」の場合、国家賠償法の対象となる「損害をこうむった」といえるのか紹介してきましたが、ここで、国家賠償法の根拠となる条文とその解説についても示しておきます。

 国家賠償法第1条
 国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

1 国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員
 都道府県及び市町村は、公共団体です。
 公立学校の教育者は、「国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員」にあたります。
2 公権力の行使
 丸刈り校則を定めて守るように指導することは、公権力の行使にあてはまります。
ただし、丸刈り校則を定めても、何も指導しなければ「公権力の行使」が存在しないという見解が、昭和60年11月13日付け熊本地裁判決ではとられました。
  なお、法令上、公務員がしなければならない義務を果たさない場合も、対象になります。
例えば、教育者は、いじめを防止する義務を負っていますし、たとえ、丸刈り校則を拒否したとしても、学習権を保証する義務があります。
3 その職務
 丸刈り校則を定めたり、これに従うよう生徒指導を行なうことは、「その職務」にあてはまります。
4 故意又は過失によって
 「故意による」とは、「わざと」「知っていて」…というような意味です。
 「過失による」とは、「通常の公務員に職務上要求される標準的な注意義務をもたないことによって」…というような意味です。
5 違法に
  具体的な法令違反だけではなく、客観的に公正さを欠くことも「違法」に含まれます。
 実際の裁判では、この部分が一番の争いのメインとなるところです。
訴えた側(原告)は「違法だ」と主張し、訴えられた(被告=国・公共団体)側は、「違法ではない」と主張するからです。
6 損害
 生命、健康、財産に対する損害だけでなく、精神的な損害も含まれます。

 以上の1から6が満たされて、初めて賠償を受けることができます。
 しかし、社会的な訴訟の場合、訴えた側(原告=国民・住民・生徒)の目的は、賠償を得ることよりも、行政側のしたことが違法であることをはっきりさせるところにあることが多く、たとえ裁判に敗けても、その目的さえ達成すれば、控訴(地方裁判所の判決に不服があるので高等裁判所に訴えること)したり、上告(高等裁判所の判決に不服があるので最高裁判所に訴えること)しない場合もあります。
(例:総理大臣靖国神社参拝行為に対する平成16年4月7日付け福岡地裁判決 なお、この判決に原告側で加わった津留雅昭弁護士は、玉東中学校丸刈り校則事件(昭和60年11月13日付け熊本地裁判決)における原告側弁護士を勤めた津留雅昭弁護士と同姓同名です。同一人物ではないでしょうか?)


匿名K(2004.4.13)

<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その8>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 次に、体罰以外に「3」にあてはまる場合として挙げられるものは、児童の権利に関する条約です。
 この条約の第28条第2項には、「学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。」という規定があります。
丸刈り校則は、この条約に違反していると考えられます。
 この他、文部科学省(文部省)の各見解にある校則制定の留意点を満たしていない可能性もありますが、こちらは、国民(=児童・生徒)に直接に効力が及ぶものではありませんので、後日、「丸刈り校則と文部科学省の見解」について説明する時に掲載します。(予定)


匿名K(2004.4.12)

<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その7>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 「3」にあてはまる場合として、まず挙げられるのは、丸刈り校則を拒否したり違反した場合に体罰が行われた場合です。
 そもそも、丸刈り校則拒否(又は違反)に対して、懲戒を行うこと自体が、(1)丸刈り校則に違反したからいって、市民社会において許されないことをしたわけではないこと、(2)校則の目的(教育的効果)と手段(丸刈り)との間において客観的な因果関係がないこと、(3)懲戒により「指導」が「強制」になってしまうこと…から、「行き過ぎた指導」として、国家賠償法の対象となる責任を生じる可能性があります。
(注:公立の小・中学校以外の学校の校則は、「従うかどうかが自由な“指導”」ではなくて、「従うことを約束して入学させてもらっている“契約”」なので、校則を守る法律上の義務があります。従って、この考えはあてはまりません。)
 しかし、丸刈り校則拒否(又は違反)に対して、体罰が用いられる場合がないとはいえませんので、今回は、この体罰についてもう少し詳しく解説します。
 体罰とは、肉体的苦痛を伴う懲戒行為で、学校教育法第11条において禁止されている行為です。
 具体的には、殴る、蹴るのほか、長時間、座らせたり、立たせたりして、特定の姿勢を保持させることや、授業中にトイレに行くのを許さないこと、食事時間を過ぎても長く食事をとらせないこと等で、殴る、蹴る以外は、その生徒に肉体的苦痛を与える程度であったかどうかで、体罰にあてはるまかどうかが判断されます。
 もし、教師が体罰をしてしまえば、その教師だけでなく学校長も監督責任を負うことなります。
責任は、(1)公務員としての責任、(2)刑事上の責任、そして、(3)民事上の責任の3つの点から問われます。
 公務員としての責任は、その教師や学校長が、懲戒処分(免職、停職、減給、戒告)を受けることになります。
懲戒処分を行うかどうか、どのような懲戒処分にするかどうかは、教育委員会が決めます。(法律上の懲戒処分ではありませんが、「厳重注意」等の事実上の懲戒が行われることもあります。)
 刑事上の責任とは、俗に言う「警察沙汰になる」ということで、殴れば暴行罪、傷を負わせれば傷害罪、長時間閉じ込めれば監禁罪として処罰される可能性があります。
丸刈り校則の場合、生徒にその意思に反して無理に髪を刈らせれば強要罪,同様に教師が刈れば暴行罪として処罰される可能性があります。
ただし、実際に刑事裁判にかける(=起訴する)かどうかは、検事さんという国のお役人が決定します。(起訴されないことになって不服がある場合、被害者は検察審査会に審査を求めることができます。)
 民事上の責任とは、損害賠償や慰謝料を求める行為で、国家賠償法に基づいて被害者(=生徒側)が行います。
要するに、現在、話題の中心にしている「国家賠償責任」です。(未成年者には、訴訟能力に制限がありますが、このことについては、後日、解説を予定しています。)
 なお、現に生徒や教師に暴力をふるっていたり学校の物を破壊している生徒を静止するのに、必要な範囲で「力」を行使することは、体罰ではありません。
また、授業妨害等、他の生徒に迷惑をかけ続ける生徒に対しては、出席停止や教室外への退去という措置をとることができます。


匿名K(2004.4.11)

<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その6>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 「2」にあてはまる場合とは、もし、丸刈り校則に従わないなら(又は、丸刈り校則に違反したなら)、「クラブ活動の対外試合に出さなかったり、学級委員の任命から外したり、懲戒を加えたり、内申書(調査書)に不利益な記述をするぞ」と脅された場合等です。
 あなたが具体的に脅される必要はありません。
他の丸刈り校則に従わない生徒(又は、違反した生徒)が、そのようなめにあっていれば、間接的にあなたを脅したことになります。
ただし、実際には、そのような事例がないのに、あなたが一方的に「多分、不利益に扱われるのではないか?」と不安に思っただけではだめです。
このような場合に備えて、学校側に、不利益扱いしないという確認を求めておくことをお勧めします。実際に、丸刈り校則を拒否する方は、この確認を、弁護士さんと一緒にするか、このサイトのような団体に相談のうえ行う方がいいと思います。
 なお、学校側が当然になすべきことを放置した場合も、「2」にあてはまります。
 例えば、丸刈り校則を拒否したためにいじめにあったり、クラブの先輩からのしつこく丸刈りにしろと言われたため、先生に助けを求めたところ、「校則を守らない方が悪い」といわれてしまった場合等があてはまります。
 要するに、丸刈り校則に従わない場合(又は、違反した場合)に、何らかの「嫌がらせ」があれば、すべて「2」にあてはまるのです。
 法務局の関係団体も、「本人の自由な意志を妨害して、丸刈りにするように強いれば、人権侵害にあたる」という見解を出しています。
(詳しくは、私の「弁護士会人権救済申し立て応援投稿」を見てください。)


匿名K(2004.4.10)

***意見投稿***
<丸刈り校則を強制した者たちの責任を追及する方法 その5>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 前回は、次のような「指導」を受けた場合、法律上、相手に損害賠償責任を求めることができると考えられていることを紹介しました。
 1 誤った内容の指導を行った場合。 
 2 指導に従わない場合に、不利益に取り扱ったり、強制を加えた場合。
 3 法律で指導の方法や手続等が定められている場合に、それを守らずに指導した場合。
 これを丸刈り校則にあてはめて考えてみましょう。
 「1」は、丸刈り校則にありもしない教育的効果を「ある」と言い切ったりした場合があてはまります。
 昭和60年11月13日に熊本地裁で出された判決では、次のような効果は「ない」と断定していますから、もし、こんなことを言って丸刈りにするように指導されれば、。それは、「でたらめ」を教えられたわけであって、教育者に対して損害賠償請求ができるというわけです。(法律上の請求先は、学校を設置した市町村)
 1 丸刈りが中学生にふさわしい髪型であるという社会的合意がある
 2 スポーツするのに最適である。
 3 丸刈りにすれば清潔が保てる。
 4 頭髪を(丸刈りに)規制することで生徒の非行化を防止できる。
 5 髪型を(丸刈りに)規制をしなければ、次のような弊害が生じる。
   (1) 髪の手入れに時間がかかり遅刻する。
   (2) 授業中に櫛を使い、授業に集中しなくなる。
   (3) 帽子をかぶらなくなる。
   (4) 自転車通学に必要なヘルメットを着用しなくなる。
   (5) 整髪料等の使用によって教室内に異臭が漂う。
 ちなみに、この裁判では、それでも「しつけ」の手段として、丸刈り校則が認められたため、原告(生徒側)が敗れました。
しかし、当時と違って、現在では、児童虐待防止法が制定され、「しつけ」にも、合理的な理由が必要になりました。(詳しくは、「弁護士会人権救済申し立て応援投稿」に記載しています。)
 「2」以下について、どのような場合があてはまるのかということについては、次回以降の投稿に紹介します。
 ※「仕返しえる方法」では、いかにも幼稚なので、今回から「責任を追及する方法」に表題を改めました。


匿名K(2004.4.9)

***意見投稿***
<丸刈り校則を強制した者たちに仕返しする方法 その4>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 国家賠償法は、あなたを丸刈りにさせた人々の責任を追及するために、まず、知ってほしい法律です。
 もし、今、あなたが、校長に丸刈り校則を取り消すように求めて、裁判を起こしても、おそらく、裁判官は、その訴えを門前払いするでしょう。
 なぜなら、法律的には、丸刈り校則があるからといって、「あなたが、丸刈りを“強制”されている」わけではなくて、「丸刈りにするように“指導”されたあなたが、自分からそれに従っている」ということになっているからです。(平成8年2月22日付け最高裁判所小法廷判決)です。
つまり、「強制されているわけじゃないんだから、嫌なら拒否すればいい、裁判所の力で校則を取り除くまでもない。」ということです。
 しかし、あなたは、これに疑問を抱くはずです。
 大人と子ども、学校権力や地域の眼と家庭との間には、大きな力関係の差があって、そう簡単に拒否なんかできる状態にないからです。
おそらく本気で拒否するためには、このサイトの市民運動団体など、あなたを支援してくれる組織の力が必要でしょう。
 では、丸刈り校則のような「指導」の場合、指導した側の責任を追及する方法は、何もないのでしょうか?。
 そのようなことはありません。
取り消しそのものの要求はできなくても、損害賠償を求める形でならば、指導した側の責任を追及することは可能です。
実は、国家賠償法は、それをするための法律なのです。
 さて、どういった「指導」の場合、「損害をこうむった」といえるのかといいますと、通説では…
 1 誤った内容の指導を行った場合。 
 2 指導に従わない場合に、不利益に取り扱ったり、強制を加えた場合。
 3 法律で指導の方法や手続等が定められている場合に、それを守らずに指導
した場合。
…ということになっています。
 次回は、「丸刈り校則の場合、どのようなケースがこれにあてはまるのか?」を考えてみたいと思います。


匿名K(2004.4.8)

***意見投稿***
<丸刈り校則を強制した者たちに仕返しする方法 その3>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 あなたを丸刈りにさせた人々に仕返しするために、まず、しなければならないことは、日記をつけることです。
ただし、それは、普通の日記ではありません。
次回から紹介する「国家賠償法」という法律で、損害賠償を求めるため、その原因になりそうな「事実」を記録した日記です。
 しかし、それは難しいことではありません。
日々の学校生活で「おかしいと思ったこと」「腹が立ったこと」を記録していけば、多分、その中に、ここでいう「事実」が自然と含まれていくことになるからです。
 ただ、この際、記録すべきポイントは、心得ておいて損はないと思います。
丸刈り校則を強制した人々だけでなく、いじめっ子から身を護るためにも有効なはずです。


匿名H(2004/04/08)

記事を読むのがおそくなりました。
平行線ですね。
校長は責任逃れのなにものでもありません。
気になるのは、すでに自由化した学校でも、ただ「流されて自由化した学校」は、また機会あれば「丸刈りに戻したがってる」なあ・・・と感じられる事です。
潮谷さんも再選された事だし、教育の分野に力を入れるといわれてましたし、人権を守るのが第一の公約ですので、是非きちんとした人権教育をして、丸刈り校則全廃にしてもらわないと困ります。


匿名K(2004.4.7)

***意見投稿***
<丸刈り校則を強制した者たちに仕返しする方法 その2>
 …この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにさせられた中学生の方々へ…
 さて、次回から、「仕返しの方法」を具体的にお伝えしていこうと思います。
 ただ最初に申し上げておきますが、私がお伝えする「仕返しの方法」は、「合法的な手段」をとることを前提にしています。
法律に反する行為や、非科学的な呪いの方法を期待されても、それにお応えすることはできません。
 また、ここでお伝えする「仕返しの方法」を信じて、社会的な機関(裁判所等)に救済を求めたとしても、必ず救済されるとは限りません。
その機関が、私の見解とは異なる判断をする場合もあるからです。
 この意見投稿の目的は、究極的には、丸刈り校則を強いられた方々の人権を救済することですが、具体的には、その手段として、丸刈り校則を強制した者の責任を合法的に追及する方法をお伝えすることです。
 このままでは、腹の虫が治まらない方には、きっと、こんな方法があったのか!、こんなことができるのか!…と思っていただけるはずです。


サッポ(2004/04/07)

私も、こにしきさんが指摘してるように、「バリカンの音が嫌いな生徒に、髪を伸ばす許可を与えた」と言う校長の話は信用できません。
電動式バリカンの音が嫌いなら、手動式バリカンを使って丸刈りになればいい訳です。
とりあえず、この校長に、手動式バリカンの購入先を紹介しておきます。
http://www.rakuten.co.jp/yume/286970/398462/441644/


匿名K(2004.4.5)

***意見投稿***
<丸刈り校則を強制した者たちに仕返しする方法 その1 >
 この春、自分の気持ちに反して髪を刈り、丸刈りにせざるを得なかった中学生の方々へ。
 きっと、丸刈りを強制した大人たちを憎まれていることと思います。
勉強する気も起こらず、落ち込まれていることと思います。
 でも、やけを起こして、勉強を投げ出すことだけは、やめてほしいのです。
なぜなら、そんなことをしても、丸刈りを強制した大人たちに対して、何の復讐にもならないからです。
 彼らに対して、復讐したければ、逆に、一生懸命に勉強することです。
復讐のためには、まず、それなりに賢くなる必要があるからです。
 丸刈りを強制する大人たちの本音は、あなたを,自分たちに「都合のいい人材」に仕立て上げるために「調教」したいのです。
だから、あなたの気持ちにお構いなしに、このようなことができるのです。
丸刈りにまでさせて、勉強に集中させるなんて、まるで,養鶏場のブロイラーを育てる発想です。
 しかし、彼らがこうして色々なことを教えてくれることは,むしろ、逆に利用できます。
調教されている「ふり」をして、しっかり、自分自身のために色々な知識を学習してしまいましょう。
あなたの心の中の受け止め方次第で、「誰かのためにされる調教」も、「あなた自身のためにする学習」に変えてしまうことができるのです。
 学習は、総じてあなたの未来に自由をもたらしてくれます。
将来、あなたがなりたい職業や社会的地位に就くためには、絶対に有利です。
そして、あなたが,様々な困難に出会った時に、それを解決するための武器にもなります。
学習を通じて、あなたは、強くなれるからです。
 そして、ついに、あなたが、彼らが教えてくれるものを乗り越えて、彼らが、わざと教えようとしないもの(例えば、法律)まで、自分で学習するようになった時、あなたは、彼らにとって脅威の存在へと変われるはずです。

 「丸刈り校則を強制した者たちに対して復讐するために、まずできること。それは、“自分自身のために”勉強しようと心に誓うことです。1日1日、予習、復習することこそ、復讐につながる道。そう考えれば,きっと、勉強も楽しくなるはずです。絶対に、こんなところで勉強を投げ出したりしないでください。」


匿名さん(2004/04/05)

龍ヶ岳中学校の丸刈りの近況について
最近、4回の生徒総会の上、ついに龍ヶ岳中学校も丸刈りの廃止が決定しました。あけみさんの努力のおかげだと思います。
ありがとうございました。


つとむ(2004/04/05)

*** そこに生徒はいますか? ***

このサイトにアップされている、4月1日付熊日新聞の記事を読みました。
言う迄もない事ですが、丸刈り校則の是非を論じるうえで決して欠くことが許されないのは、丸刈り校則で悔しい思いをしている生徒たちの現実を直視する視点です。
この視点が欠落した議論には何の説得力もないし、誰からの共感も得られないでしょう。

「むしろ頭髪規定そのものが人権侵害だというなら(丸刈り校則が人権侵害だという意見に)賛成する」との主張は「丸刈り校則に反対して頭髪の自由を認めろというなら、子どもたちが頭をパーマ・茶髪・金髪にするのも全て許してやれと言うべきだ。
そうでなければ、丸刈り校則だけが人権侵害だとは言わせない」と言っているのと同じです。
この主張が丸刈り中学の校長によるものだという文脈で読む限り…ですが。
丸刈り校則に反対している人たちの間でも、パーマや茶髪・金髪まで容認するかどうかについては意見が大きく分かれています。
しかしひとりひとりの人間にそれぞれの考え方がある以上、そういうことは至極当然にありうることですし、そもそも合意形成というものはそういうものなのです。
むしろ、パーマや茶髪・金髪の是非で意見が割れている人たちの間でも「丸刈り校則は余りにもひど過ぎる」という一致点が形成されたことこそが本当に重要なのであって、その強い合意のもとで私たちは丸刈り校則廃止を要求しているのです。
この要求は全く正当であり、首尾一貫したものであると確信しています。
これに対して、パーマや茶髪・金髪等に対する見解で不一致があることを理由に、多数の人たちの間で一致している丸刈り校則廃止の要求まで切って捨てようとする議論は、結局は解決を先送りし、この校則に苦しんでいる生徒たちの切実な願いに背を向けているのと同じではないでしょうか。
「賛成する、しない」といった言い回しで、丸刈り校則に対する自分自身の見解を正面から表明することを回避する一方で「この自分に対して(丸刈り校則は人権侵害だとの主張を)受け入れさせたいのなら、あれこれの条件をちゃんと整えて来い」と言わんばかりの態度には、これまで自分が生徒たちに強要してきたことを真摯に顧みようという誠実さや、生徒の苦しみに心寄せようという温かさは微塵も感じられません。
「学校である程度の制約を設け、それを守るという経験をすることは、将来、子どもたちのためになると思う」という、なんの論拠もない主張に対し、一被害者としてはっきり申し上げます。
丸刈り校則は「百害あって一利なし」です。
まともに思い出すと今でもハラワタが煮えくり返る、人生の負の遺産でしかありません。
この民主主義の社会に必要とされている制約とは、子どもの髪型に対する制約などではなく、自己の職務上の権限を笠にきて他人の幸福追求を平気で妨害するような行為に対する制約であるはずです。


こにしき(2004/04/05)

俺も、2004年4月1日の熊日新聞記事が面白かったので、感想を書く。
例の校長の発言の中に「バリカンの音がどうしても嫌いだという生徒がいて、髪を伸ばすのを許可した」とあるが、『バリカンの音が嫌だから坊主になるのが嫌い????』
俺は丸刈り中学に行っていたが、今まで、こんな妙な話を一度も聞いたことが無いわい。
坊主になるのが嫌いなのは、みっともないからに決まっておろうが!
まったく、すっとぼけた校長もおったもんだ。


どとう としや(2004/04/05)

<<<<また、県教委義務教育課に電話しました>>>>
今日は、急に休みになり熊本県教育委員会義務教育課に電話しました。
義務教育課の電話に応対した人の様子では、2004年3月10日の熊本県弁護士会の人権救済の勧告の「丸刈り校則は髪型の自由という基本的人権の侵害にあたる」との判断をもって、教育委員会の方針を変更する必要はなくもっぱら今まで通りの「校則の見直し」の続行で済ますことのようであります。
<<<<「丸刈り」拒否は、各自の判断で>>>>
熊本県教育委員会の「権威」を利用して、「丸刈り校則は、人権侵害であるという意見もあるので、改正されなくとも拒否できる」として、事実上の丸刈り強制廃止がなされればよろしいのですがそういうわけにもいきません。
やはり、憲法の各条項特に第13条の幸福追求権の最大限の尊重、最高裁の小野市立中学校丸刈り校則事件での「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」との判断、そして今回の熊本県弁護士会の「丸刈り校則は髪型の自由という基本的人権の侵害にあたる」という判断、と改正されない丸刈り校則を拒否できる根拠は、揃っています。
「丸刈り校則は守らなくてもいいんだ」という意見が、どしどし出てくることを切に希望するところであります。
もはや、県教育委員会や「丸刈り」中学校校長を信頼できません。


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